ぼくとがんの7年

ぼくとがんの7年

 医師でしかもがんに詳しい方が、がんになったらどのように感じ、考え、判断したか・・・貴重な記録だなと思いました。

 

P121

 ・・・ぼくは余りにも多くのものを背負っている。20代、30代の頃は若さに任せて人生を走ってきた。ひたすら仕事に邁進し、生きるということを深く考えなかった。小児外科では重い脳の障害を持った子に対しても、内臓の病気があれば全力で命を助ける手術をやってきた。では、手術後のその子の人生はどうなるのか。家族は障害を持った子と一緒にどのように生きるのか、そういうことをとことんまで考えることがなかった。

 自分が40歳で解離性脳動脈瘤になり、人生のターニングポイントを迎え、生きることを深く考えるようになった。それとともに家族の長として背負うものが大きくなったように感じる。・・・

 55歳になって自分には家族、社会との間に抜き差しならない深い関係ができあがっている。生きることはつらくないが、重い。その重さの分、簡単には死ぬことができない。自分の人生を整理するということは、とてもじゃないが容易なことではない。

 もし、腫瘍が広がって自分の人生が終わると分かったら、自分はそれを受容するだろうか。それは無理なのではないだろうか。・・・

 たとえ自分が末期状態になって延命治療としての抗がん剤投与を受けて、病院通いが頻繁になっても諦めてしまう必要はない。こんな面倒くさいことはしたくないと文句を言いながら、いやいや病院に行けばいいだけのことかもしれない。死を受け入れるなどという難しい作業を乗り越える必要はないのではないか。・・・

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 頭の中でいろいろな考えがグルグルと回り、自分でも何が結論かよく分からなくなってしまった。・・・

 

P227

 膀胱がんが再発したときや、BCG療法に挑むとき、ぼくはいろいろなことを心配し過ぎてうつ状態になってしまった。それは死ぬことが怖かったからだ。いや、正確に言うと、死ぬこと自体が怖いのではなく、クリニックがどうなってしまうのか、家族にはもう会えないのか、末期の痛みはどうなのか、すべて失うなら何のために生まれてきたのかと考えてしまったのだ。それはつまり、社会的苦痛(クリニック)、心理的苦痛(家族に会えない)、身体的苦痛(末期状態)、スピリチュアルな苦痛(何のために)だったと言える。

 それをどうにか乗り越えることができたのは、一つには妻の存在、そしてもう一つは自己との対話をくり返したことにあったと思う。それでもときどき、死に向き合う苦痛があまりにも大きく、死に対して目をつむり、背中を向けて、逃げようとした。 

 だが、暴風雨が去り、再発の恐怖から逃れたところで恐る恐る目を開いてみると、今までよく形の見えなかった死が、余分な形容詞のつかない姿で見えてきたような気がする。つまり、冷静に自分の死を、必ず訪れる存在として見つめられるようになった。そして死について落ち着いて考えるようになった。

 

P229

 オランダは自由と寛容の国で、個人主義の国でもある。1970年代から安楽死についてくり返し議論がなされ、2001年に安楽死法が成立した。日本では、介護離職ののち親の面倒を見ているうちに、あるいは、老老介護の果てに高齢者を殺してしまう事件がたびたびあり、そうした事件を指して「だから安楽死が必要」という意見がある。だがオランダ人の考えでは、こうした日本的な発想は大変に危険とされている。本人の意思ではなく、家族が介護にイヤになって、家族が安楽死を言い出す危険があるからだ。

 オランダは国民皆保険であり、また福祉も介護も非常に充実している。高齢者は一人(あるいは夫婦)で生活し、子どもに生活の面倒を見てもらうという発想はない。家族介護というものがないのである。そのかわり、人生に寄り添う家庭医の存在がある。こうした充実した老後の環境があるからこそ、安楽死したいか否かの自己決定ができる。オランダの事情を知れば知るほど、日本のように福祉・介護が脆弱な国では安楽死はあってはならないということが分かってくる。

 また、オランダのキリスト教カトリックではなくカルヴァン派といわれるものである。個人は聖書を通じて神とつながる。間に教会はない。すると個人は聖書の言葉とともに、自分の内面を一人で厳しく見つめることになる。究極の孤独とも言えるこうした宗教のあり方が、自分の死をめぐる自己決定につながっていくのだろう。

 

P241

 がんになってよかったかと、よく考える。端的に言ってしまえば、よくなかった。・・・精神的な重圧はかなりきつかった。・・・

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 その中で多くのことを学んだ。一つは、がん治療を専門としているはずの自分が、当事者になると論理的な思考ができなくなることである。あるときは事態を過剰に悪い方へ捉えて悲観し、あるときは根拠もなく楽観的な考えを自分に言い聞かせようとしたりする。患者の心がここまで弱いとは思わなかった。

 そして、患者と医療スタッフとの関係性についても学んだ。前にも触れたが、心の弱った患者のケアをしてくれる医療者が病院にはいない。医師から見れば、がんという病気は成人診療においては日常疾患だ。いちいち患者の心の内を聞いている暇はないのであろう。・・・

 入院中に、看護師さんから精神的なケアを受けることもなかった。どこの病院でも同じだが看護師さんは忙しすぎる。・・・この過酷な仕事をしている看護師さんに、さらに病気の悩みを聞いてもらいたいというわがままは、さすがに起こらない。そういう意味で患者は孤独だと感じた。

 そして看護師さんの役割の重要性も再認識した。・・・患者にとってナースコールを押すというのは、ものすごく申し訳なくて躊躇する。でも、笑顔で接してくれる看護師さんが担当の時間帯は、ナースコールを緊張しないで押すことができる。

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 患者は医療を選べるように思えて、実は案外そうではない。人と人との出会いは運みたいなものなので、ある程度、運命を天に任せるしかない。医師である自分の立場から言えば、ぼくはもっと患者の心が分かる人間に成長しようと自分の病気を契機に考えた。医者が一人前になるためには生涯をかけて学ぶ必要がある。ぼくもまだ発展途上である。