塩見三省さんのエッセイ、興味深く読みました。
P2
それまではまあ順調な俳優人生を送ってきたと思う。ところが、脳出血で左半身に不具合が残って7年経った。5年前からこの身体で少しずつではあるがまたカメラの前に立つこともできている。
病を患ってからは、「人生観が変わり、俳優としても何かしら深くなったのでは?」と人によく聞かれるがそんなことはない。しかし今までよりも俳優としての表現が、そこに向かう喜びが、感謝の気持ちが大きくなったことは事実である。
P158
長嶋茂雄さんはきっとリハビリの先輩として、同じ病の仲間、同志として私に接し続けてくださったのに違いない。そうでなければ信じられない4年間であった。
退院後、身障者として世間に放りだされた私は、どうしてあの過酷なリハビリを続けられたのであろうか。それは週1回、Hリハビリテーション病院に外来で通うようになり、長嶋さんに会えるようになったからである。その頃は心身共に落ち込んでいたが、木曜日のリハビリだけはとても楽しみで仕方なかった。・・・
あの狭い暗く閉じ込められたリハビリの世界から、不具合のある身体をもって以前の私がいた業界に一気に戻って行けたのは、長嶋さんの「シオミさん、どーってことないよ」と言わんばかりの超ポジティブシンキングのお陰だと思う。ナルホド、長嶋さんと少しでも話していると大きな世界に誘われてしまうのである。長嶋さんだけは逢った人にしかわからない雰囲気があると思う。そのオーラを浴びて私は仕事にも戻れたのだろう。
「シオミさん、苦しい時には引いたらダメだよ。そういう時こそグッと前に出るんだ!」
そう力強く言ってくださった長嶋さんが、俳優としての私を、また一軍の試合でバッターボックスに立たせてくれたのだ。
「映画やドラマに戻っても、思い切ってバットを振りなさい」
そう言われているようであった。東京ドームで4万人の大観衆の中、左手一本でバットを持ち果敢にフルスイングされるミスターは、この半身を傷つけた人たちのスーパースターであり、リハビリ界でもレジェンドだ。・・・
2~3回、私が撮影の都合でリハビリを休むと、次の週には「シオミさん、先週はどうしたの?」とありがたくも必ず声をかけてくださった。仕事に戻ろうとする私の意欲と執念をいつも笑顔で喜び励ましてくださった。
・・・
ある日のこと、私はほんの少し弱音を吐いてしまった。
「シオミさんこれも人生だよ……」
長嶋さんにそう言われた時は、堪えきれずに泣いてしまった。すると、そんな私を館内に響きわたる大声で励ましてくださった。
「ガンバレ!ガンバレ!ガンバレ!」
私の胸の内に熱いものがいっぱいに溢れた。
・・・
その後映画が完成して、長嶋さんは公開前の試写会での私の姿をテレビのニュースか何かでご覧になったのだろうか。私の立ち姿についてこう聞かれた。
「シオミさん、あれは何分くらい立ってないといけなかったの?」
「うーん10分ぐらいです」
私がそう答えると、
「駄目だよ、10分ぐらいは頑張らないと。じゃあ見ているから歩いて!イチ、ニイ、サン!」
長嶋さんはそう言うと、いきなり私の「杖なしでの歩き」を見てくださった。私は緊張感で思うように歩けない。足もグラグラし倒れそうになりながらも、なんとか歩く!長嶋さんも首を振りながら大声で掛け声をかけてくださった。
「イチ、ニイ、サン!」
長嶋さんのノックを受けたのは、おそらく監督をなさっていたあの頃のジャイアンツの選手以外では初めてだろう。嬉しかった!
P203
いつ死んでもいいとまでは思っていなかったが、それ相応にその時々を精一杯生きてきた身の丈を知った66歳までの月日であった。しかし病を得て、こうして命を繋ぎ、そこからの7年間の生の軌跡には、それまでの過去の健全な時とはまるで違う世界が横たわっていた。
生き残った時間は壮絶であったが、また心の奥深く芯まで温まる時間でもあった。運を天に任せるということも知った。甘酸っぱい期待、欲望の振幅、愛憎の深さ、人に寄せる信頼の大切さ。絶望と希望、時間の長短、自分を信じること、仕事のこと、価値観。全てが突き刺さるように実感が伴った。言い訳、弁解、素直な気持ち、憎しみ。右脳が壊れたために、回りくどくならない直接的な物言い、行動が際立ってきたのだと思う。
ずっと元気でいて、健康のまま年を取り、周りに迷惑かけることもなく逝くのが良いという人たちが大半であろう。苦しまなくて、死を意識しないで良いのだという。当然の気持ちであろうが、思いもよらず病や不幸なことに出くわし、人生が中断し、もう一度生き直すことになった人間にとって、再生の道は以前のようにはいかなくて苦しむ。
そして、その限りある命を知り、その命を愛しみながらも同時に数ヶ月でも、何年かでも己の死を思い、対峙する。メメント・モリ(死を思う)は人生の終わりに凄く大切なものかもしれない、と思えるようになった。健康な時に思う「死」のように観念的なものでなくて、常に生と死は隣合わせにあり、これから行く未来への緊張感は何をするにも真に生きているという実感であったのだ。
また、少しぐらいは周りに迷惑もかけ、人の助けを借りることも良いのではないかという気になった。・・・
