心はどこへ消えた?

心はどこへ消えた? (文春文庫)

 面白くて、するすると読んでしまいました。

 

P60

 昔、いわゆる「エリート」と呼ばれる30代女性のカウンセリングをしていた。ショートカットの黒髪が美しい彼女には高度な社交能力があった。・・・だけど、彼女には定期的に人間関係をリセットするという問題があった。何度も職場を変えていたし、友人も、パートナーも一定期間を経ると総入れ替えしてしまう。・・・それをなんとかしたくて彼女はカウンセリングを受け始めた。

 カウンセリングは当初、気持ちのいいものだった。彼女の話は分かりやすく、私が伝えた解釈はすべて「そうかもしれない」と受け入れられ、そこから彼女は深い洞察を導き出した。自分が有能なカウンセラーになった気分がした。

 そうやって話をしているうちにわかってきたのは、彼女は精神の病を抱えた不安定な母親のもとで育ったことだ。そして、幼い頃から母親の気分を敏感に汲み取ることを続けてきたことだ。それに失敗してしまうと、傷ついた母親は混乱し、彼女のことを激しく攻撃した。だから、彼女にとってコミュニケーションは命がけでなされるものだった。それを面接室でも行っていたのだ。

 だけど、カウンセリング開始から1年が経つ頃、様子が変わった。その頃、彼女は職場の人間関係で揉めていた。珍しいことだった。いつもの彼女ならスマートに受け流せることが、できなくなっていたのだ。変化が起きている。命がけで社交をしてきた彼女にゆるみが生じている。そう思った。

 だから、私は伝えた。「少し油断するようになったんじゃないですか?」彼女は「そうかもしれない」といつものように答えた。だけど、いつもと違って彼女は沈黙した。うまく飲み込めないようだった。そこで、私は重ねて伝えた。「そういう自分に戸惑っているんだと思う」

 すると、彼女は爆発した。「違う!」怒鳴られた。「私が『かもしれない』って言ってるときは、『違う』って言ってるの!なんでわかってくれないの!」

 完璧すぎる仮面の下にあった激しい怒りが露わになった。彼女はもう気持ちのいい人では全然なかった。黒髪は逆立ち、口汚い言葉が溢れた。だけど、それこそが重要なことだった。なぜなら、それはまさに彼女がカウンセリングをリセットすることを考え始めていた時期だったからだ。

 洗練された社交の裏には、洗練されていない思いがたくさんあった。関係が深まり、それが漏れ出しそうになったとき、彼女は人間関係をリセットしてきたのだ。彼女に必要だったのは、気持ちよくない関係でも一緒に居続けることで、それこそが母親との間でできなかったことだったのだ。

 それからのカウンセリングは血みどろと言ってもよいようなつらいものになったが、だけどその時期を経て彼女は恋人と同棲を始めることができた。関係が社交を超えそうになるとき、リセットではなく、一歩踏み込んだ関係になろうとチャレンジできるようになったのだ。

「出会い」を意味する❝Encounter❞という言葉の語源は「敵と出くわす」なのだそうだ。他者は潜在的に敵でありえて、私たちを傷つける可能性を含んでいる。・・・

 ・・・

 だけど、危険な他者は栄養でもある。RPGではモンスターと戦わないと、レベルが上がらず、仲間も増えない。敵かもしれない他者と辛抱して付き合って、あるときその人が友であり味方であると気がつく。少なくとも敵ではなかったと知る。そういうことの積み重ねが、私たちの心を深くしてくれる。だから、彼女は「なんでわかってくれないの!」と叫んだのだろう。安全なカプセルから一歩踏み出し、他者を求めたのだ。・・・

 

P174

 カウンセリングとコーチングは歴史的に祖先を同じくする親戚みたいなものなので、似ているところも結構ある。だけど、一点だけどうしても同意できない点がある。彼らがしばしば使う「カウンセリングはマイナスからゼロへ、コーチングはゼロからプラスへ」というキャッチコピー。これに異論がある。

 言わんとすることはわかる。カウンセリングは「病気の人」を、コーチングは「健康な人」を対象にしているという話なのだろう。確かにカウンセリングは心の中の「傷ついた部分」に焦点を当てる傾向があり、コーチングは「健康な部分」に焦点を当てる傾向があるから、一理ある(実際はケースバイケースなのだが)。だけど、カウンセラーとして言いたい。心の変化とは決してマイナスからプラスへという数直線をたどるようなものではない。心の定規はグニャグニャと曲がりくねっている。

