科学のカタチ

科学のカタチ

 対談なので、専門的なお話も気軽に読めました。

 

P48

養老 ・・・この前、僕はデビット・シンクレアというハーバード大学の研究者らが書いた『LIFESPAN 老いなき世界』・・・という本を読んだんです。多くの人びとは、老化や死というものは、自然の経過なのだからあまり干渉すべきではないという意見をもっているものでしょう。ところが、シンクレアという人は、みずからの研究結果に基づいて、はっきりと「老化は病気である」と断言して、病気であれば治療できるはずだって述べています。がんとか、脳や心血管の病気の予防とか治療とかに努力やお金をつぎ込むのなら、老化を防ぐためにそれらをかけたほうがいい、と。たしかに、社会のことを考えると、老化によって生じる病気を治療することよりも、もとの老化を防ぐほうが病気の治療にお金がかからないから安く付くから、それはいえるのでしょうね。

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 シンクレアが、老化は防ぐことも治療も可能だという楽観的な考え方をすることができるのは、この人がオーストラリアで生まれて、アメリカで研究生活を続けているという文化的背景も関係しているのでしょう。つまり、古い歴史を引きずるような社会ではないところで、シンクレアみたいな人物が現れて、新たな考え方が確立されていくということです。

 

P83

宮﨑 私の研究にかかわる話になりますが、新型コロナウイルス感染症でなぜ一部の人が重症化してしまうかというと、感染後に肺の組織が崩れて、いろいろな「ごみ」が出て、そこに免疫系が過剰にはたらいてしまうということがあるのだと思います。だから、感染後に、そうした「ごみ」をさっと片づけてしまえば、免疫系が過剰にはたらくこともなくなる。そうしたメカニズムでの治療法ができれば、感染しても重症化はしにくくなると思います。そういうアプローチで薬を創れないだろうかと考えたりします。

養老 ぜひ、実現してください。

宮﨑 ただ、私は感染症の専門家ではないので、こういう提案をすると、きっと抵抗に遭うだろうなとは思います。

養老 どんなことでもそうですよね。

宮﨑 自分の経験では、外国と比べて日本ではそうした抵抗が強い気がしますね。

養老 似たようなことが、つい先日から読みはじめた、竹倉史人さんという方の『土偶を読む』(2021年、晶文社)という本に書かれてましたよ。

 土偶というと考古学でよく研究されているけれど、竹倉さんは人類学者であって、考古学については素人。けれども、考古学の門外漢の目で見てみると、どうしたって土偶は人間には見えないと。では、なにに似ているかというと、縄文時代の人たちが主として食べていた植物や貝の形に似ている。そのことに気がついて、一つひとつの土偶を「読んでいく」のです。茨城県の椎塚貝塚で見つかった土偶の顔はハマグリの殻の形をしている。青森県の有名な遮光器土偶の体はサトイモをかたどったものである、といった具合に。そうして、土偶の本義は植物霊祭祀にあったという結論にたどり着きます。

 おそらく、考古学者たちにはこうした発想はできなかったんでしょう。すでに、土偶の分類がしっかりとされてしまっているからね。けれども、考古学者ではない竹倉さんは、これまで考古学で築かれてきた「土偶は人間像」という前提を平気で打ち破り、「ご破算で願いましては」と言えたわけです。

 いまの日本の社会が置かれている閉塞状況を打ち破るようなことに通じるできごとだと思いますね。医学には、典型的な閉塞状況があるとは思うけれど。

宮﨑 そう思います。学会単位で細かく分類されてしまっていて、専門家以外の人が口を出すと、たとえ正しそうなことであっても潰されてしまうかもしれません。

 

P90

宮﨑 前回(第1話)、養老先生とお話ししたとき、「昆虫の完全変態の謎」について盛り上がりました。チョウのような、幼虫が蛹を経て成虫に変態する完全変態の昆虫では、幼虫と成虫の形態が大きく変わってしまうという。

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 私がこの完全変態する昆虫の話でおもしろいと思ったのは、幼虫は蛹になる前の段階で、いわば「一生を終えている」という事実です。もし、幼虫と成虫が同じゲノムであるのだとすれば、なぜ幼虫が一生を終えたあとにもう一度、同じゲノムで異なる形態をつくらなければならないのか。どうしても、医学・生物学に携わってきた人間としては、矛盾がある気がしてならないのです。

養老 たまに「幼形成熟」といって、幼虫の段階のまま生殖できるようになる昆虫もいるんですよ。たとえば、キノコバエっていう昆虫は、キノコの子実体を食べるけれど、子実体はあっというまに消えてしまうから、餌が豊富にあるあいだに大急ぎで食べるんです。すると、キノコバエは幼虫の形のままで成熟を始めてしまう。それで、餌がなくなりかけると、翅が生えるようになって飛んでいくんです。

宮﨑 翅が生えて成虫になる途中で蛹にはなるのですか。

養老 もちろん。キノコバエも、チョウやショウジョウバエと同じく完全変態の昆虫ですから。けれども、蛹や成虫になるより前の、幼虫の形のままで生殖ができなくもないということです。

宮﨑 幼虫のままで生殖したら、それで生みつけられた卵からは、また幼虫が生まれてくるわけですか。

養老 そうです。

宮﨑 幼形成熟でなく、きちんと成虫になった場合は、生殖はしないのですか。

養老 成虫は成虫で生殖はやるんだと思います。

宮﨑 すると、成虫に生みつけられた卵からも、幼虫が生まれてくるわけですか。

養老 もちろん。

宮﨑 もし幼虫と成虫で異なるゲノムをもった生きものであると考えると、成虫の卵からも幼虫が生まれるというのは、筋が通りにくくはなりますね。まったくちがう生きものであれば、チョウの卵からはチョウが生まれるはずですしね。そこをどう説明するか……。

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養老 相当に大きな問題ですから、いろいろなことがわかればわかるほど、わからないことが増えてきて、ややこしくはなっていくでしょうね。わからないことの一つひとつに説明をしていかなければならない。・・・

 

P114

養老 ・・・思い出したけれど、意識的なものと感覚的なものとの相補的な関係性の研究について聞いたことがあります。現代の人は幼いときからいろんな「言葉」に囲まれて育つでしょう。すると、絶対音感をもちづらくなる。昔の人のほうが、まわりに人が多くなかったり、音声メディアが氾濫していなかったりで、幼いころに言葉を聞く機会は少なく、そのかわりにウグイスの鳴き声とか、風の音とか、川のせせらぎとかをよく聞く。すると絶対音感が残りやすい。言葉を使うときに、絶対音感をもっていると、高い音で耳に入った言葉と、低い音で耳に入った言葉で、同じ意味でもちがう音として聴かれてしまい厄介なことになる。だから、言葉という意識的なものが強い時代には、自然の音を感じるといった感覚的なものが弱まるし、逆も同じことがいえる。そうしたことはありえるでしょう。

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 鳥寄せの名人がいるけれど、鳥寄せを草笛でやっていますよね。動物には絶対音感があって、音の高さが変わるととらえ方が異なるから、草笛を使って鳥寄せをする人も絶対音感をもっていないとむずかしい。音の高さを変えても、同じ意味のことを言われていると認識できるのは人間だけですからね。