こういう方々がいてくれて、こんな動きを起こしてくれるって、ありがたい・・・と思いました。
P16
「なぁんが老人ホームか!あんたになんの関係があろうか!あたしゃここで野垂れ死ぬ覚悟はできとる!いらんこったい!」
その激しい剣幕と覚悟の言葉は、下村恵美子を完全にしびれさせた。
「おほぉぉぉ。この都会で野垂れ死にする覚悟で生きとる『ばあさま』がおる。こりゃあその『野垂れ死ぬさま』をなにがなんでも拝ませてもらわんといかん!」
下村恵美子はさっそく元同僚に電話をかけた。
「超ものすごいばあさまがおるっちゃけど、あんたたちも一緒に付きおうてみらん?」
この世の中には変わり者と呼ばれる人間が少なからず存在する。下村恵美子が電話をかけた永末里美と中島真由美も、そうしたタイプの人間だった。
「おぉぉぉ、いいねぇ!」
・・・こうして三人は「介護のできるお手伝いさん」として大場さんの元を交代で訪れるようになった。・・・
・・・
下村恵美子は「介護のできるお手伝いさん」をやりながら、心当たりのある施設をかたっぱしからあたってみた。しかし、もらえる返事はまるで判でも押したかのようにいつも同じだった。
「そんな超ものすごいばあさまじゃ困りますね。うちではとても扱えません。連れてこないでください。他の利用者にも迷惑です」
下村恵美子は肉体的に腹を立てるタイプの人間だ。・・・
「けっ!ばあさま一人の面倒もみきらんで、なんが福祉か!なんが介護か!なんが専門職か!バカにしくさって!」
そしてそういう感情が、即、行動に直結してしまう人間なのである。
「ああもうわかった!もう誰にもたのみゃせん!自分たちでその場ちゅうやつを作ったらよかっちゃろうもん!」
・・・
実はこの行動原理こそが、今も「よりあい」の基本姿勢になっている。それはつまりこういうことだ。
一人の困ったお年寄りから始まる。
一人の困ったお年寄りから始める。
・・・目の前になんとかしないとどうにもならない人がいるからやるのだ。・・・頭で考えるより前にとにかく身体を動かす。要するに「つべこべ言わずにちゃちゃっとやる!」のだ。
P52
二〇一一年のことである。「宅老所よりあい」は特別養護老人ホームの建設に向けて重い腰を上げた。このまま放っておくと、そのうちどえらいことになる。・・・やりたくないけど、やるしかない。・・・
「よりあい」が特養建設に乗り出した理由は、まじめに言うと三つある。
理由その一。施設が使えなくなった。
・・・
理由その二。介護を取り巻く事情が変わった。
「よりあい」は、ぼけたお年寄りの生活を支える施設である。もちろん、ここで言う「支える」は「管理」を意味する言葉ではない。起床から就寝まで、誰かが決めたプログラムで完全に管理されながら生きるなんて、そんなの誰だって嫌に決まっている。ぼけたお年寄りだってそれは同じだ。「一人の生活者」として生きたいと思っている。
だから「よりあい」はお年寄りの目線に立って「生活」を考える。・・・住み慣れた自宅での生活が少しでも長く続けられるような支援をまず最初に考える。・・・ぼけたお年寄りを施設に囲い込み、見えない存在にしてしまうのではなく、僕らと同じこの社会で暮らせる環境を整えようとする。そうすることで、老人介護の問題を日常の世界に返そうともする。
それが「よりあい」の基本的な姿勢であり、「ぼけても普通に暮らしたい」の意味するところでもある。
・・・
「通い」を始めたお年寄りは、いつしか「泊まり」を必要とするようになる。・・・家族としては、見知らぬ施設に預けるよりも「よりあい」にお願いできたらという話になる。家族の気持ちもよくわかる。見知らぬ施設に泊まることになれば、お年寄りが夜中抱えるだろう混乱と緊張は容易に想像できるからだ。
通所施設として認可されている「よりあい」は、その「泊まり」を「自主事業」で行ってきた。「自主事業」でやる以上、介護保険からの報酬は当然ゼロである。つまりそれは「まるで儲からない事業」ということだ。・・・
なぜそんな真似をしたかについては、介護保険制度の仕組みを長々と説明しなくてはいけなくなる。まあ簡単に言ってしまえば、今の制度を使ってしまうと、そうした家族の要望に対応しづらい仕組みになっているということだ。それぐらい今の介護保険制度は、利用者や施設の意向からずれたものになっている。きっと何を言っても聞こえないふりをする横着なバカがつくった制度なのだろう。
まあそれはともかく、・・・「泊まり」の利用が急速に増え始めて以降、そして「住む」という状況に限りなく近いお年寄りが増え始めて以降、「よりあい」の経営状態は目に見えて悪化していった。
