14歳の世渡り術シリーズの1冊。
このシリーズの本、興味深いものがたくさんあります。
P15
・・・満員電車に乗ったり、締め切りに追われたり、本当に必要なのかどうかわからないものを売ったりして、生きていくのが自分にしっくりこないと感じている人もいるのではないだろうか(私だ)。社会人になったら、どこかの企業に勤めたり、起業したりして、経済社会に参加して、お金を稼いで、それで生活を購入して生きていくことに、違和感を覚えている人がいるのではないだろうか(私だ)。生きることが、まるでお金を稼ぐことになっている社会がつまらないと感じている人がいるのではないだろうか(私だ)。
この本は、もし、私と同じように感じている人がいたら、なにかの参考になるかもしれないと思って、私の体験と考えを書き記したものである。先に書いたように、私は完全な自給自足の生活を何年も続けているわけではない。街でサラリーマンをしながら、できるだけじぶんの時間を山の中で過ごし、最近、山中の廃村に古民家を手に入れて、そこでお金のかからない生活を試みている程度である。
だからこの本は、お金にも文明にも頼らずに自然の中で暮らしたいと思っている人を、完全な自給自足に導けるほどのパーフェクトガイドブックではない、と先に断っておかなくてはならない(期待しないでください)。だが、いろいろな生き方をしていいのだという参考にはなってくれると信じている。
P59
はじめての獲物を獲るまでは苦労した。だが狩猟を始めて三年目(三シーズン目)から、少しずつ鹿を獲れるようになっていった。実際に自分の手で大物獣を殺して解体するという体験によって、さまざまなことを考えた。大物イワナを食べたときに感じたような、正負の入り交じった感情は、自分が獲った肉にもたしかに含まれていた。
狩猟を続けるうちに、「獲ってやる(殺してやる)」という攻撃的な感情ではあまり成果があがらないということを学んでいった。目をつり上げてケモノを探して森を歩いても、ケモノの影を見ることもできずに一日が終わる。だが、あきらめてとぼとぼと帰っていると、突然ケモノに出会ったりする。また、猟銃を持たないハイキングのときの方がケモノと出会ったり、街の疲れを引きずって無理して出猟して集中できないときにケモノに出会ったり……。そんなことが続くうちに、強い気持ちで臨むといわゆる殺気が出るのではないかと考え始めた。犬は飼い主のアドレナリンなどの物質を嗅ぎ分けるという説がある。だとしたらケモノも殺気をなんらかの方法で察知できるのかもしれない。
さらには、天気がよくて風がないときや、低気圧が近づいて雪が降り出したばかりのときなどにケモノに出会えることもわかってきた。そんな経験を重ねるうちに、私は鹿やイノシシの気持ちを考えるようになっていった。狩りたいという気持ちをぶつけるのではなく、ケモノたちの気持ちを考えて、寄り添うほうが、狩りがうまくいくことがわかってきたのだ。
人間以外の動物の気持ちになってみる、というのは、狩猟をする前は考えてもみなかった発想だった。ケモノの気持ちになって、ケモノの目から世界を見てみる。そんなことを狩猟を通してはじめて考え、体験した。
鹿の気持ちになって森に潜み、鹿から見たら自分はどう見えるのか想像してみた。森に潜む鹿から見た私は、猟銃という恐ろしい道具を持って自分(鹿)を殺しに来る人間(ホモ・サピエンス)だった。現代人は地球上でもっとも強い力を持った、食物連鎖の頂点にいる存在なのだ。鹿の気持ちになっている私にとって、鹿を殺しに来る私は、ただ逃げるしかない恐怖の存在だった。
蚊やダニから見たら自分はうまそうな食事なんだろうな、とか、クマから見たらとか、カラスから見たらとか、牛から見たら、とかときどき考えて楽しんでいる。自分という人間がどういう生き物であるのかを、ほかの動物の視点から見るというのは、新鮮で興味深い。人間社会のなかの自分ではなく、地球の生き物のなかの自分を意識できたことで、私の人生は深く豊かになったと感じている。
