ダライ・ラマの猫 つづき

ダライ・ラマの猫 ネコが伝えてくれる幸福に生きるチベットの教え

 印象に残ったところ、つづきです。

 

P86

「法王様、ご承知のとおり、私は二十年以上にわたりライフ・コーチとして働いてきました。人生の情熱を見つけ、夢を実現し、成功し豊かな人生へと導くために、世界中の数百万人の人々の手助けをしてきました」

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「私は、物質面だけに限らず、さまざまな側面で人生の目的達成のために、人々の手助けをしてきたのです」ジャックは続けた。「彼らのユニークな才能や魅力の活かし方や、成功へと導く人間関係の作り方を教えてきました」

 言葉を重ねるほどに、彼の輝きは色あせていくようだった。彼はすっかり小さくなっていた。身体も椅子に沈みつつあった。

「私は、アメリカで、いえ、たぶん世界で最大の自己啓発の組織を設立しました」彼はまるで失敗を自認するかのような口調で言った。「その過程で、私は大成功して金持ちにもなった」

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「成功しても、幸せじゃないんです」法王様は気持ちを察するように彼を見つめた。

「先日のワールドツアーで、毎晩百万ドル以上を稼いでいました。アメリカでは行く先々でいちばん大きな会場を満席にしました。なのに、こんなに空しく感じたことはありません。成功してお金持ちになるように人々を動機づけしながら大勢の人を前に、突然、自分のしていることがまったく無意味に感じられたのです。かつては、成功が私にとっての夢だったこともあります。でも、今は違うんです。

 家に帰ると、まわりの人たちに言いました。休みが必要なんだ、と。しごとをするのをやめました。ひげも伸ばしました。ほとんど家にいて、本を読んだり、庭仕事をしたりして過ごしました。妻のブリーは、そういう私を嫌がりました。彼女はいままでのように、週末はセレブと過ごし、パーティを開いて、新聞の社交欄に登場したかったのです。最初、彼女は私が中年の危機に陥ったんだと思ったようです。だんだんととげとげした雰囲気になっていきました。関係もますます悪化しました。そして、とうとう離婚したいと言いだしたんです。それが、三か月前のことです。今、私は実に混乱していて、どうすればよいのかわからないのです。

 もっとひどいことがあるんですがね。嫌な気分になっている自分が嫌なんです。みな私が夢を生きている、と信じていますよ。私の人生は信じられないくらい満たされていて幸せだ、と。私はそうやって人々を励ましてきました。なぜなら、本当にそうだと信じていたからです。でも、私はまちがっていました。本当じゃなかったんです。いままで、ずっとです」

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 法王様は椅子から身を乗りだした。「あなたが傷つかれていることをお気の毒に思います。でも、別の見方もできますよ。今体験されていることはとても役に立ちます。おそらく、あとになって振りかえると、人生の出来事のなかでいちばんよかったことと思えるようになるでしょう。物質世界への不満は、なんといえばいいのでしょうか……精神的な成長へのエネルギーになってくれるのです」

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「裕福であることがまちがっている、とおっしゃってるわけではないですよね?」

「違いますよ」とダライ・ラマは続けた。「富は力、エネルギーのひとつの形です。よい目的のために使えば、これほど役に立つものはない。ところが、おわかりのように、幸せをもたらすわけではない。最高に幸せだという人たちを知っていますが、貧乏ですよ」

「能力を発揮する生き方についてはどうでしょうか?これも、幸せの原因とはならない、ということでしょうか?」とジャックはもう一つの自分の今までの信念について話題を向けた。

 ダライ・ラマはニッコリした。「私たちにはみな素質というものが備わっています。優れたところがあるはずです。こうした能力を伸ばすのはとても役に立ちます。しかし、お金と同じで、問題は能力そのものではなく、それをどう使うか、なのです」

「ロマンスや愛についてはどうでしょうか?」

 この時点で、ジャックは自分の信条を詰めていた樽の底を抜き、彼ならではの懐疑的な一面があらわになった。

「奥様とは結婚されてもう長いのですか?」

「十八年になります」

「つまるところ」と法王様は手のひらを上に返して見せながら言った。「変化するということ、無常だということです。これは、すべての物事の性質、とりわけ人間関係では顕著ですね。愛情も、もちろん幸せの本当の因にはならない」

「本当の因、というのはどういう意味でしょうか?」

「確かにそうだ、と信頼できる原因、ということです。常にそうであり、例外もない、ということです。・・・」・・・

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「私は生涯を通して自己啓発の福音を説いてきました。なのに、それが完全にまちがっていたのです」

