この自伝評伝がすごい!

この自伝・評伝がすごい!

 著者が真似したいこんな人のこんなところ、というコンセプトで企画された本だそうです。

 へぇ~と初めて知ることがたくさんありました。

 

こちらは、イーロン・マスクさん

P15

 ・・・「現実的には無理だが…(空想なら可能)」ということをよく聞くが、マスクにこの思考はない。マスクに倣えば「現実と空想は同じなのだから、無理はない」ということになる。

 マスクのこんな思考を育んだのはSF小説だったという。14歳のとき、SF作家のダグラス・アダムスの「銀河ヒッチハイク・ガイド」を読み、「本当に難しいのは、何を問えばいいのか見つけることだ」というSF的な言葉に感銘を受けた。そこで「質問したいことをしっかりと理解するには、人間の意識の範囲と規模を広げることが大切という結論に達した」そうだ。そこからマスクは「唯一、人生において意味のあることは、啓蒙による人類全体の底上げに努力すること」という気づきを得るに至る。・・・

 

こちらは、小倉昌男さん

P24

 小倉が標榜した、個人の小荷物しか扱わない会社には当初、あまりに大きい競合他社がいた。それは郵便局である。小倉が参入しようとした70年代当時まで、個人宅配は郵便局の寡占事業であったのだ。小倉はそこに商機を見出したわけだが、それまで参入がなかったのは、一般的に個人宅配は収益が見込めない、と考えられていたからである。ようするに当時、個人宅配は、いつ荷物が出るか分からないし、出荷先も配送先も毎回変わる、出荷量も一定しないというデメリットばかりが認識されていた。そこで小倉はこのデメリットを一つずつ潰していった。取次店を設置し荷物を集約させ、配送を年中無休にし、翌日配送を打ち出し郵便局とサービスを差別化した。

 ここでひとつ小倉の「サービスとコストはトレードオフだが、サービスが先、利益は後と考える」という経営理念が出てくる。この理念の具体化例としては「運送業者がサービスをよくするのは簡単。社員を増やせばいいのである」と書いてある。

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 ここで一つ重要なことがある。小倉はこうして広範囲から荷物を集荷するために社員を増やしたわけだが、アルバイトを増やしたのではないのだ。・・・小倉は共同作業所で働く障害者の報酬が平均して月額1万円にすぎないことを知り、引退後、福祉にその身を投じた。こういったケースではアルバイトを大量に雇う経営者もいるだろうが、小倉は雇用をコストと考えない。・・・

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かくして拡充された社員=ドライバーは、ヤマト運輸ではセールスドライバーと呼ばれている。これは小倉の全員経営の理念の下、名づけられたようだが、これは「日本型組織の中で何よりいけないのは年功序列型主義の仕組みである」という一節につながるだろう。社員を増やしたというのは支配下の人間を増やしたということではない。組織が社員を守るのではなく、社員が率先して組織に寄与するという考え方だ。郵便局ではありえない成果主義の導入も他社との差別化に役立ったのである。

 

こちらは、安藤百福さん

P35

 安藤は、48歳でチキンラーメンを開発し、61歳でカップヌードルを開発、95歳で長年の夢だった宇宙食ラーメンを開発しNASAに提供、96歳で現役のまま亡くなった。亡くなって4日後、ニューヨークタイムズには「ミスター・ヌードルに感謝」という社説が掲載された。それは単なる記事ではなく署名入りの社説だったという。

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 ここまで安藤の革新力を紹介したが、・・・誰にもできない離れ業はひとつもなかったはずだ。闇市で見たラーメンの行列、高度成長で感じた簡便な食に対する需要、アメリカのスーパーで見た紙コップに入れられたインスタントラーメンなど、その時代の人間なら誰でも出合えたはずだ。そこに加えてこの程度のことなら、現在だって誰の日常にもあるだろう。

 ここで私が言いたいのは、革新力をもたらす素地として安藤には目の前にあることに敏感に反応する気づく力があったということである。気づくということは違う世界を発見するということだ。その違う世界で、何かを生み出す力が革新力ではないか。

 紙コップでラーメンを食べるのを見て、これはいいぞと思う。その後が重要だ。容器を発泡スチロールにし、フタをアルミ製にする、というふうにその光景を革新していく、これが安藤の力だ。・・・

 

こちらは、土光敏夫さん

P41

 土光と言えば「清貧」、というイメージを持っている人間なら、その象徴として「メザシの土光」という表現を覚えているだろう。これは80年代の初頭に、NHKが土光の生活をおったドキュメンタリーを放送した際、その画面に妻と8畳ほどの台所でメザシを食べている土光の姿を評したものだ。もとより大企業の社長をつとめ、経団連の会長にまでなった男である。土光を知らない人間は、さぞ贅沢をしているだろうと高をくくるだろう。だが、土光はそうではなかった。・・・

 ・・・「お金は使うべきところに使う」・・・「ぼくは金をタンスの引き出しに貯めていたわけではない」と訴える発言が紹介されている。では、土光はどこに資金投下していたか、それは教育である。土光は敬愛する母が創設した橘学苑(現・橘学苑中学校・高等学校)に、報酬のほとんどをつぎ込んでいたのだ。70年代初頭、土光の年間所得は平均6千万円(現在の貨幣換算でおよそ3億6千万円)あったというが、この大金をほぼ学校に投入していたという。この金額だけに、橘学苑は私学にもかかわらず、入学金や授業料が破格な安さだったそうだ。土光の母は太平洋戦争が長引く中で子どもたちへの教育の重要性を思い知ったという。土光は母の信念とそうして創設された学校の理念に深く共鳴していたのだ。その影響で、土光は生涯、平屋に住みメザシを食べ続けたのである。

