自分のことも周りのことも、そのまんまを大事にできると、健やかだなーと思いました。
P4
この本のタイトルは『私のまんまで生きてきた。』にしました。だってタイトル通り、私は私のまんま、生きてきたんですから。人に迷惑かけないで(声はうるさかったみたいだけど)、自分のやりたいことやって、仕事の依頼がきたらばやって。それで月日が流れてここまで来ちゃった。
高校1年生のとき、勉強も先生も嫌になって学校やめちゃって、父のすすめで文化学院に入って大好きなシャンソンを習いはじめました。でも教室で歌ってるだけだとつまんない。バンドがいっぱいついたとこでお客さんの前で歌ってみたいなと思って、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」のオーディションを受けに行ったんです。そしたらたまたま受かっちゃったの。ダメ元だったから、緊張とか心配とかはぜんぜんしなかった。
そのあと誘われて芸能プロダクションに入りました。レコード4枚出したけど、シャンソンはちっとも歌わせてくれなかった。最後の「カモネギ音頭」っていう曲のプロモーションで、ネギがいっぱい入った大きなカゴを背負って、銀座の歩行者天国をネギ配って歩けって言われたの。私は「そんなことできない」って言って、プロダクションやめちゃった。
あー、楽しい芸能人生活だったなって思ってたら、TBSから「ラジオ番組のオーディション受けませんか?」って電話がかかってきたんです。それで久米宏さんとのラジオがはじまりました。月曜から金曜まで。雨の日も雪の日も。
その久米さんに、和田さんが私を紹介してくれって言ったのね。「あんな人と一緒になったら一生を棒に振りますよ」って久米さんは言ったって。でも結局、私は和田さんと結婚。しばらくして久米さんと会ったら「あのときはこんなすばらしいオシドリ夫婦になるとは夢にも思わなかった」って苦笑いしながら言ってました。
和田さんと結婚したら、いろんな人が家に来るようになりました。ピアニストの八木正生さんもそのうちのひとり。八木さんは私の料理を「おいしいおいしい」ってうんとほめてくれました。それで「レミちゃん、ぼくの次に書いてよ」ってレシピ本のリレーエッセイを依頼されたんです。それまでずっと食通の人が書いてきたエッセイなのに、いきなりただの〝シュフ〟の私よ。読者はびっくりしたでしょう。そこから料理の仕事がはじまっちゃった。今、私が料理の仕事ができているのは、八木さんのおかげなんです。
はじめてNHKで料理をしたときもぜーんぜん緊張しなかった。野心もないし、がんばろうとも思ってない。ダメでもいいじゃん別にさ。ダメだったら和田さんのところに帰っちゃえばいいんだもん。
料理の仕事が軌道にのってきたとき、八木さんから電話があって、そこでやっとありがとうございますってお礼が言えました。受話器を持ちながら、電話の前で何度もお辞儀しちゃったね。そのすぐあと、八木さんは急に亡くなっちゃったんです。
人になにかすすめられたら、絶対やっちゃったほうがいい。なにがきっかけになって成功するかなんて誰もわかんないんだから。それでやってみてうまくいったら、その人にはすぐにお礼を言ったほうがいい。いつお礼を言えなくなるかわかんないから。だから私は父と母に、大好きだよ、大好きだからねって、いっぱい言っときました。
今の時代は、「自分のまんま」で生きていくことはなかなかむずかしいって聞きます。本音だけではやっていけないとか、嘘も我慢も必要だとか。わかる気もするけど、あれしちゃいけない、これしちゃいけないって自分で勝手に壁を作って、動きにくくなっているようなところもあるんじゃないかと思うんです。そういうのを、えい!って、とっぱらってみたら、自然と私はこんな人ですよ~って感じで生きていくこともできるんじゃないかな。
肩肘張らないで、がんばりすぎないで、顔上げて、自信もってさ、「自分のまんま」で生きていきましょうよ、ね。
P19
自分が嫌なことはしない!
嫌な人とは付き合わない!
これだけで、ここまで来ちゃった。
世の中にはいろんな人がいるでしょ。
嫌な人ってピピッとくるのよね。
何十年ぶりで会っても、やっぱり嫌な人は嫌な人なの(笑)。
そういう人とは距離を置いてます。
P20
昔は同窓会に出たこともあったけど、夫や子どもの話題や、誰がどうした、こうした、といった話ばかり。私、ああいうの苦手。おもしろくないから。誰の子どもがいい大学に入ろうが、誰の夫が部長に昇進しようが、そうなの、よかったねって。私は私だし、ほかの人はほかの人。それぞれが楽しい人生を送ればいいの。だから、楽しそうにしている人、楽しい話をしている人って感じいいですよね。
P28
私の辞書には載ってない言葉があります。それは「本音と建前」。建前というのは、言ってみれば「心にもないこと」を言うことでしょ。なんでそんな面倒なことするのって思う。本当のことだけ言えばいいじゃないの。だから、私には裏がありません。あるのは表だけ。テレビに出ているときも、家族といるときも、友人といるときも、このまんま。私が本音しか言えないのは、育った環境によるものだと思います。父も夫の和田さんも、おべんちゃらを一切言わない。気を遣わないといけない人が周りにいなかったからかもね。
P74
和田明日香 レミさんは、濾してざるに残った削り節も、ぎゅうぎゅうしぼりますよね。
平野レミ だってもったいないでしょ!ぎゅうってしぼったら、あと1カップくらいはだしがとれるんだから!
