永遠のおでかけ

永遠のおでかけ(毎日文庫) (毎日文庫 ま 1-1)

 益田ミリさんのエッセイ、味わい深かったです。

 

P118

 JR京都駅で母と待ち合わせ。久しぶりに京都の街を歩いてみようと誘ったのはわたしである。・・・

 清水寺に行くことにした。・・・

 ・・・

 清水寺までの坂道は、立ち止まれないほど混雑していた。晴れて暖かな土曜日であったし、偶然、夜間のライトアップのイベントとも重なった。

 ・・・

 のろのろとのぼっている途中で、人力車の呼び込みをしていた。たまには乗ってみるのもいいかもしれない。

 わたしは青年に声をかけた。

「お兄さん、どこらへんまでまわるん?」

「どこまででも!」

「ホンマかいな~」

 と、つっこむまでがセットである。

 30分、9千円。

「お母さん、乗ってみよ、お金出すし」

 もったいない、と母は乗りたがらなかったが、

「なかなか東京から来られへんし」

 と、わたしが乗りたがる素振りを見せると、母は、それなら、と納得したようだった。清水寺周辺をまわるコースを選び、母とふたり人力車に乗り込んだ。

 青年は人力車を引き始めた。なにぶん観光客が多いからゆっくりとしか進まず、すいすい進む道は単なる民家の路地。どう楽しめるかは青年の話術と人柄にかかっている。

 青年は感じがよかった。20代半ばだろうか。ところどころ観光案内を入れつつ、坂道を慣れた様子でのぼったりくだったり。

 のぼり坂になるたびに、

「重いやろ?降りて押そか?」

 母は青年に冗談めかして言っていたが、実際、申し訳ない気持ちがあるのだろう。30分9千円もするんだからそれくらいは……と思っているわたしとでは心のやさしさの質が違うのかもしれない。

 ずいぶん前にこんなことがあった。

 その日は朝から雨だった。わたしは実家に戻っていて、妹家族も遊びに来ていたのだと思う。

「ピザでも取ろうか」

 と、わたしは言った。母は反対した。危ない、と言うのだ。わたしたちが注文すると、雨の中をバイトの男の子がバイクで配達しなければならない。

「怪我でもしたらかわいそうじゃないの」

 それが母であった。

 ・・・

 酒井順子さんが「暮しの手帖別冊 暮しの手帖の評判料理」(2011年/暮しの手帖社)に寄稿された美しいエッセイを読んだことがある。

 お母様が急逝され、住む人がいなくなった実家に酒井さんはひとりたたずまれていた。冷蔵庫をひらくと、カレーのストックがあった。

 こんなふうに、酒井さんは書かれていた。

「このカレーはおそらく、母親が永遠の外出をする前に、子供に対して残してくれた、最後の『作り置き』なのではないか、と。」

 わたしもいつか、そんな料理と対峙しなければならないのかもしれなかった。

 

P136

 カレンダーをめくってきたほどには、自分の人生が進んでいないように思えるのは、わたしだけではないようだった。

 養老孟司さんと南伸坊さんの対談集『老人の壁』にもあった。冒頭で南さんが、「いま67なんで前期高齢者なんですけど、どうも実感ないんです」と言い、「先生は、ご自身を老人だ、と思われますか?」と養老さんに質問する。養老さんは「じきに80ですが、一人でいたら絶対に思いませんね」と答えられていた。それを受けて、「一人じゃわからない。自分はずーっとつながっているから『おれはおれ』なんですね」と言われた南さんの言葉に、そうそう、とわたしはうなずいたのだった。

 