 中立を期すために、ここで霊能者の話をしよう。

 何を隠そう、私は大の霊能者ファンである。・・・大昔、韓国の済州島に行ったときには、「ポサル(「菩薩」に由来すると聞いた)」と呼ばれる霊能者に会いにいった。

 ・・・

 ポサルになるまで、彼女はずっと不幸だった。貧しい家庭で生まれ育ち、まだ幼い頃から働きに出た。そして若くして結婚し、出産を経験したのだが、夫は働かない。それどころか、夫は酒を飲み、暴力を振るい、浮気をして、出ていってしまう。だから、子どものために彼女は昼夜問わず必死に働き続けなくてはならなかった。もちろん無理がくる。ポサルは体を壊し、働くことができなくなる。人生がにっちもさっちもいかなくなり、いっそ死にたいと思う。そう、心を病んだのだ。

 しかし、真の物語が始まるのはここからだ。その頃から彼女は盛んに夢を見るようになった。その夢には霊や仏、神々が現れ、金縛りにあう。何かがおかしい。だけど、何がおかしいのかわからない。混乱した彼女を見かねた親戚が、町のポサルのもとへと連れていく。すると、先輩ポサルは一瞬で見抜く。「これは神からの使命だよ」治りたかったら修行をしてポサルになるしかない。そう告げられる。

 とんでもない!ポサルになんかなりたくない!彼女は強く拒絶する。だけど、相変わらず夢を見続け、体は悲鳴を上げ続ける。しょうがない。とうとう観念した彼女は修行をはじめる。神や霊と交流できるようになる。すると、症状は徐々に収まっていく。気づけば、彼女はポサルになっている。市中に小屋を構えて、日々霊的な問題を抱えた人たちのために占いや儀式を行い、生計を立てるようになっている。

 超要約してしまったが、こういうことだ。不幸の果てに病んだ彼女は、ポサルになることで癒された。だけど、彼女は言う。「絶対に子どもはポサルにだけはしたくない。こんなにつらい仕事はないよ」「なにがつらいんです?」私は尋ねる。「霊はしんどい。心も体もつらくなる。毎日やめたいと思ってる。だけど、やめようとするともっとつらいことが起こるから、やめられない」神の使命だから、逃げられないのだ。それでも、最後にこう付け加える。「でもね、いいこともあるよ。あなたとこうやって会えたからね」ポサルは笑う。「お金もいっぱいくれたもんね、今日はラッキーだよ」それもまた人生なのだ、そう言っているようだった。

「心が癒される」というと、「温泉につかってリフレッシュ」みたいなイメージがある。張りつめた心をゆるめて、元に戻す。そういうイメージだ。疲れているときはもちろんそれでいい。だけど、本当に追い詰められ、病み、そしてそこから回復していくときには、以前の自分に戻るのではなく、また別のことが起こる。あのポサルがそうだった。彼女はポサルになりたくはなかったけど、心身の不調をなんとかするために、ポサルになるしかなかった。追い詰められた人生を、それまでとは全く違った方向へと転換したのだ。

 心の定規はグニャリと曲がる。何がプラスで、何がマイナスなのかの基準自体が組み替えられるということだ。なぜなら、心が病むのは、それまでの定規では、自分自身の人生に起きていることを肯定できなくなってしまったときだからだ。そういうときに、ポサルや、カウンセラーや、コーチが必要になる。それまでの人生におけるマイナスとプラスを揺らがせ、代わりに新しいマイナスとプラスをもたらす。心の治療がうまくいくとき、心の定規は曲がる。すると、以前にはマイナスであったことがプラスに見え、プラスであったことがマイナスに見えてくる。心が変わるとは、そうやって生き方が変わることを言うのだ。

 ただし面白いのは、その新しい定規がどういうものであるべきかが、カウンセラーとコーチとポサルでそれぞれに見解が違うことである。つまり「何がプラスなのか」が心の治療者によって違う(個人個人でも違う)。だから、人によって合う合わないがあるし、心の治療者同士はしばしば商売敵になる。だけど、それでいいと思うのだ。私たちの生きている社会では、正しい生き方は一つではなく、心の定規は複数あった方がいいと思うからだ。

 というわけで、心の治療者同士は潜在的にライバルで、互いにしのぎを削っている。なので、実はこの文章も中立よりかは若干カウンセリングびいきになっている気もするので、読者の皆様、どうかご注意ください。