 この土光の姿勢が訴えていることは「金の使いどころを間違えるな」ということだ。ここでは土光が東芝の社長になった際のエピソードを紹介しておこう。土光が初めて社長室に入った際の話である。社長室にはバスルームがあり、調理場があり、専用のコックまでいたそうだが、土光はこれに驚愕し、即刻、取り壊しを命じた。経営者の金使いには、社会性が求められる。社長室にそんなものがあっても誰も幸せにならない、ということを土光はよく承知していたのだ。

 

こちらは、中村修二さん

P78

 ・・・まず、読者にはくれぐれも「青色LED(青色発光ダイオード)」を発明したことが、中村の特別さではない、ということを認識していただきたい。中村の特別なところは「『研究のためには喧嘩も辞さず』ではなく『喧嘩のためには研究も辞さず』」という基本姿勢にある。あくまで「喧嘩」が先なのだ。

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 中村は自称するところの三流高校、三流大学を出た後、三流の会社に就職する。・・・中村は、業界で「LEDに青色がないことが課題であり、これが実現できれば巨大市場が誕生する」という認識があることを知り、反骨を作動させる。ここで、中村はつぶれそうな会社を救うために、青色LED(発光ダイオード)研究を始めたのである。ようするに中村は現状と喧嘩をするために、研究を開始したのだ。・・・

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 といっても、つつがなく中村が研究に入れたわけではない。中村が青色LEDの研究を、上司に申請した際のやりとりはこうである。「青色LEDの製品化は世界中の超有名企業や一流大学が、何百億っていう研究費を使い、超エリート研究者を何人投入してもできないんじゃろう。うちで出来ると思うか‼」「コンチクショー‼不可能か可能かやってみなきゃ、分からんじゃろう」。この「コンチクショー」も、この中村本に繰り返し登場するキーワードである。

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 世間一般には中村修二にクリーンなイメージはないかもしれない。ノーベル賞をとってはいるが、自らの発明への対価が支払われないと主張し、会社を辞め、アメリカに渡り、会社を訴えた、という一連の流れで認識されているだろう。

 だが、この中村本を読むと、この認識は少々、事実と異なることが分かる。まず、中村が会社を辞めて、アメリカに渡ったのは、会社に怒ったからではない。10年の研究を経て、発明された青色LEDが製品化された後、中村は評価を受け、出世したという。ただ、そこで中村の業務内容が変わったことが引き金になった。昇格し現場を離れた中村は「日がな一日デスクに座り、ハンコをつくだけの毎日」に嫌気がさして会社を辞めたのである。もとより「考える対象である問題は大きく難しいほどいい」が中村の理念だ。

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「『コンチクショー』という悔しさをバネに極限まで自分を追いつめ、考え抜き悩み抜き、集中してドン底まで落ち込み、そこから這い上がってくる、そんなワクワクドキドキするような環境に再び、自分を置いてみたい」。ぬるま湯からの脱却ということで会社を辞めた後、偶然、米国の大学から誘いを受けた、というのが事実なのだ。・・・

 

こちらは、岡崎慎司さん

P88

 岡崎が認識している自分の能力として、象徴的なのが・・・「鈍足」だ。・・・

 ・・・足が遅いのにサッカー日本代表であることはもちろんすごいのだが、岡崎がさらにすごいのは「足が遅くて良かった」と書いているところだ。岡崎は「僕は自分に期待しない。自意識も持っていない。自分は足が遅いダメな選手だと受け入れてからサッカー人生をスタートさせた」という。だから「香川真司のように上手い選手と会っても絶望しない。そこで、自分に何ができるのか、考える過程が楽しい」とまで書いている。

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 さらにネガティブ・トークは続く。これもサッカーの日本代表選手にして驚愕だが、岡崎は視野が狭いそうだ。そして思考が単純。背番号9番はエースストライカーが袖を通す番号だそうだが「僕は日本代表史上、最も人気のない9番」と明かしている。さらに服のセンスが最悪、華がない、大一番に弱い、オーラがない、顔が悪い、と自分に対して言いたい放題である。

 視野が狭いという点では岡崎らしい発想の転換法が記されている。「視野が狭い」を周りが見えないと解釈するのではなく「目の前のものはくっきり見える」と考える。これにより、周りを見ないでゴールだけを見る、という発想に至ったそうだ。・・・

 人気がないという部分では、笑えるエピソードが明かされている。「日本代表の試合の応援席で9番を着ているファンを見たことがない」といったこと。そして、海外遠征を終えて香川真司の横にいたら「お友達の方ですか?」とサッカーファンに言われたそうだ。確かにお友達だろうが、これには閉口しただろう。

 これはオーラがないというところにつながるだろうか、清水エスパルス入団直後には、裏方のスタッフと勘違いされたそうだ。

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 延々と続くネガティブ記述の中でも、多少、前向きな部分が出てくる。・・・「笑うを突きつめたい」という部分がある。これは先輩にかわいがられる方法に関連して記されているが、先輩には「下手なんですが、よろしくお願いします!」と屈託なくお願いするのがいいのだそうだ。・・・

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 岡崎が記したこの「鈍足バンザイ!」は啓発本ではない。アスリートになるための実用書でもない。ここに記されるのは、一流の考え方である。いわゆる自虐ではない。ここに書かれていることは諦念ではない。「足が遅いですが、何か」と言わんばかりなのである。

 ・・・岡崎は、ダメなところを起点にして自分ができることを探しているのだ。・・・さまざまな点でつまらない固定観念を覆してくれる稀なアスリートが岡崎だ。「スピードがない、テクニックがない、身長がない、そんな僕がどうしてゴールを決められるのか、と聞かれると困ってしまう」と、うそぶく彼もまたいいではないか。