P152

 東京の桜が咲き始めた。

 桜はどこのもきれいだけれど、小学校の桜はいっそう澄んで見える。

 父が死んで半年が過ぎ、父を思い出さない日のほうが、俄然、多くなった。

 けれど、ふいに街の景色に引っ張られ、心が揺さぶられることもある。

 近所の小学校の桜を見上げながら、わたしはこの先も、毎年、少し後悔するのだろうかと思った。

 一年前。

 ちょうど実家に帰っているときに桜が見頃になっていた。夕飯のときに堤防の桜並木の話題になる。

「明日、ふらっと見に行こうよ」

 とわたしは母を誘った。母は行こうと喜んだ。

「今年はまだ桜見てへんなぁ」

 と、父が言った。

 毎日、堤防までウォーキングしに行っている父であるが、夜が明けない早朝に歩くので、花見という感じではなかったのだろう。まだ見ていない、とは昼間に見ていないの意味であった。

 誘われたいのである。一緒に桜を見に行きたいのである。しかし、自分からは言い出せない。それが父だった。

 三人で行くのもいいかもしれないと思ったのだが、せっかちな父が一緒だと気をつかう。母にしたって、たまには娘とふたりでのんびりしたいだろう。

 わたしは母を選んだ。

 父は、「今年はまだ桜見てへんなぁ」をもう一度口にしたが、わたしはそれを父のひとりごとのように流し、結局、誘わなかった。

 堤防の桜はたいそう美しく、近所の人たちがシートを広げて花見をしていた。

「こんにちは!」

 挨拶しつつ進む小道。桜は両側からアーチをつくって空をおおっていた。

 歩きながら、わたしは、やはり父を誘えばよかったと思っていた。父と母と三人で桜並木を歩くことなど、この先、そう何度もないはず。事実、父は半年先の秋にこの世を去るのである。

 あの日、三人で堤防を歩いていたら、わたしたちはどんな話をしたのだろう。

 父は近所の人たちに「ええ天気ですなぁ」などと片手をあげて挨拶しただろうか。

 それとも、照れくさそうに笑っただけだろうか。

「べっぴんさんふたりとええなぁ」

 近所の人たちが父を冷やかす掛け声までが想像できた。

 後悔はもうひとつあった。ケンタッキーフライドチキンである。店先を通るとき、しゅんとした気持ちになる。

 昔から父の好物だった。

「ケンタッキー食いたないか?」

 と、父が聞いてくるときは、自分がものすごく食べたいときなのだが、一応、家族の誰かに同意をもらいたいようで、「食べたい」と一声あがれば、

「ほな、買うてくるわ」

 いそいそと車で出かけ、大量に買ってきた。

 なんでこんなに買うん⁉

 家族の誰もが思ったが、機嫌をそこねたくないのでだまっていた。父にしても、好きなわりに量は食べないのである。

 それでも、わたしは父のこういうケチくさくないところがやはり好きだった。父の一番好きなところだったように、今となっては思う。父が買ってくるケンタッキーフライドチキンは、翌日のわたしと妹の弁当にまで入れられていた。

 体調をくずした父が、入院先の病院での食事中、

「ケンタッキー、食いたいなぁ」

 と言った。

 あのとき、わたしはなんと返事をしたのだったか。

「もうちょっと体力つけてからな」

 とでも言ったのかもしれない。

 翌日、わたしは東京に戻らねばならず、その前に、父にケンタッキーを買っていこうか、と考えた。あまり食欲はないようなので、ほんの一口しか食べられないだろうが、その一口が食べたいのだろう。

 しかし、駅前のケンタッキーフライドチキンまではバスに乗らねばならなかった。家からバス停まで歩き、バスを待ち、なんやかんやで帰ってくるまでに1時間以上かかる。考えていたら面倒になってきて、結局、母が剥いた柿を持って見舞った。柿を食べ終え、父はゆっくりとベッドに横になった。

 この父が、わたしには最後の生きている父の姿になった。

 病室を出るわたしに、

「また来てや」

 と、父は静かな声で言った。

 桜並木とケンタッキーフライドチキン。

 並べて書いてみればなんの脈絡もない。

 しかし、どうだろう。素直に気持ちを伝え、面倒くさがらずに生きろという父からの最後の教訓と受け止めることもできる気がした。