様々な問題や希望や・・・あらゆることが含まれたお話でした。
P11
浦河で取材を始めた二〇二三年、私は札幌の劇場でインド映画『RRR』を観た(映画の製作は前年)。・・・見終わった後は痛快にして爽快―この映画の底知れぬエネルギーは、私が出会った「彼ら」に通じるものがあった。
ヒンディー・ホッカイドウ・ホースマン(HHH)。
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彼らの物語は、限りなく、ホット(Hot 熱く)で、ホリー(Holy 神々しく)で、ヒューマン(Human 人間臭い)だ。ある意味ヒロイック(Heroic 英雄的)でもある。何より、彼らは日本の競馬をヘルプする者たち。ヘルプも「H」ではないか。間違いなく、彼らは「HHH」だ。
これは、数多ある、サラブレッドの魅力や競馬の奥深さを語る本ではない。
異国のような不思議な町での滞在記であり、国境を越えたり越えられなかったりする私と彼らの友情の物語であり、競馬を知らない物書きによる競馬界への身の程知らずの提言であり、少しでもマシな世界を希求する人たちの声を集めた「祈りの書」でもある。
お読みになったあと、この地球が一つの緑の星であることを思いだしていただけたら、私は(たぶん彼らも)嬉しく思う。
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小さな町のちょっと心温まる話題を、と気楽に取材に入ったら、驚くほど大きな問題と深いテーマを内包していた。二年間の取材は時に迷走し、「どうすべきか」瞑想にふけることもあった。ブッダやヨガ行者のように悟りが開けたとは思わないが、迷走と瞑想を繰り返すうち、乱れたチャクラ(心と体をつなげる気の流れ)が一つになるように、わかったこともある。
「HHHがいなければ、日本の競馬場に勇壮なファンファーレは鳴り響かない」
そして、もう一つ。
「Hを見つめたら、J(日本)もW(世界)も見えてくる」
P172
「ネパールかどこかの獣医を雇ってる牧場があるよ、インド人じゃなくて。そこのマダムが連れてきたんだ」
ある牧場関係者からそう聞いて、私は生産牧場「ガーベラパークスタッド」を訪ねた。
「ネパールではありません。ベトナムです」
本巣隆子さん(75歳)はよく通る声でそう言った。「獣医ではなく、獣医学を学んだベトナム人です」とも付け加えた。
・・・隆子さんは日本語で話していても「エニイ クエスチョン(他に質問は)?」「イグザクトリー(その通り)!」と英語が時おりインサートされる・・・この個性的な話しぶりが、先述の牧場関係者をして「マダム」と呼ばせた由縁なのだろう。・・・
マダムはニ十歳のとき、ニュージーランドの大学で八カ月、獣医学を学んだ。
「貧しい家から留学させてもらったので、必死に勉強しましたよ。・・・」
マダムは浦河町が運営する英会話教室でも長くボランティア講師を務めた。通訳が本職ではないが、海外の馬主が日高のセリに来たときや、米ケンタッキー州の有名牧場などから外国人講師を招いた講習会があると、しばしば依頼を受ける。
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牧場の代表は夫の俊光さん。自宅の隣の本場は、長男夫婦が主に見るが、五キロほど離れたところに分場がある。そこで働くのは、三人のベトナム人だ。
「場長はヒョーという、三十五歳のベトナム人です。四年前に来たときは仕事ぶりがいいとは言えませんでしたけど、去年(二〇二二年)からすっかり別人。よくやってますよ」
ヒョーは私に「前はパチンコばかりしてました」と笑った。彼が改心するきっかけがあった。
「ヒョーと同じころ来たベトナム人が、うちを辞めて十勝の会社に行ったのね。馬の仕事ではないところに。給料が高い、日本語話せなくていい、技術もいらない、って。『そんなバカな話ありますか?やめなさい』って言ったんだけど。その会社にベトナム人の女性がいて、あちこちから引き抜きをしてるんです」
眉をひそめるマダムの横で、俊光さんは日本の入管制度への疑問を口にした。
「入国審査は厳しいけど、入ってしまうとザルなんです。彼らには職場を変える権利がある。以前、技能実習生がひどい扱いを受けても職場を変えられなくて問題になった。そこはわかるんだけど、こっちは時間もお金もかけてちゃんとしたビザを取っている。それなのに入ったのを見計らったように引き抜いていくところがあって、そこには罰則も何もないんですよ」
マダムは入管にも抗議の電話をかけた。埒は明かなかったが、担当者に電話で懸命に訴えるマダムの姿に思うところがあったのか、ヒョーはこう言った。
「『ボク行きません。これからは頑張りますのでここに置いてください』って、私たちに頭を下げたんです。ヒョーも誘われてたみたいなんだけど」
本巣夫妻は、以前から釈然としない思いを抱えていた。浦河の育成牧場には、二〇一五年から、サム氏がインド人の乗り役を入れるようになった。・・・乗り役の在留資格は「特定技能」だ。しかし、育成牧場では、馬に騎乗せず、もっぱら厩舎でグラウンド業務を担う〝乗り役〟も増えていた。厩舎での作業員なら、生産牧場にとっても喉から手が出るほど欲しい。
「生産牧場にも外国人を入れる手立てはないのか?」
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「でも私、見つけたんです。『獣医学』って項目が書かれてあるのを」とマダムが微笑んだ。
外国人の在留資格は二十九種類あるが、その中に「技術・人文知識・国際業務」(通称「技人国」)という資格がある。・・・
「この資格の『技術』という項目に、該当する職種がたくさん書いてあるんですけど、その中に『獣医学』ってあるのを見つけたんです。『これだ!』と思って。通訳とかコンピューターの技術者とか、そういう人たちと同じですからね。この在留資格を使って外国人を入れたのは、全国の牧場でうちが初めてです」
