訳者あとがきに、どうして実話にそんなに興味を持つのか?という質問に対する、オースターの答えがありました。
「きっと僕は、『現実の成り立ち方』ともいうべきものに心底魅了されているんだと思う。つまり、物事が実はどうやって起きているのか。人生の出来事がどのように生じるのか。そして、これは僕がいつも感じることなんだが、新聞やテレビでは、さらには小説でも、物事の真相が歪められているんじゃないか。現実が持っている、不思議で、意外な本質に、本当に向きあってはいないんじゃないか」
P10
一九七二年、私の親しい友人が法律上のトラブルに巻き込まれた。その年彼女はアイルランドにいて、スライゴ―の町からさして遠くない小さな村に住んでいた。・・・嫌疑の内容はかなり深刻で、これは弁護士が必要だということになった。友人はいろいろ人に訊いてまわり、ある弁護士の名前を教わった。翌朝私たちは自転車に乗って、その人物に相談にのってもらいに町へ出かけた。驚いたことに、彼の勤務する法律事務所は、その名をアーギュー・アンド・フィブズ(Argue and Phibbs)といった〔*Argueは「言い争う」、Phibbsはfibsと綴れば「けちな嘘」〕。
これは本当の話である。もし疑う人がおられたら、スライゴーへ行って、私のでっち上げかどうかご自分の目で確かめられるといい。この二十年、私もよくこれらの名前を思い出しては、一人で口もとをほころばせてきた。アーギューもフィブズも実在の人物だと証明できるとはいえ、両方の名が組み合わさって、いっそう痛快なジョーク(何しろ弁護士稼業をとことん茶化している)を生み出しているという事実には、いまだに感じ入ってしまう。
P27
・・・友人Rが、ある珍しい本との出会いの話を聞かせてくれた。知られざる傑作と言われるその本をRは読みたくてたまらず、何か月ものあいだ書店を漁り、カタログをひっくり返したが、本はいっこうに見つからなかった。それがある日の午後、ニューヨークの街を歩いている最中に、近道をしようとグランドセントラル駅に入り、ヴァンダビルト・アベニューに出る階段をのぼっていると、大理石の手すりのそばに立っている若い女性が胸に一冊の本を抱えていた。それは彼がいままで必死に探していた本だった。
ふだんは見知らぬ他人に話しかける人間ではないが、その偶然に圧倒されたあまり、Rは口を開かずにいられなかった。「信じてもらえないかもしれませんが」と彼はその若い女性に言った。「僕はずっとその本を探していたんです」
「それはよかったわ」と若い女性は答えた。「私、たったいま読み終えたところなの」「その本、どこへ行けば買えるかご存知ですか?」とRは訊いた。「欲しくてたまらないんです」
「これを差し上げます」と女性は答えた。
「でもそれはあなたのでしょう」とRは言った。
「私のだったんです」と女性は言った。「でも私はもう読み終えました。あなたにこの本をあげるために、私は今日ここへ来たんです」
P28
十二年前、私の妻の妹が台北に移り住んだ。・・・私が当時コロンビア大学の院生だった妻と出会う、一年ほど前のことである。
ある日、私の未来の義妹が、アメリカの友人と話をしていた。この友人もやはり中国語を学びに台湾に来ていた。話題はやがて母国にいる家族のことになり、それが次のような会話に展開していった―
「ニューヨークに住んでいる姉がいるの」と私の未来の義妹は言った。
「私にもいるわ」と友人は答えた。
「アッパー・ウェストサイドに住んでるの」
「私の姉さんもよ」
「私の姉さんは西一〇九丁目に住んでるの」
「嘘みたいだけど、私の姉さんもよ」
「私の姉さんは西一〇九丁目の三〇九番地に住んでるの」
「私の姉さんもよ!」
「私の姉さんは西一〇九丁目の三〇九番地の二階に住んでるの」
友人は大きく息を吸って、言った。「絶対噓だと思うでしょうけど、私の姉さんもよ」
