ふむふむ おしえて、お仕事!

ふむふむ: おしえて、お仕事! (新潮文庫)

 いろんな職業の人へのインタビュー、仕事内容もお人柄も、面白かったです。

 

P57

 本書の主旨は、「特殊技能を活かして仕事をしている女性に会いにいこう!」なのだが、自然と裏のテーマも見えてきた。それは、

「己れの物欲にいかにして勝つか」

 ということである。く、苦しい。この戦いは苦しいぞ。お会いするひとがみな、人間として魅力があるのはもちろんのこと、いや、それゆえに、作っているものもすごーく魅力的だからだ。

 この章でお話しをうかがったのは、染織家の清水繭子さんだ。清水さんは、草木で糸を染め、その糸で布を織っている。

 ・・・

清水 欲を言えば、草木の色からできた着物を着たひとが、そのひとの内面から美しく見えるような着物を作りたいんです。

三浦 そういう作品づくりのために、心がけている点があったら教えてください。

清水 私ができるのは、草木がどうなりたいかを素直に聴いてあげることじゃないかなって。「草木から色をいただく」と言うのは簡単だけれど、きちんと受け取らなきゃいけない。それを私はできてるのかな、と。もっと言えば、染織家としての作家性を前面に出すよりも、むしろ自分を透明な存在にして、着てくださるひとに届けたい。「私はこうしたい」というところで納得してしまってはいけないと思うようになりました。だからいま、千二百本の糸を使って絣を織るときに、私がすべてをコントロールせずに、自然に任せる部分を作っています。どういう仕上がりになるか私にもわからない。もちろん集中するし力は注ぐけれど、ある一点からさきは糸に任せて織りあげます。

三浦 作品からどうやって、作者自身の主張を削いでいくか。ちょうど私もそんなことを考えているところだったので、おっしゃることはよくわかる気がします。

 

P97

 この章では、女流義太夫三味線・鶴澤寛也さんに登場していただくことにした。

 ・・・

三浦 はっきりプロになろうと思った瞬間を覚えていらっしゃいますか?

寛也 瞬間というより、あまり行かなかった大学も卒業が迫ってきて。自分の母のことを思うと、専業主婦でなんでもしてくれたんだけれど、そういう人生に満足してなかったような、本当はちがう人生を歩みたかったような、そんなオーラが出てたんです。それで私は、専業主婦にはならずに自分だけのものを見つけなくちゃいけない、という強迫観念が生まれて、追いつめられた挙句、「あ、これだ!」と思えた義太夫の世界に飛びこんだんでしょうね。本来は良妻賢母型だったんですけどねえ……(しみじみ)。

三浦 ……まあ、それはともかく。

寛也 なにがともかくですか。

三浦 いや(笑)、おかげで女流義太夫界は有望な新人を得たのですね。企業への就職とか、お父さまのように教師になろうとか、そういう選択は考えませんでしたか?

寛也 組織というものが苦手なので、会社員にはならないかなあと思っていました。教師のほうは、だって教職を取ってないですから。ろくに大学行かずに単位ぎりぎりの卒業でしたから。

 ・・・

三浦 三味線のプロになる、女流義太夫の世界に入るということについて、おうちのかたの反応はいかがでしたか?

寛也 身内に教師とか医者が多い、堅い家でしたから、大反対されましたね。趣味でやってるならいいけど、職業にするのはみんな大反対。

三浦 不安ももちろんおありだったんじゃないですか?

寛也 不安ねえ……(と遠い目をする寛也さん)。そうそう、すごく不安だった!これまで、こういうインタビューを何回も受けたでしょう?でもどうしても、自分の思いや考えは完全には伝わらない。インタビュアーの主観が混ざっちゃったり、私がうまく説明できなかったりで。だったら、誤解の生じようのない、すごーく単純化したわかりやすい物語を作っておけばいいんだ、とあるとき気づいたの。「入門に際して、不安なんてありませんでした。芸に一直線でした」と。その物語を繰り返し語るうち、本当に自分には不安なんてなかったみたいに思うようになっちゃってたわ、あはは。

 

P203

 ・・・この章では、発生学を研究しておられる中谷友紀さんにお話しをうかがうことにした。……発生学って、なんだろう。・・・

 ・・・

中谷 ホヤも実は、私たち人間に近いような発生メカニズムを持っていた、ということですね。ホヤの発生のメカニズムは、以前はこう説明されていたんです。「筋肉になる因子や脊索になる因子が、ホヤの卵のなかのどこかに、あらかじめある。細胞が分裂するときに、筋肉になる因子をもらった細胞だけが、筋肉になる」。でも私の研究から、そうじゃないとわかった。たとえば、将来脊索になるのは、卵のなかのこの位置の細胞だ、と決まっています。ではどうして、それらの細胞は脊索になるのか。実は、隣にある細胞から、「あなた、脊索になりなさい」というシグナルが出ている。シグナルを出す細胞自身は、脊索ではない組織になっちゃう。つまり、脊索になる因子を、細胞がどこかからもらってくるのではない。隣りあった細胞同士が、「きみは脊索になれ。俺は脊索にはならず、ほかの組織になるから」と、やりとりするんです。ヒトの細胞でも、同じようなことがしょっちゅうあるんですけど。

