こちらは宙組男役だった風馬翔さん。
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人にはそれぞれ、苦しい時に向かう場所がある。海を見に行くか、賑やかな街へ出るか、行きつけの店か、話を聞いてくれる友人の家か。晴れやかな喜びの時だけではない、どん底にいる自分をも受け止めてくれる場所。
「人生で一番苦しかった時、私はお稽古場に行きました」
公演の開演前、そして終演後も、彼女はダンスのレッスンに通った。
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「悲しいことがあった時も、鏡の前で踊ると心が救われました」
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「私にとって踊りは、喜びでもあり悲しみでした。お稽古場は私を強くしてくれる、優しくしてくれる場所です」
踊りは、彼女にとって、あらゆる感情の表現だった。踊りなしでは生きられないというほど、なくてはならなものになっていた。
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2018年に宝塚歌劇団を卒業した後は、ダンスのインストラクターや、数多くの舞台で振付師、振付助手を務めるなど幅広く活動している。
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元月組トップスターである大地真央さんの大ファンだった母の影響を受け、幼い頃から宝塚を観劇していた。「宝塚に入れば、歌と踊りだけをやって暮らせる」という母の言葉に魅力を感じた彼女は、勉強よりも芸事に興味を持っていった。
小学校1年生の時からバレエを習っていた風馬さんは、中学生になると宝塚受験を見据えてジャズダンスのスタジオにも通い始めた。他の受験生と一緒にレッスンを受けたものの、ライバル感情剥き出しの女の子たちの雰囲気が怖くて仕方がなかった。それに、受験のためのレッスンでも「踊る喜び」がより先走って、
「先生からは、『野原の中、裸足で踊ってるんじゃないのよ!』ってよく叱られました」
マイペース過ぎるその様子が、目に浮かぶようなお小言だ。
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宝塚音楽学校では1年目の生徒を予科生、2年目の生徒を本科生と呼ぶ。予科生の時に見学した本科生のダンスの発表会で、とあるシーンに彼女は心を奪われた。その時のことを語る風馬さんは、「うまく言えないのですが」と幾度も口にした。言葉にはできない、それは彼女の心の中に起きた奇跡だった。
そのダンスシーンには、「振付師の先生が生み出した宇宙がある」と感じたという。まさに雷に打たれたような衝撃だった。
この日以来、風馬さんの目標は、「スポットライトを浴びるスターになる」ではなくなった。「私は、踊りで生きていく。それも、尊敬する師匠についていくんだと決めました」
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風馬さんが研2という若さで黒燕尾のダンスシーンに参加したのは、2009年に上演された博多座公演のショー作品「Apasionado‼Ⅱ」だった。
このダンスシーンは、劇場全体が緊張感に昂る中、黒燕尾を着た男役たちが一斉に踊る。宝塚のレビューのフィナーレには、不可欠な場面だ。
これには風馬さんが苦手だと感じた「不自由な踊り方」が多く必要なのだが、その振付を受けた彼女はまたしても雷に打たれるほどの衝撃を受けてしまった。
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「全然できない。だから、面白い!これこそが人生だと思いました」
それが、風馬さんの感想だった。
「たとえば『手を出す』という振り。それはただの『動作』ではなくて、踊る人自身の全てがそこに出る。『足を高く上げる』だけじゃなくて、それは生き様なんです。私はそれまで、そんな踊りをしたことがなかった」
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男役として、どう踊るのか。博多座公演での体験をきっかけに、猛烈な勢いで研究を始めた彼女だったが、またしても苦心することになる。
宝塚の魅力のひとつが、一糸乱れぬ群舞である。ダンスの技術があるだけでは、うまくいかない。それどころか、飛び抜けてダンスがうまい人は、全体の波を壊してしまうこともあるのだ。
・・・背が高い上に人並み外れた跳躍力を持っていたため、ジャンプをする振りでは1人だけ遅れているように見えてしまった。しかし、そこで諦める風馬さんではなかった。
「高く跳んでも、着地のタイミングを必ずみんなと合わせる。踊りの波を揃えながら、いかに自分らしく踊るか、いつも考えていました」
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風馬さんのお話を伺っていて、少し不思議に感じることがあった。
多くのタカラジェンヌが抱く「目指した役や立場に到達できない悔しさ」……そういうことを、彼女は一言も口にしないのだ。
それほどダンスに打ち込んでいたならば、一列でも前、目立つポジションで踊りたいと願ってもおかしくない。だが風馬さんに、そんな拘りはなかった。