ニューヨークと台北ほど、たがいに遠く隔たった都市もない。二つの都市は地球の反対側にあり、距離にして一万五千キロ以上離れてて、一方が昼のときもう一方は夜だ。たったいま知った驚くべき結びつきにつくづく感じ入りながら、台北にいる二人の女性は、自分たちの姉がおそらくいまこの瞬間に眠っていることに思いあたった。マンハッタン北部の同じ建物の同じ階で、二人の姉はそれぞれ自分の部屋で眠っていて、世界の反対側で誰かが自分たちの話をしていることなど、つゆ知らずにいる。
隣人同士ではあれ、姉たちが知りあいではないことがやがて判明した。二人がようやく知りあったとき(二年後)には、どちらももうその建物に住んでいなかった。
私もそのころにはすでにシリと結婚していた。ある晩、二人で知人に会いに出かける途中、少し時間に余裕があったので、ちょっと立ち読みをしにブロードウェイで本屋に寄った。・・・シリが私に何か見せようと思ったか私がシリに何か見せようと思ったかで(どちらだかは思い出せない)、一方が相手の名前を大声で呼んだ。するとまもなく、一人の女性が私たちのところに飛んできた。「あなた方、ポール・オースターとシリ・ハストヴェットでしょう?」とその女性は言った。「ええ、そうです。その通りです。どうしてわかったんです?」と私たちは訊ねた。そして彼女はおもむろに、彼女の妹とシリの妹が台湾で学生仲間だったことを話してくれたのである。
環はついに閉じられた。十年前のあの書店での晩以来、その女性は私たちのもっとも親しい、もっとも友情に篤い友人の一人でありつづけている。
P42
一九九〇年、私はふたたびパリに数日滞在した。ある日の午後、友人のオフィスに立ちよると、彼女の知人だという、チェコ人の女性に紹介された。・・・こっちが入っていったとき向こうはもう帰るところだったので、・・・我々はべつに大した話もしなかった。・・・
彼女が帰ってから、私の友人は椅子の背にもたれかかって、「よくできた話を聞きたい?」と言った。
「もちろん」と私は答えた。「よくできた話はいつだって歓迎さ」
「あの人は私も大好きよ」と友人は言葉を続けた。「だから誤解しないでね。あの人についてゴシップを広めるつもりじゃないのよ。だた、あなたには知る権利があるような気がするの」
「本当に?」
「ええ、本当よ。でもひとつだけ約束してちょうだい。もしこの話をどこかに書くとしたら、名前はいっさい出さないで」
「約束する」と私は言った。
・・・
私がたったいま会った女性は、戦争中プラハに生まれた。まだ赤ん坊のころ父親が捕らえられてドイツ軍に強制徴用され、ソ連の前線に送り出された。彼女と母親のもとには、それっきり何の連絡も届かなかった。・・・戦争は父親を呑み込み、父は何の痕跡も残さずに消えてしまった。
何年かが過ぎた。少女は大人になり、学業を終えて、大学で美術史を教えるようになった。・・・
・・・あるクラスに、東ドイツからの交換留学生がいた。彼女はこの若者と恋に落ち、やがて二人は結婚した。
結婚式のあとまもなく、夫の父の死を知らせる電報が届いた。翌日、夫妻は葬儀に出席するため東ドイツへ向かった。目的地―どの町かは不明―に着くと、いまは亡き義父がチェコスロバキアで生まれたことを彼女は知った。戦時中ナチスに捕らえられてドイツ軍に強制徴用され、ソ連の前線に送り出されたというのである。そして奇跡的に、義父は生き延びた。ところが、戦争が終わってもチェコスロバキアには戻らず、新しい名前を使ってドイツに住み、ドイツ人の女性と結婚して、その新たな家族とともに死ぬまでずっとドイツで暮らした。戦争は彼に人生を一からやり直すチャンスを与えたのであり、どうやら彼は過去をいっさい振り返らなかったらしい。
夫の父がチェコスロバキアでは何という名前だったかを訊ねた彼女は、その答えを聞いて、彼が自分の父親であることを悟った。
彼は夫の父親でもあったわけだから、言うまでもなく、彼女が結婚した人物は、彼女の弟でもあったのである。