マダムは、有料職業紹介事業許可を取ることも決めた。
「『仲間の生産牧場にも働き手を届けたい』って。『海外のエージェントと渡り合うとき、私の英語は多少武器になるかもしれない』と思って」
札幌の労働局に、事業の内容や規模、責任者となるマダムの履歴書など、たくさんの書類をそろえて提出した。書類審査に通ると、分厚いテキストが送られてくる。それを見ながら講習に臨んだ。・・・講習が終わるとすぐに筆記試験。四択で答える。
「一日で終わるんですけど、朝から晩までびっしりで……。合格率は七割程度って聞いてたから、私は三割の方かと思ってたら、受かったんです」
試験に受かると、労働局による実地調査が行われる。・・・札幌から三人の担当者が訪れたが、調査終了後、そのうちの一人に「何か深いご事情でもあるんですか?」と尋ねられたという。
「間違いなく日本最高齢の事業者だと思います」
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本巣夫妻がその仕事ぶりを絶賛するのが、二〇二三年二月に来日したトン(25歳)だ。・・・
来日したばかりの二月、夜中に馬が柵を壊して外に出てしまった。宿舎には厩舎の様子を映すモニターが付いている。トンはすぐに気づいて、外に飛び出した。馬を捕まえて別のパドックに入れると、朝を待たずに一人で柵を修理した。東京の馬主からもらった菓子をマダムが三人のベトナム人に配ると、トンだけは「とても美味しかったです」と日本語に変換した御礼のLINEを送ってくる。トンの仕事ぶりと人柄に感心した本巣夫妻は、一年目は手取り二十万円、と決めた月給を、来た翌月の三月から一万円アップした。
二〇二三年の秋、浦河から札幌に帰ろうとした私は、・・・放牧地の入り口近くの坂にトンがいることに気づいた。
トンは大きな岩を地面から掘り起こしていた。「ウーン」「クーッ」と声を漏らしながら、長い棒をテコにして岩を上下左右にぐらつかせる。岩が少し動くと、まわりの土をスコップでかき出す。ひたすらその作業を繰り返すトンは、肌寒いのにTシャツ一枚。太い二の腕の筋肉が震える。額から汗が流れていた。何のためにそうしているのか、私にはわからなかった。
「馬、アブナイ」
トンが一度手を休めて言った。
大きな穴をあけた方がよほど危ないと思うのだが、違った。トンはその岩を地中のもっと深いところに埋めようとしていたのだ。岩の先が地面から少し飛び出していたようで、それを馬が踏むと蹄を痛めると危惧した。
「できました」
トンは笑顔になると、前より深くなった穴に土を戻し始めた。
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「こないだベトナムのエージェントのところに行ってきたんです。びっくりしましたよ。前はハノイの小さなオフィスだったのにホーチミンに移って、サイゴン川のほとりの大きなビルの中。日本円で三千四百万円したって。『あなた、どれだけ悪いことしてるの?』って言っちゃいました」
・・・マダムは彼とのエージェント契約を打ち切った。新しく契約した男性は、ハノイの大学で数学を教える教授だった。「自分は教育者で、本業もある。ベトナムの若い人たちを金儲けの道具にはしない」と断言した。・・・
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マダムはこれまで十四人のベトナム人を入国させ、日高の他の牧場にも紹介した。・・・
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生産牧場の仲間を思ってエージェントになったマダムだが、「長時間労働をさせてもらっては困る」と言っても、「いや、何十年も働いている日本人だってそうだから」と聞き入れてもらえない。また、紹介したベトナム人から、牧場主の言動に苦しんでいることを打ち明けられて、やるせなさを感じたこともある。
「自分の子どもが働く身になってごらんなさいよ、って私思うんです。人に働いてもらう環境を作るのが、牧場主の仕事でしょうに」
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本巣家の居間には、武豊騎手を間にはさんで写った、夫妻の写真が飾られている。二人とも若い。アメリカで撮った写真だ。武氏は一九九一年、日本人で初めて海外での重賞レースに勝利する。このとき騎乗したのが、エルセニョール。この馬の共同オーナーの一人が、俊光さんだった。レースが行われるニューヨーク州サラトガを夫妻も訪れた。
「本当は夫だけのはずだったんですが、急きょ私も行くことになったんです。通訳の方がノイローゼみたいになっちゃって」
日本から同行予定だった日本人女性は、英語はできても競馬の用語がわからない。・・・現地の競馬場にはアメリカのエージェントが手配した日本人の大学生が、代りに通訳として来ていた。しかし、やはり専門用語がわからず会話が滞ってしまう。
「追い切り(レースに最高の状態で臨めるよう、その数日前に馬を速いタイムで調教すること)も知らないんです。向こうの調教師さん、気性が激しいエキセントリックな人で、カンカンになって、自分のクレジットカードをへし折っちゃって。それで私が代わったんです」
そのアメリカ人調教師は武氏に「何ハロンまでは何秒、コーナーでは何秒、次は何秒」と細かく指示を出した。武氏は「ハイ」「ハイ」と返事をしていたが、夜ホテルで「胃腸薬はありませんか?」とマダムに尋ねたそうだ。
「でも豊さん、レース本番すごかったですよ。最初のコーナー回ったところで、調教師さん、『勝った!』って叫んで、双眼鏡地面にたたきつけて、ゴールまでまだまだあるのに。『ユタカはグレートだ。言った通りのタイムで来た』って。本当に勝っちゃいました」
