看取り犬・文福 人の命に寄り添う奇跡のペット物語

看取り犬・文福 人の命に寄り添う奇跡のペット物語

 犬も猫もなんてやさしい・・・あったかいお話ばかりでした。

 

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 2の1ユニットのリーダー・坂田弘子が文福の不思議な能力に気がついたのは、『さくらの里山科』がオープンして2年近く経ったころだった。

「なんだか文福は、今日はずーっと井上ヤスさんのお部屋の前にいますね」

 介護職員どうしの何気ない会話が、坂田の脳裏を刺激した。なにかが頭の隅に引っかかっているのだが、思い出せない。

「ほんとね。なんだか項垂れていて、悲しそうな感じじゃない?」

 え?部屋の扉の前で項垂れている?

 悲しそう?

 それは確か……。

 坂田は半年前のことを思い出していた。半年前に逝去された一条さんの部屋の前でも、文福は悲しそうに項垂れていたではないか?さらにその数カ月前に逝去された三春さんの部屋の前でも……。

 思い出す限り、これまでユニットの入居者が亡くなるとき、文福はいつも部屋の扉の前で項垂れていた。悲しそうにしていた。

 入居者が亡くなったあとのことではない。亡くなる直前のことだ。文福はいつも、入居者が逝去される2~3日前に、部屋の扉にもたれかかるようにして、座っていたのだ。

 心がざわめくのを感じた。続いて心の底から温かい気持ちがわき出してきた。もしかしたら文福には、入居者の最期が近いことがわかるのだろうか?そして入居者を看取ろうとしているのだろうか?

 坂田は、文福の行動を注意深く観察することにした。このときユニットは、入居者の井上ヤスさんの看取り介護態勢に入っていて、大変忙しい状況だった。坂田にも余計なことをしている余裕などなかったが、なにしろ文福は看取り介護の対象である井上さんの居室の前にいるのだ。介護をする際には必ず目に入るので、少し意識しておくだけで、観察は可能だった。

 文福は、それから半日間、部屋の扉の前から動かなかった。ずっと悲しそうに項垂れていた。その様子を見て、職員のあいだにざわめきが広がった。これまで見過ごしていたが、明らかに文福の様子は普通ではない。文福の悲しみが感じ取れた。

 半日が経過したとき、職員が井上さんの部屋に入ろうとすると文福がついてきた。それまでは、職員が何回も出入りしても扉の前から動かなかったのに。いや、そもそも文福は扉を自分で開けることができる。それなのに居室には入らなかった。しかし、なぜかこのときは一緒に入ってきたのだ。

 部屋に入ると文福はベッドの脇に座り込んだ。そして、じっと井上さんの顔を見つめていた。そのまま動こうとしなかった。

「文福、出ないの?」

 もはや水を飲むこともできない井上さんの唇に、濡らしたガーゼを当てて湿らせ、少し顔を拭いたのち、職員は部屋から出るときに声をかけた。しかし、文福は動こうとしなかった。ちらっと職員に訴えるような視線を投げかけたあと、すぐに井上さんに目を戻した。そのままひたすら見つめ続けた。

 ベッド脇での文福の見守りは、やはり半日間続いた。

 この段階になると、坂田の胸のなかには、確信に近い思いが生まれていた。文福は間違いなく、最期が近いことを察して見守っている。これまで可愛がってくれた井上さんに別れを告げようとしているのだろう。あるいは、井上さんがひとりで旅立つことがないよう、最期までそばにいるつもりなのかもしれない。

 翌日、文福はベッドに上がると、井上さんの顔を慈しむようになめた。井上さんの表情が緩む。ワンコユニットに入居を希望したのだから、井上さんも大の犬好きである。意識はなくても喜んでいるのだろう。

 そこから文福は、ぴたりと寄り添った。離れるのは、トイレやご飯のときだけで、ずっと寄り添い続けた。

 翌日、井上さんは穏やかに旅立たれた。文福は井上ヤスさんの最期を看取ったのだ。

 いつも元気いっぱいの文福は、その陽気さと、最高の笑顔が入居者に愛されている。普段は寂しそうな様子を見せることはないが、看取り介護の対象者に寄り添うときは切なそうな表情を浮かべる。

 ユニットで、井上さんの次に入居者が逝去されたのは半年後のことだった。そのときも、まったく同じ行動をとっていた。逝去される3日前に、部屋の扉の前で項垂れていた。半日間扉の前にいたあと、部屋に入り、ベッドの脇に座って入居者を見守っていた。逝去される2日前にベッドに上がり、入居者の顔を慈しむようになめ、そこからはずっと寄り添っていた。

