雑草学研究室のお話、色々と興味深かったです。
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それにしても、主体的に考える授業って、どんな授業なんだろう?
悩む瓜成さんに、私は、あるプログラムを紹介してみることにした。
それは私が食育をやっていたときから懇意にしているM川大学のF先生が発案したプログラムだ。
・・・
・・・私はスーパーマーケットでたくさん野菜を買ってくると、水槽にたっぷりと水を入れておいた。
・・・
「それじゃあ、さっそく始めよう」
私はスーパーの袋の中から、ピーマンを取りだした。
「ピーマンは水に浮くと思う?」
「浮くと思います」
「じゃあ、やってみるよ」
私はピーマンを水に浮かべてみた。ピーマンは水に浮かんだ。
「浮かぶよね。じゃあ、サツマイモは?」
「沈むと思います」
サツマイモを水に浮かべようとすると、サツマイモは沈んでいった。
これは、浮力を学ぶためのプログラムである。
たとえば、サツマイモを小さく切ったら浮かぶだろうか?
浮かぶか沈むかは、大きさではなく、比重の問題である。そのため、小さく切っても沈むものは沈む。
ところが、F先生のプログラムは、浮力を学ぶだけにとどまらない。
たとえば、キャベツは浮かぶだろうか?
それでは、カボチャはどうだろう。ブロッコリーはどうだろう。浮かぶだろうか?
こうして、予想を立てながら、野菜が浮くかどうかを試していくのである。
身近な野菜に興味を持つとともに、「主体的に考える」ためのプログラムでもあるのだ。
・・・
「次はこの野菜を試してみたい!」と好奇心は高まり、子どもたちは主体的に活動を行っていく。
ちなみにキャベツとカボチャとブロッコリーは浮かぶ。
サツマイモやニンジンは沈む。
それでは、浮く野菜と沈む野菜の共通点は何だろうか?
やがて、子どもたちは、「土の上にできる野菜は浮かび、土の下にできる野菜は沈むようだ」という答えを自ら導き出すというプログラムだ。
瓜成さんには、F先生のプログラムの概要をあえて教えないで実験を続けてもらう。
私は、瓜成さんに聞いた。
「沈んでいったサツマイモは、植物の根の部分だよね。それじゃあ、地面の下にある茎は浮かぶかな?」
たとえば、 ジャガイモは根ではなく、茎が太ってできている。地面の下にあれば、茎でも沈むだろうか?
「沈み……ますよね」
瓜成さんは、少し自信がなさそうだ。・・・
試してみると、ジャガイモは沈んだ。
「それじゃあ、タマネギはどうだろう?」
「タマネギも沈むと思います」
「じゃあ、やってみるよ」
試してみると、タマネギは浮かぶ。
「そういえば、サラダを作るとき、水にさらすとタマネギは浮きますよね」
瓜成さんは気づいたようだ。
下手な知識よりも、自分の経験の方が考えるヒントになることもある。
・・・
「でも、タマネギはどうして……?」
「もしかして、瓜成さんはタマネギが地面の下にできていると思ってない?」
私は言った。
「スマホで『タマネギ畑』を検索してごらん」
「あっ!」
瓜成さんが、短く声を発した。
そうなのだ。じつはタマネギは地面の上の地際にできる。一部は地面に埋まっているが、そのほとんどは地上にあるのだ。ちなみに、タマネギの食べる部分は、鱗茎と呼ばれるが、茎ではなく、実際には、鱗片葉という葉が肥大したものである。
じつは、このプログラム、野菜のことを専門で学んでいる農学部の学生にとっても、十分楽しめる、優れたものなのだ。
・・・
「じゃあ、細い雑草の根っこはどうなんでしょう?」
「うーん、どうなるんだろうね?」
・・・
結論を先に言おう。
雑草の根っこも沈む。
しかし、このとき私と瓜成さんが実験した結果、浮かぶ根っこと沈む根っこがあり、本当のところ根っこが浮かぶのか沈むのか、結局わからなかった。
・・・
どんな根っこが浮かぶのか?・・・瓜成さんとの実験中、喧々ガクガクやっていると、声がうるさかったのだろうか、隣の部屋から他の学生たちがやってきた。
「じゃあ、自分たちが解きましょう」とばかりに、雑草の根っこを浮かべ始めた。
・・・
ワイワイガヤガヤ、にぎやかに議論し始めた。
新たな雑草を取りに行く学生もいる。
根っこを浮かべてみるという単純な実験なのに、雑草を専門に学んでいる学生たちが興味深そうに、楽しそうに勝手に実験して、勝手に話し合っている。
ふだんはスマホに出てくる情報にばかり頼り、受け身がちな「指示待ち型」の学生まで、先頭切って取り組んでいるから、私は笑ってしまった。
これは、本当に探究的学習に使えるかもしれないぞ。
そして笑った後で、反省した。
私が指示待ち型とレッテルを貼っている学生が「指示待ち型」だったのではない。
彼はこんなにも楽しそうに実験に取り組んでいる。足りなかったのは、その好奇心を引き出せなかった私の方である。私が彼を指示待ち型にしていたのだ。
私はそれを「雑草の根っこ」に教わった。
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進化学者のダーウィンは、こう言っている。
「もともと分けられないものを、分けようとするからダメなのだ」
自然界のすべてのものに区別はない。
しかし、それでは人間は困る。
人間の脳は、複雑なものを単純化して理解することが得意である。そのため、さまざまなものを分類して区別することで物事を理解しようとするのだ。
・・・
植物の分類も同じである。
図鑑の分類は、時代によって変化したり、国によって違ったりする。
植物の分類というものは自然界の摂理ではない。
自然界の摂理を理解しようとして、人間が勝手に決めていることだ。
その昔は、見た目で植物を仲間分けしていた。・・・リンネの分類である。
やがて、見た目だけではなく、進化の順番で古いものから新しいものへ、そして祖先が同じものを同じグループとして分類するようになった。
最初は、単純な花から複雑な花へ進化したと考えて、植物を分類していた。これは新エングラー体系と呼ばれる分類法だ。・・・
ところがその後、複雑な花から単純な花へ進化したと考えられるようになった。そこで、この考え方に沿って作られたのがクロンキスト体系である。
世界では、新しいクロンキスト体系が取り入れられていったが、日本のように、この分類を採用しなかった国もある。・・・
そして、そうこうしているうちに新しい分類方法が提案されたのだ。
それが見た目ではなく、遺伝子で分類する方法である。この方法は、APG植物分類体系と呼ばれている。この方法は、最初のうちはあまり相手にされていなかったが、遺伝子の解析の精度が高まってくると、見る見るうちに、採用されていった。
そして、見た目で区別していた分類が大きく見直されるようになったのである。
たとえば、哺乳類のイルカと魚類のサメはまったく別の種類だが、見た目はよく似ている。それは、「早く泳ぐ」という目的のために進化した結果、似たような姿に進化をしてしまったのだ。これは「収斂進化」と呼ばれる現象だ。
じつは、植物でも同じようなことが起こっている。
見た目は似ていても、まったく別の種類であるということが普通に起こっていたのである。
たとえば、タマネギは古くはユリ科に分類されている。その後、新たにネギ科が設けられ、ネギ科に分類されたが、今ではネギ科は廃止されて、ヒガンバナ科に分類されている。
タマネギは、何ひとつ変わっていない。昔からタマネギである。
しかし、人間の分類方法によって、分類が変更されてきたのだ。・・・
