こういう視点もあるのだなと興味深く読みました。
ちょっと難しいところもありましたが(;^ω^)
P70
私たちは、「時・空間的に不確かな行動決定機構」を備えるからこそ、個体として、決して機械ではありません。不確かな行動決定機構をもたらす、多数の行動決定機構の集合体は、時・空間的に全体として調和し、行動を生成します。では、この「全体として調和する」機構とはどのようなものなのでしょうか。・・・
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個別的な行動決定機構からなる集合体。多くの読者のみなさんは、このような「不確かな集合体」の代表として、細胞を要素とする生物を想像するのではないでしょうか。・・・そして、それら・・・が独自の作用によって結合、あるいは離反しようとしているはずです。そのような相互作用が、事実として・・・進行しているはずです。
・・・私は、この相互作用が見えやすく、多くの人にとって想像しやすい集合体は、「家族」なのではないかと思うのです。
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・・・家族は、そのメンバーが個別に、自由に活動できるにもかかわらず、全体的行動も円滑です。・・・
世界に存在する、あらゆる不確かな行動決定機構の集合体。それは、家族が備える、「個性的な構成員」と、「時・空間的に変化するそれぞれのメンバー間の相互作用」という特徴をもつため、「家族的行動決定機構」と呼ぶのが妥当だと思われます。
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ところで、家族のまとまりは、各人が自由であることで実現されるにもかかわらず、家長がメンバーの行動を厳しく取り締まることで、家族全体のまとまりを実現しようとするという方法論を耳にすることがあります。ただ、そのようなまとまりは、字面上のまとまりの実現なので、まとまった家族が実現されていても、その特質である「個性、柔軟性、自律性」が備わっているとは限らないでしょう。
家長が取り締まることでまとまる家族では、例えば、結婚等によって家を離れた子供は帰省しなくなる、せっかくの旅行でも寄り道一つしないで目的地との間を往復するだけ等、前述の「柔軟性」や「自律性」が損なわれていることがあるのではないでしょうか。
家族のメンバーの自由が、家族のまとまりを実現する。この原理が自然な現象ならば、自然に伝承されてよいはずです。沖縄県内で歌われる八重山地方の民謡「デンサー節」は、まさに、この原理を継承するための伝承歌です。
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・・・沖縄方言で書かれた歌詞の横に、内地の言葉(共通語)の訳が付けられていました。・・・そして、次に紹介する一節に差しかかると、そこにはそれまで私が出会った常識とはまったく違う考え方が示されていて、とても新鮮で、そして妙に納得した気分になったのです。その一節は以下の通りです。
親子美しゃ子から
(親子の良い関係は子の理解が先で)
兄弟美しゃ弟から
(兄弟の良い関係は弟のあり方による)
家内持つ美しゃ 嫁の子からデンサ
(家庭円満な関係は 嫁の育てる子の理解と調和である)
括弧内の訳は訳者によって異なるので、私はあまり参考にしませんでした(もちろん、どの訳もみなさんにとってよい参考になります)。それよりも、歌詞を字面通り「親子の美は子から、兄弟の美は弟から、(おそらく三世代以上の)家庭の美は嫁の子から」と読んで気づくのは、しばしば耳にする「年配の者が年少の者の手本にならないと、集団はうまく機能しない」というトップダウンの世界観とは違うという点です。
「子から、弟から、嫁の子から」の部分は、「子や弟や嫁の子から、厳しく躾なさい」という意味ではないでしょう。では彼らからどうするのか。それは、そのような年少者を「率先して気分よくさせておけ」ということなのではないかと私は思ったのです。ただ、それは「甘やかせ」というのとは違うでしょう。私は、「彼らを自由にさせておけ」と言っているのではないかと思うのです。
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ただ、現実には、怒鳴りたくなる瞬間があると思います。そこを少しだけ我慢すると、自律的なまとまりが、やがて実現されます。我慢の秘訣は、やはり普段からの互いの手放しの信頼と自由の尊重でしょう。その信頼と尊重は、互いを自由にしておき、うるさいことは言わないという態度によって、鍛え上げられるのだと思います。
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「デンサー節が唱えているのは『家族的行動決定機構』である」と気づいたのは、実は、先日、妻が借りてきたレンタルDVDを見たときでした。・・・マイケル・ムーア監督の作品「WHERE TO INVADE NEXT(世界侵略のススメ)」・・・映画は、突撃取材で有名なムーア監督が様々な国を訪れ、その国のよいところを見つけ、その方法論を自国アメリカへ持って帰るという内容でした。
・・・
ネタばれにならないよう、映画の公式ホームページで公開されている内容に限って紹介すると、「麻薬使用が犯罪にならない国 ポルトガル」、「ナイフを所持しているノルウェーの囚人(罪状は殺人)しかも牢屋は一軒家」、「宿題がない国フィンランド しかし学力トップクラス国家」といった具合です。
これらの例を見ていた私は、「これらはいずれも、国が、麻薬中毒者の撲滅、犯罪の抑止、そして学力向上という目的を遂行するために、支障となりそうな麻薬使用者、囚人、学力の低い学生の行動を制限、矯正しようとしたのではなく、むしろ自由にすることで彼らの行動が柔軟に変化することを信じ、結果として国という集団の目的が自律的に達成された例だな」とピンときたのです。
そして、「これらの国は、『家族的行動決定機構』そのものではないか。メンバーの異質性が許され、それによって国という全体の個性、柔軟性、自律性が自然に達成されるのだから。そういえば、家族の中で、子供のような力の弱い者が家族の美しさを作る、みたいな歌を前にどこかで聞いたなあ……。あ、思い出した!それはデンサー節だ!」。このように、デンサー節と家族的行動決定機構が結びついたのです。そして、「これらの国では、国民が家族として明示的に扱われている。国は家族。そうか、『国家』とはそういう意味なのだなと思ったのです。
P126
NHKのある番組のインタビューで、コムアイ氏は以下のように話していました。その内容を聞くと、彼女の歌う楽曲が生命性を持ち、歌う様子がトランス状態のように見える理由がよくわかります。
「おもしろい音楽をやりたいって思ってから歌詞を何にしようかって考えているので、何かこう、伝えたいメッセージがあって歌詞を考えているわけじゃないんですよ。歌詞がもつ、とか、曲名がもつイメージを裏切るような歌詞にして遊んだり……。第一印象というのか、なんかその、初めて聞いた人に、こうひっかかってもらうように、脳裏に焼きついて、こう、ガシッとね」。
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・・・「この平成の時代でいろんなJ-POPが出てきて、もう情報過多なんだと思う。思いとか歌詞とかが十分に氾濫しすぎてて、もうちょっと抜けのいい、ちょっと落ち着いたものっていうか、もうちょっとバカなものが聞きたいというか、膨らんじゃった風船にこう、穴を開けるイメージなんですよね、自分たちがしていることって」。
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・・・「自由のアイコンとして世の中に知られるのはいいことだと思ってますね。それを見てて、見てる人が自由なほうがいいんだなと思ったりとか、引きずられようとか、暴れてみようとか、なんか適当に歌ってみようとか、決まってることを、崩していいんだっていうふうに、すごく、なんかこう、思ってもらえるきっかけになりたいと思う」。
「崩していいんだ」という表現は非常に重要です。決して「壊していいんだ」ではないのです。「暴れてみよう」も、もちろん暴力ではなく、「たまには羽目を外してみよう」ということです。「決まっていること」。それは、本来実在などしないはずの意味を、もっていると思ってしまうことです。
