五木ひろしさんの名前が、五木寛之さんからきていたとは、初めて知りました。
P60
エレベーターで思いだすのは、かつて、有名なお寺の近くのホテルで、金ピカの衣を着た偉そうなお坊さんと乗り合わせたときのことだ。
私とそのお坊さんと、二人だけが一階から乗りこんだのだ。私は七階のボタンを押したが、そのかたは目的階のボタンを押されないで、悠然となさっている。
「何階でしょうか」
と、おそるおそるたずねたら、
「十階」
と、面倒くさそうにおっしゃった。地下三階のボタンを押そうかと思ったが、やめにしたことがあった。
P67
性格と人格はちがう、と高校生のころ教えられたことがあった。
性格は、その人の持って生まれたもの、人格は努力して形成されたものだという。
・・・
努力する。人格を磨く。頭で考えるよりも、肚で受けとめる。
私はどうもこういう正攻法の人間形成が苦手だった。大人になってからも、自分の性格を磨いて、人格を高めようとは思わなかった。
その結果、九十歳になっても私の人格はまったく向上していない。ただ生来の性格的なものが、年々すこしずつ露呈してくるのを感じるだけだ。
<ああ、人の性格というのは変わらないものなんだな>
と、ことあるごとにそう思う。
<人格は変わるが、性格は変わらない>
と、日々、感じずにはいられないのである。
たとえば先日、ある喫茶店(最近少なくなったが)にはいったときのことだ。
一杯の珈琲をほっとした気分であじわいながら、ふと壁に飾られている絵を眺める。めずらしくルドンの花の絵の複製がかかっていた。ルドンは私の好きな画家である。
ところが残念なことに、その絵の額縁が、少しだけ右に傾いているのだ。
三センチぐらいだろうか。べつに目立つほどでもないくらいの傾き加減だが、どうもそれが気になって仕方がない。
・・・
代金を支払うときに、老マスターにひと言いおうかとも思ったのだが、
「ルドンは首をかしげて見るのがいいのです」
とでも、忠告されそうな感じなのでやめにした。
こういうことを、まったく気にしない人も少なくない。絵が逆さにかかっているのなら問題だが、ちょっとぐらい傾いていたところでどうということもないではないか、と思うタイプの人である。
むしろ世の中には、その手の感覚の持ち主のほうが多いくらいかもしれないのだ。
店を出てからも、そのことが気になって仕方がない。引き返して、アドバイスしようかとも思ったのだが、それこそ余計なお世話というものだろう。
その日いちにち、ずっとその記憶が引っかかって、仕事が手につかなかった。
P76
成功者は、おおむね、
「運がよかった」
と、言う。
「努力したからです」
と、言う人もときにはいるが、まあ、あまり好かれないタイプだろう。
不運つづきで失敗したときは、
「私の努力が足りませんでした」
と言うのが日本的らしい。
繰り返しになるが、世の中に運、不運は必ずあるものだ。残念ながら、あるのである。しかも皮肉なことに、不運は続いて起きるものである。それに対して、幸運は、なかなか連続しては訪れてこない。
・・・
人生は決してつじつまが合うようにはできていない。最後まで運にめぐまれない人もいれば、その反対の人生もある。
運は偏ったり、忘れられたりもする。それを正義にもとる、などと非難したところではじまらない。
ではどうするのか。人生案内も、哲学も、信仰も、革命も、そのことを突きつけられたところにはじまるのではないか。
P126
以前中国へ行ってきた人が、
「すごいですね、イツキさん」
と、笑いながら言った。
「中国の劇場で五木寛之と、大きな看板がでてましたよ」
「看板?」
「そうです。横に五木ひろしさんの写真がのってましたけどね」
「どういうこと?」
「五木ひろし、の、ひろしを漢字にしたんじゃないですか。寛之、ほら、ひろし、とも読めるでしょう。ほら、メッシを梅西と書く国ですからね」
「ふーん」
ホントかと疑って業界の人にきいたら、どうやら事実らしい。
・・・
そもそも五木ひろしという芸名の言いだしっぺは、芥川賞作家、近藤啓太郎さんだった。
近藤さんは、五木ひろし氏の恩師である故山口洋子さんの、小説家としての恩師である。
義理と人情の芸能界は、恩師だらけなのだ。
そんなこんなで、近藤さんと、友人生島治郎が麻雀の席で、
「彼の芸名に君の名前を使わせてくれよ。凄い歌い手なんだ。な、いいだろう?ひとつ、うんと言ってくれよ。人助けなんだから。あ、それポン」
などと二人で攻めたてて、いつのまにやら事がすすんでいたという具合だった。
私は単純に「五木」というネームを使うだけだろうと考えていたので、了解したのだが、ほとんど同時期に他のレコード会社からも、五木と名乗る新人歌手が二人出たのにはびっくりした。しかし、実力の差は圧倒的で、「よこはま・たそがれ」だけが独走して勝ち残ったというわけだ。
しかし、問題は名前のほうの「ひろし」である。私は若い頃、CMソングの作詞をやっていた頃から、<のぶ・ひろし>という筆名を使っていた。「寛之」を「ひろし」と読ませるのは、一種の照れ隠しだった。・・・そんなわけで、「五木」はともかく、作詞者としての正式の「ひろし」まで使われるのは納得できずに、山口洋子さんに、
「五木だけならともかく、<ひろし>まで使うのはおかしいじゃないですか」
と、文句を言ったら、山口さんがあわてて、
「えっ、それは存じあげませんでした。どうすればよろしいでしょう」
話をきけば、レコード会社やらプロダクションやら、すべて<五木ひろし>で進行済みだという。
そのゴタゴタは、結果的に山口洋子さんが高価な洋酒を一本もって謝りにくることで、うやむやになった。
私としても、折角、魅力的な新曲で再デビューしようとする歌手の前途にケチはつけたくなかったし、なによりも当の歌い手に、歌手としての独特の才能を感じたからである。
せんじつめれば、CMソング業界ではちょっとは知られてはいたものの、<のぶひろし>の名前がレコード業界ではほとんど認知されていなかったのはこちらの不徳のいたすところ。
いまさらこんな話をしたところで、笑い話にもなるまい。
しかし、この件に関して、これまでさまざまなゴシップめいた話が流れていたので、この際、中国での<五木寛之公演>の件に関して当時の事実を思い出話として書いた。