和田明日香 たしかに。それに、しぼった分は特に濃いだしが出ますよね。
平野レミ ほんとはしぼっちゃいけないってのは、知ってるわよ。濁ったり、雑味が出たりしちゃうからね。でもうちは料亭じゃないんだから、濁ろうが関係ないじゃないさ!それに、お吸いもの飲んで「これは雑味がある」なんて言う人、ふつうの家にいないでしょ。そんなこと言う人がいたら、「黙ってかつおだしの栄養をありがたくいただきなさい!」って言ってやりたいね!
和田明日香 怒らないでくださいよ。少なくとも私はレミさんのやり方に1票ですよ。1票どころか、大賛成。
P118
平野レミ 長男の唱が試験前だっていうのに夜、ギターのパンフレットをたくさんかかえて帰ってきて「お母さん、どれ買おうか」って言うから、「ちょっと、明日から試験でしょ!」って言ったの。そしたら唱は、部屋に行って制服着たまんま和田さんのお古のギターかかえて寝ちゃった。私がそれ見て「あーあ」って言ったら、和田さんが「これでいいんだよ」って。
和田誠 あのとき俺が「お母さんが、こう言ってるぞ」ってギターとり上げてたら、今の唱はいないんだよ。
平野レミ そうそう。子どもを信じてたのよね。そのときに思ったの。ああ、和田さん、やっぱりうちの父とそっくりだって。私が高校に行くのが嫌になっちゃって「やめたい」って言ったとき、父は理由もなにもきかないで「いいよ、やめろ」って言った。で、「レミ、いい学校があるから」って文化学院を教えてくれて、私がシャンソン好きだったから好きなことを徹底的にやれって言った。だからあのときの和田さんを見て「そうか、唱にも好きなことやらせればいいんだ」って思った。
P150
和田さんと結婚して6か月ぐらい経ったときに私が書いた日記がついこのあいだ見つかったんです。「今日から日記書こう!」なんていって、新婚の私が書いてんですよ。
「結婚とは一心同体になるもんだと思っていたら、とんでもなかった、大間違いだ。仕事のときの和田さんのまわりにはものすごい壁があって、私はどうしても入れない。和田さんはそんな世界を自分で持ってるんだから、私も自分の世界を持たないと大変だ」
P154
永六輔さんがね、「和田さんの似顔絵は、無駄な線を省いて、目と口と鼻の位置と輪郭だけで、その人そっくりに描くんだよ。だからレミちゃんの、ガーガーうるさいところを全部とっちゃって、本質を見抜いたんだよ」って言ってくださって、すごく嬉しかったなあ。
P160
和田さんって、私よりも私のことを知ってるみたいで、玄関をガチャガチャッて開けたとき、私が沈んだ声で「お帰んなさい」なんて言うと、靴を脱ぐ前に、「どっか食いに行く?」って言う。私が疲れてることがわかるのね。もうありがたくてありがたくて。食べに行ったあと「ああ、おいしかった」って私が言うと、「レミのごはんのほうがおいしいよ」って言われちゃうの。
P166
長男が小学校低学年のとき、「はたらくおとな」というテーマの展覧会のために描いた絵は、飾ってもらえませんでした。飾られていたのは、お母さんがミシンを使っていたり、お父さんがショベルカーを運転したりしている絵でした。息子はゴジラを描いたので、ふざけてると先生に思われたのでしょう。先生もひと言、息子にきけばいいのに。その絵を持って帰ってきた息子に、和田さんがゴジラを描いたわけを息子にきいたら「ゴジラの着ぐるみの中の人は、暑くて汗くさくて重たいよね」と。「うまいなあ、色がすごくきれいだ。展覧会で飾ってくれないんだったら、うちに飾ろう」と和田さんは言って、自分が昔もらった賞状をはずして、その額にゴジラの絵を入れました。今でもその絵はわが家の壁にかかっています。息子はずっと、絵が好きです。
P186
だいすきな両親が私にいっぱい愛情を注いでくれたこと、和田さんと出会って結婚したころのこと、唱が生まれたこと、率が生まれたこと、あーちゃんと樹里ちゃんがお嫁にきてくれたこと、かわいい孫の顔が見られたこと……。みんなのおかげで、私は「私のまんま」でいられるんだなあって思います。