三浦 ほえー。細胞って、ものすごく協調性があるんですねえ。

中谷 細胞がみんな勝手に、「俺は神経になるぞ!」「俺もだ!」「おー!」って言ったら、全身が神経だけになっちゃったりして、困りますからね。もっとすごくなると、隣の細胞ではなくて、「僕からこれぐらい離れている細胞は、神経になっちゃダメだよ」「僕から何細胞以内にいるやつは、神経になってもいいよ。それより向こうにいるのはダメ」と、もっと遠くの細胞に向かってシグナルを出す。

三浦 へえー。細胞ひとつひとつに人格があるみたいだ。

中谷 ホヤにはそういうシステムはないと言われていたんですが、「いや、そうじゃない」と、最初に実験的に証明したんです。

三浦 さらっとおっしゃったけど、最初ってすごいですよ!どういう実験をしたんですか?

中谷 脊索になる細胞を一個だけ取りはずすと、脊索にならない。なるはずの位置にある細胞なのに、ならない。でも、お隣の細胞をくっつけておくと、きちんと脊索になる。

三浦 そうか、隣からのシグナルがないと、脊索になれない、ということですね。しかし、細胞を一個だけ取りはずすというのは、いったいどうやって……。

中谷 手作業です。

三浦 えっ。むちゃくちゃ小さいですよね。

中谷 ホヤの卵は、直径が二八〇ミクロンだったかな。顕微鏡で見ながらやるので、全然問題はないんですけど。

三浦 いやいやいや……(驚愕)。

中谷 ガラスの棒をライターの火とかで熱して溶かし、ヒュッと引いて、頭のところに小さな小さな針みたいなものを作るんです。針の部分で、細胞をはじいていく。顕微鏡の下で。これが楽しいんです。これがやりたかったんです、私は(笑)。

 

 道具の実物を見せていただいたのだが、ガラスの棒のさきからピョロッと出た針状の部分は、「納豆の糸か⁉」と思うほど細い。こんなものを手作りするのが、私にはまず無理だ。これを使って、極小の卵から一個だけ細胞をはじくなんて、神業だ。いやはや、すごい。

 

中谷 実験器具なんて手作りが多いですよ。

三浦 まあ、「ホヤの細胞をぐいぐいはじく!」なんて謳い文句の商品があったら、そっちのほうが驚きという気もしますが……。

中谷 みんな自分のものは自分で作って、下手くそな子は下手くそなりに頑張って。まつ毛を使ったりとか。

三浦 え、まつ毛?

中谷 私は主人とアメリカ留学中に知り合ったんですが、彼はセンチュウの研究をやっていました。センチュウの卵をいじるのには、まつ毛を使うといいんです。特に、長くてクルッとしている、外人のまつ毛。彼はいいまつ毛が欲しくなったら、狙いをつけた友だちに、「ちょっとおまえのまつ毛、一本くれ」と言って、もらってたそうです。

三浦 ……みなさん、ちょっとどうかしてますね(笑)。研究にかける情熱が尋常じゃない。

 ・・・

三浦 ・・・中谷さんを研究に駆り立てる情熱は、どこから来ているんでしょうか。

中谷 おもしろいから(笑)。もう本当に、それだけですね。もちろん、たとえばインフルエンザの特効薬を見つけて、多くのひとの役に立ちたい、という研究者もいると思うんですけど。でも、ノーベル賞をとった下村先生は、「クラゲはなんで光るのかな」という好奇心から仕事をはじめた。研究者はたぶん、みんなそう思っているんです。好奇心から。おもしろいから。まさにそれなんですよ。

 

P289

 私にとって、お土産屋さんは憧れの職業のひとつだ。・・・

 そこで、鎌倉のお土産屋さんにお話しをうかがうことにした。

 ・・・

三浦 いつごろから、ここでお店をやってらっしゃるんですか?

コーカン 二十年ちょっとですね。最初に開いたのは、すぐ近くにある「着まま家」って店です。

三浦 長谷を選ばれたのは、なぜですか?

コーカン 私は品川の出身で、ずっと都内に暮らしていました。ニットや染物の専門学校を出て、ぶらぶらしていたんです。ある日、井の頭線に乗っていたら、「海の見える街に住んでいるよ」みたいな中吊り広告があって。「そうか」と思って、ぷらぷらっとそのまま鎌倉に来たんですね。「とりあえず住むところを」と思って不動産屋さんで物件探したら、すぐ見つかって。翌週ぐらいに引っ越してきたんですが、「お金がないや」と思って(笑)。自分で洋服を作っていたので、それをギャラリーのようなところに置いていただくようになったんです。そうしますと、自分の作りたいものばかりを置くわけにいかない。どうしようかなと思いながらお散歩していたら、テナント募集の貼紙があって、それでお店をはじめたんです。

三浦 あのー、もしかして向こう見ずなんですか?

コーカン 幼なじみは、「小さいときから自立してたよね」と言ってくれましたが、まあ、なにも考えていないですね(笑)。