𠮟られる力

叱られる力 聞く力 2 (文春新書)

 阿川佐和子さんの「聞く力」の続編。

 こちらは「ちょっと真面目な、あとがき」の部分です。

 

P239

 喜怒哀楽。

 それは人間の感情の基本です。

 この言葉の初出は、儒学の経典にあたる四書(大学・中庸・論語・孟子)の一つ、「中庸」だと伝えられています。著者は孔子の孫の「子思」という説が有力ですが、定かではありません。その第一章に、

 

 喜怒哀楽之未発 謂之中

 喜怒哀楽という感情が生まれる以前、これを中と謂う。

 

 という件が出てきます。喜怒哀楽とは、外界からの刺激によって起こる心の揺れ動きのことであり、外界と触れる以前、人は皆、どちらに偏ることなく、毅然として真ん中に心を置いていた。これを名付けて「中」と呼ぶ。

 さらに、

 

 発而皆中節 謂之和

 発して皆、節にあたる、これを和と謂う。

 

 喜怒哀楽の感情が芽生えてしまったあとも、それらを節度に従っておさめれば、これを「和」と呼ぶ。

 

 すなわち人間は、できるだけ感情的にならず、常に中庸に戻ろうという信念をもってものごとにあたれという教えと理解できます。しかし私はもう一つ別のことに気づきました。それは、この言葉が生まれたはるか二千年以上の昔から、人々は感情のコントロールに苦労していたらしいということです。そう思うと、これは私ごときが悩んだところで解決のつかぬ問題だと、つい笑いたくなってしまいます。

 たしかに人は、成長するに従って感情をコントロールするよう教育されてきました。かくいう私も常日頃より、尊敬する大人とは、何があっても騒がない、慌てない、カッとならない、泣かない人のことだと信じています。そういう人になりたいと、願い続けて六十年。ちっとも精進できない自分をつくづく情けなく思います。精進するどころか、もしかして退化していると感じることさえあります。人間が歳を取ると丸くなるというのは嘘じゃないかと思うほど。騒ぐ、慌てる、カッとなる回数は歳とともに増え、最近は涙腺周辺の筋肉老化のせいかドラマの予告編を見ただけで涙があふれてくる。もう少し平然としていられないのかね、アガワ君。自分にいくら言い聞かせても、感情コントロールは至難の業です。

 ・・・

 ・・・人間には「喜」「楽」だけでなく、「怒」「哀」も同様に思う存分、発散することが必要なのではないか。幼いうちから四つの感情をバランスよく露呈して、出し惜しみすることなく思い切り泣き、笑い、悲しみ、喜んで、そのときようやく「中庸」の位置を見つけられるのではないでしょうか。私の勝手な見解ではありますが、そんな気がします。