「どこにいても、私にとっては自分の踊る場所が舞台の真ん中だったんです。だから、踊るポジションが気になったことはなかった」
それは決して「自分が主役」というプライドではなく、むしろ正反対に、彼女はこう考えていた。
1列目の端は、全体の額縁。前列にいる時は力みすぎずに。後列からは前に向かってエネルギーを押し出す。トップスターの近くでは、より呼吸を感じて……。どんな場面でも、彼女は自らの役割を理解して舞台に立っていた。
「宙組の出演者とお客様の思いが通じ合っているなと感じられる時。そういう舞台は心地良いし、やりがいがありました」
ファンの方からの「格好良い」という褒め言葉には、正直戸惑ってしまったという風馬さん。反対に、嬉しかったのは「楽しかったです」「笑顔になった」「舞台から伝わってくるものがありました」という言葉が聞こえた時だった。
「私は、誰かの心が動くのが好きだったのかも。お芝居も歌も、何をしても、観ている人に楽しんで欲しいなって、いつも思っていました」
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そして、自分は「踊り脳」だと、彼女は語る。心と身体から自然に湧き上がってくる表現が、風馬さんにとっては踊りだった。演技や歌に取り組むと緊張してしまうが、「これがダンスならどう踊るか」と置き換えてみるとうまくいく。たとえば、お芝居が好きな人は、振付を「お芝居ならばこう動きたい」と考えて練習すると表現しやすいということだ。
「私にとって踊りは呼吸、生きることですから!」
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宝塚に在団中、私はこんな話を聞いた。「この前退団した風馬翔くんって、全国を回って日本の踊りを勉強しているんだって」
少し大袈裟な噂だったのではと疑いつつその話について尋ねると、彼女はこともなげに言った。
「ああ~、そうなんです。『人が踊る根本的なエナジー』を知りたくて、卒業してすぐ旅に出ようと決めていました」
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・・・まっさきに訪れたのは沖縄だった。そこで見た伝統舞踊エイサーに、彼女はすっかり魅了されてしまった。
元タカラジェンヌだとは打ち明けず、「ここで勉強させてください!」と直談判した。エイサーの演舞団体の人たちは驚きながらもその情熱を認め、彼女にすぐバチと太鼓を持たせてくれた。全身に痣ができ、筋肉痛になりながら必死でエイサーを踊り込み……わずか1週間後、なんと舞台デビューを果たした。
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「私はただやる気を伝えて真剣に取り組んだだけでしたが、そんな私をあたたかく受け入れてくれるんやって、感激しました」
踊ってお給料が頂けたことも自信になった、と彼女は明るい声で付け加える。
「それまでは、宝塚の宙組が何より大切な私のチームでした。これからは自分の気持ち次第で、こんなに良い仲間と巡り合えると知ることができた。ここで学んだことは、とても大きかったです」
約2ヶ月を過ごした沖縄滞在の後半まで宝塚出身であることを隠していた彼女だが、実はエイサーの仲間に宝塚ファンの方がいたことが分かった。「ここに来た時から、元宙組の風馬さんに似てると思ってたんだよね」と打ち明けられて、「なんだ、バレてたのか!」と大笑いしたという。
それからの1年間、・・・全国の踊りを見て回った。・・・
「踊りは、人間から自然に出てくる、生まれるものだって分かりました。嬉しそうに生き生きと踊る人たちを見ていると、そこには『なぜ踊るのか』なんて難しい理由はないように感じました」
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宝塚を卒業した後、振付助手やダンス講師など、踊りに関する仕事が次々と風馬さんの元に舞い込んだ。自らが表舞台で踊ることよりも裏方の道を選んだのは、踊りが好きという他にもうひとつの理由があった。
「人が好き、教わることも教えることもめっちゃ好きで、そのやり取りが最も密なのがお稽古場だと思うんです」
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現在、風馬さんは様々な舞踏の研究と習得を続けながら、宝塚歌劇のスタッフとしての仕事も多くこなしている。・・・
「教える立場としては、自分が元気で、エネルギー満タンでいることが大切。いつも全力で、踊りを伝えられる状態でいたいですね」
自らを育ててくれた宝塚に深く感謝しているからこそ、宝塚が内包する夢の世界を守り抜きたいと静かに語る。
「そんなのは綺麗事かもしれません。でも私は、その綺麗事をやってみたい。この人生において、宝塚の清らかなところを守り抜きたい」
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「綺麗じゃないものも、この世界には必要ですよね。たとえば人間にとって害のある菌でも、自然や他の生き物にとっては必要な菌の場合がある。雑草なんて無い、とも言います。だから、綺麗事もそうじゃないことも、きっと一緒なんです」