理由その三。職員が疲弊した。・・・
P196
完成した図面には、素人でもひと目でわかる大きな特徴が、少なくともふたつあった。
ひとつは広いデッキだ。三十畳もあるウッドデッキが、カフェのあるボロ家まで延びてつながっている。・・・このデッキが存在することで、どこまでが施設でどこからがカフェなのか、その境界も曖昧になっていた。そしてそこを曖昧にしたところに、実は設計の肝があった。
それはつまりこういうことだ。
人は施設に入った途端、まるで社会から姿を消したように「見えない存在」になってしまう。・・・地域交流スペースを持つ施設も増えてきた。けれど、そこに出入りする人は少ないと聞く。理由は簡単だ。多くの人にとって「そこが遊びに行きたい場所じゃないから」だ。・・・それに「交流」という言葉を施設側から持ち出されると、人はどうしても荷の重さを感じる。・・・
だから交流なんかしなくてもいいと僕らは思った。僕らがこのデッキに望むことは、少なくともそういうことではない。「気配」がなんとなく混ざっていればそれでいいのだ。・・・
僕らにはボロ家のカフェがある。そこにはお客さんがたくさんやってくる。
カフェにやってきたお客さんのおしゃべりが特養にも聞こえてくること。それが大事だ。・・・ぼけたお年寄りがデッキを伝ってカフェにふらふらやってくること。それが大事だ。・・・
広いデッキをボロ家につなげたのは、・・・施設を社会から切り離すのではなく、施設が社会と、社会が施設と、ゆるやかにつながっていること。それが「よりあい」の作る特養の佇まいだ。
P234
職員はボーナスが出ると、その一部を「よりあい」にカンパしていた。もはやここまで来ると、お金とは一体なんなのか、その意味するところさえよくわからなくなってくる。
今でこそ何とも思わなくなってしまったが、そのことを初めて知った四年前、僕は相当うろたえてしまったことをよく覚えている。いくら世情にうとい僕でも、介護職の給料が安いということぐらいは知っていた。ボーナスだってそんなにたくさんはもらっていないはずだ。にもかかわらず、職員はまるでそうすることが普通であるかのように、気前よくカンパしていたのだ。
・・・
そういう資金作りをしていると、不思議なことが起こるようになる。「少なくて申し訳ないのだが」と寄付の申し出があるのである。あらまあ、そうですかぁと油断していると、ときどきとんでもない額が入金されていたりして、腰を抜かすことになる。何かの間違いじゃないのか―おそるおそる確認の電話を入れると、その人は笑いながらこんなことを話す。
「いやぁね、こないだ講演会に行ってジャムを買ったんだけど、それがなかなかおいしくてさ。聞けばおたくの職員さんが仕事の合間に手作りしているっていうじゃないか。そうやって施設を建てるお金を作ってるとか、足りない給料を補ってるとか、ちょっと感心してね。なにかその足しにでもなったらいいなぐらいの気持ちなんで、どうか気にせず受け取ってもらえないかな」
そんな気持ちのいい人がこの世にいて、そんな気持ちのいいお金がこの世にはある。そういう瞬間に立ち会えると、爽快な風がすぅっと吹いて薄いカーテンを揺らすのを見たような気持ちになる。幸運なことに、僕はそんな瞬間に何度か立ち会うことができた。
P270
「よりあい」は介護を地域に返そうとしている。老いても住み慣れた町で暮らすには、もうそれしかないと考えている。人と人とを自然な形でつなげ、顔見知りの人を増やしていくことで、そこに「困ったときはお互い様」というセイフティネットを作ろうとしている。
けれどそれは口で言うほど簡単なことではない。一度崩壊してしまった「ご近所づきあい」は、もう元の形では再生できないし、疑似的な再生を目指そうにも、即効性のある手段などひとつもない。
逆に問題を抱えた人間をどこかに追いやるのはとても簡単だ。電話一本、苦情ひとつで何かが動いて片付けてくれる。・・・しかしそれで「ほっと胸をなでおろすような安心」を得ても仕方がない。それは「本当の安心」なんかじゃないからだ。いつか自分が逆の立場になったら、途端に不安だらけになるという「暫定的な心の平静」に過ぎない。・・・
村瀬孝生はそこをどうにかしようと考えているようだ。この「よりあいの森」という場所を使って、何ができるのかを考えている。地道に時間をかけてそれをやろうと、少しずつ動き始めている。そのひな形を作るのに、きっと五年かけるつもりなのだろう。僕の友人はさらに白髪を増やすことになりそうだ。・・・
