ちょっと風変わりな本でした。
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書店でなにげなく本書を手にとって、今このページに目を通してくださっている皆さんに、まずお断りしなければいけないことがあります。
実はこれは、電化製品について語った本ではありません。
……いや、ウソです。電化製品について、おおいに語っているけど、電化製品に興味がない人にも読んでもらえる本です。
実はこの本は「書評」なのです(映画、漫画評でもあります)。
さまざまな文学作品の、その中の電化製品について描かれている場面だけを抜き出して熱く語った、自分でいうのもなんですが、珍妙な書評集なのです。
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電化製品に興味がある人も、書評が好きな人も、長嶋が好きな人も、そのどれでもない人も、「なんだこりゃ」とハテナマークを浮かべながらでいいので、お読みいただければ嬉しく思います。
P195
とりわけ作中に電化製品を多用する作家は「僕」だ。この本で「語る」のみならず、実に多くの家電品を率先して書き込んでいる。なにげなく、ではなくて意識してのこと。
「はじめに」で軽く触れたように、僕はデビュー作「サイドカーに犬」からして「蚊取りマット」を描写している。蚊取りマットの「替え」を、向こうの部屋から投げて渡した、と書いた部分を褒めた書評家は一人もいなかったが、僕にだけは手ごたえがあった(蚊取り線香の替えは投げて渡すことは出来ない。最近のボトル式の蚊取り器は夏中取り替えなくてよいから、替えを渡す状況がほぼない、蚊取りマットのときだけこの世界に生じるやりとりなのだ)。
以後、自分で覚えているだけでも、「タンノイのエジンバラ」の「ボタン電池(LR44)」、「夜のあぐら」の「ラジオ付き懐中電灯」、「バルセロナの印象」の「ファクシミリ」、「ジャージの二人」の「トースター」、「パラレル」の「ヘッドマウント型ディスプレイ」、「センスなし」の「ヘッドホンステレオ」「単三電池」、「瑞枝さんの原付」の「電気アンカ」、「ぼくは落ち着きがない」の「業務用コピー機」と、枚挙にいとまなし。先ごろまで新聞で連載した「ねたあとに」は電化製品列伝・実作編といっていい長嶋家電文学の総決算だ。
なぜ長嶋は電化製品をやたら書くのか、という問いに答えるとしたら、(なぜ山に登るのかという問いに)そこに山があるからと答えた登山家みたいな返事になってしまうだろう。書こうとしている「世界に」「ある」ものだからだ。他の作家と同様に、本質を浮かび上がらせるための取捨選択は僕も行っているつもりだ(家電品もすべてを書くわけではないし、家電品以外を異様に細かく描いたりもする)。
「ねたあとに」で、こんなことを書いた。室内に置かれたアイワのCDコンポのボタンを、主人公が押す場面だ。
……再生ボタンを押す。ピカピカ光る数字部分が「PLAY」の文字になる。PLAは大文字でYだけ小文字の「y」だ。
その二年後、新しく取り替えたソニーのCDラジカセのボタンを、同じく主人公が押す場面。
電源を入れたら液晶部分がオレンジに光った。蓋を閉じて再生ボタンを押すと「PLAY」の文字が表示される、小文字のyじゃない、ちゃんと大文字の「Y」。液晶の表示をおごったね……。
ここで主人公が「おごったね」と感じたゆえんを、ある読者がちゃんと分かって、しかも「分かった!」と教えてくれた瞬間の、僕の手ごたえが分かるだろうか。面白かったとか、泣けましたという「大きな感想」を凌ぐ興奮が、その「分かった!」には宿っている。
この場面は果たして「電化製品」を描写したことになるのだろうか。ここにあるのは大げさに(しかも自画自賛まじりで)いえば「世界」や「人間」の顕れだ。アイワもソニーも、コンポもラジカセも、液晶の輝きもyの文字も、「便宜的に」表出させた、人間の営みなのだ。
そんな風にあらゆる手段で世界や人間を書きたいし、感じ取りたいと僕は思っている。・・・