 その次の方も、さらに次の方も、文福がベッドに上がり、顔をなめて、寄り添い始めてから2日以内に逝去された。

 文福はただ単に入居者の最期を察知しているだけではない。明らかに入居者の最期に寄り添うという意思を持っていた。

 坂田はこの文福の看取り活動を見るたびに、深い感動を覚えていた。

 文福は保護犬、つまり保健所で殺処分予定だった犬である。死の寸前で、動物愛護団体の『ちばわん』に救われたのだ。

 ちばわんと出会ったとき、文福は保健所の最終部屋にいた。最終部屋とは、殺処分の一日前の部屋である。・・・

 明日はもう生きられない。それを察知した文福の顔は暗くひきつっていた。・・・当時、ちばわんが撮影した文福の顔は、現在の陽気な文福とは似ても似つかないものである。・・・

 そんな悲惨な体験を持つ文福が、今は献身的に高齢者を看取っているのだ。

 かつて人間に捨てられ、命を失いかけたにもかかわらず、人間の最期を看取るために全力で尽くしてくれるとは。・・・

 

P152

 トラは不思議な魅力のある猫だった。

 決して美猫ではない。それどころか、正直に言って見かけはお世辞にも綺麗とは言いがたかった。野良猫時代にケガをした左耳の半分は手術でカットしてある。持病の肺炎のためいつも鼻水を垂らしていて、目やにもひどかった。顔立ち自体はなかなか可愛いものの、鼻水と目やにのために台無しになっていた。

 そんな状態であるにもかかわらず、トラに会う人は一発でその魅力の虜になった。・・・

 人間が大好きなトラは、見学者が来ると喜んで足元にすり寄っていく。・・・

 ・・・

 ペットセラピーの専門家が見学に訪れた際、トラと入居者の様子を見て感嘆して言ったものである。この子はどんな訓練を受けたセラピードッグもかなわないアニマルセラピーを行っていると。・・・

 そのなかでも、もっともトラに救われたのが斎藤幸助さんである。斎藤さんは、猫好きの入居者が揃っている2の3ユニットのなかでも一番の猫好きだった。子供のころから長年にわたって飼ってきた猫は、実に50匹以上!・・・

 しかし、奥さんが亡くなったのをきっかけに新しい猫を迎え入れるのをあきらめ、数年後に最後の猫が虹の橋に旅立ってからは、猫と一緒に暮らしていなかった。斎藤さんはみるみるうちに元気をなくし、さらに認知症を発症してしまった。・・・

 父親の状態を心配していた息子さんは、猫と一緒に暮らせる特別養護老人ホーム(特養)がオープンすると知ると、真っ先に申し込んできた。・・・

 斎藤さんが初めてユニット玄関の扉を開いたとき、小さな猫がトコトコと走ってきた。斎藤さんの脚に身体をこすりつけ、可愛い声でニャアと鳴いた。その瞬間、斎藤さんの顔が輝いた。比喩的表現ではない。一緒にいた職員が驚いたほど、鮮やかに顔色が変わったのである。・・・

 そして、斎藤さんの認知症は入居してしばらくすると、劇的な改善を見せたのである。どんよりと曇っていた目に、強い意志の光が灯った。いつもぼんやりとした表情だったのが、イキイキと躍動する顔に変わった。

 身体能力も大幅に改善された。認知症の影響で自ら動こうとしない生活が続いたため足腰が弱ってしまい、自宅では半分車椅子の生活になっていたが、ホームでは車椅子が不要になった。手すりに掴まりながら、自分の足でしっかり歩けるようになっていた。

 斎藤さんとトラは最高のパートナーとなった。斎藤さんが椅子に座ると、すぐにトラが飛び乗ってくる。すると斎藤さんは大きな歓声を上げてトラを抱きしめるのだった。

 ・・・

 職員が驚いたのは、リハビリにトラが付き合うようになったことである。生きる希望を取り戻した斎藤さんは、リハビリにも意欲的で、シルバーカートを押して歩く訓練を自らするようになった。ユニットの端から、隣のユニットの端まで50mある廊下を、シルバーカートを押して何往復も歩くのだ。自宅で暮らしていたころからは信じられないと息子さんは驚愕していた。

 そして、斎藤さんが押すシルバーカートのうえには、ちょこんとトラが乗っていた。誰に教えられたわけでもないのに、トラが自ら乗るようになったのだ。斎藤さんがリハビリを始めて、数回後にはもうトラはカートのうえに乗っていた。

 気まぐれなはずの猫が、揺れるカートのうえに何十分もじっと座っているのだ。信じられないことだった。まるで斎藤さんがリハビリをしていることをトラはわかっていて、応援しているように見えた。

 


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