「自分をそんなに責めてはだめですよ」と、ダライ・ラマは言った。「人々がもっと前向きに生きるためのサポートをして、その人たちが周囲によい影響を与えて、自分も幸せになれば、それはいいことです。とてもいいことです。危険なのは、自己啓発が、さらなる自己愛や自己陶酔を増長させてしまう可能性があることです。こういう態度は、幸せの本当の因とはならず、真逆の状態を招くことになります」

 ジャックは、頭のなかをちょっと整理する間をおいてから、こう聞いた。

「幸せの本当の因についてなのですが、自分にとっての幸せの因とは何だろうか、と見つける必要がありますか?それとも、共通する原則というものがあるのでしょうか?物質世界に背を向けないとならないのでしょうか?」

 もっと聞こうとしたが、ダライ・ラマは大笑いして言った。「僧侶になることも、幸せの本当の因とはならないのですよ!」それから、真剣な表情にもどりダライ・ラマはこう続けた。「私たち一人ひとりが幸せをつかむための自分なりの方法というのを見つける必要がある。けれど、共通の普遍的な原則も確かにある。幸せの因には二つある。一番目は、他者を幸せにしたいと願うこと。それを仏教では慈愛といいます。二番目は、不満や苦しみから、他者を解放したいと願うこと。それを慈悲というのです。

 大きな転換は、自己中心的な考え方をやめて、自分ではなく、他者を考えの中心に置き換えること。つまり……なんと言えばいいでしょう、そう、パラドックスなんですよ。他者のためになることを願えば願うほど、自分が幸せになる。結局は、自分を利することになる。私はこれを賢い利己主義と呼んでいるのですよ」

 

P109

「カルマの考え方は、初期のキリスト教では広く受け入れられていました」とテンジンも賛同した。「東洋から、たとえば魚や光輪のような宗教的に重要なシンボルがもたらされましたが」と、ブッダに後光が射している壁掛けを指しながら「シンボルだけではなく、汝の隣人を愛せ、というような慈悲の教えの中心となっている考え方なども、二千年前にかつてのシルクロードを通って入ってきたのではないか、と私には思えるのです」

 客たちの表情は真剣そのものだった。

「ひとつわからないのはね」と女優が言った。「カルマがどこで生成しているか、ということなの。もし、罰したり、報いたりする神がいないなら、そして、アカシックレコード(宇宙に存在するすべての情報の記録)というものもないとするなら、カルマのこうした作用はどこで起きているのかしら?」

「核心をついた質問です」とテンジンは答えた。「それは、私たちの意識の連続体のなかで起きている。体験というものは、普通に考えている以上に主観的なものです。私たちは、出来事を受動的に受けとめているだけではない。いつだって自分だけの現実をこの世界に投影しまくっているのです。二人の人間が同じ環境にいたとしても、それぞれの体験はかなり違いますね。なぜかというと、それぞれカルマが異なっているからなのです」

「因果の法則においては」とテンジンは続けた。「より大きな喜びと豊かさをもたらすための因となる体験を少しずつ増やしていくことができる、逆に、不幸や貧しさや欠乏の因を避けることができるようになる、と言われています。ブッダご自身がこんなふうに素晴らしいまとめ方をされている。『考えは言葉となる。言葉は行いとなる。行いは習慣になっていく。習慣は性格にまで固まっていく。ですから、自分の考えと、その方向を注意深く見つめなさい。すべての生きもののことを気にかけ、その想いから生まれた愛が泉となって湧きあがるようにしなさい。影が身体についていくように、そのように抱いた想いと同じものに私たち自身もなっていく』」

 

P125

 ゲシェは続けた。「だが、苦しみの本当の原因、根本の因は、モノの在り方をまちがって理解しているところにある。対象物や人を、私たちから独立して存在していると思っている。そうしたものには特性や特質があり、それによって魅了されたり、拒絶するのだと思っている。すべては私たちの外側で起きている出来事で、私たちは単にそれに反応しているだけだ、と。まるですべてが外から私たちに向かってくるのだと捉えている」

 二人が無言のまま数歩ほど歩いたところでフランクが聞いた。「なぜ、そのように見ることがまちがいなのでしょうか?」

「その理由はだね、よく見て調べてみると、人にもどんな対象物にも実体がないからだ。私も含めてね。自分自身の心から離れて独立して存在するものなど一つもないのだ」

「あなたが言っておられる意味は」とフランクは語調をいつもより早めて「外には何も存在しておらず、すべて私たちが作り上げている、ということですか?」

「そうではない。しかし、そういう誤解を人々はしてしまう。今言った微細な真理を<縁起>と呼ぶ。これを理解するには相当な勉強と瞑想が必要となる。しかし、これはもっとも重要な概念なのだ。これがわかれば、人生が変わりはじめるからだ。量子物理学の科学者が言ったように、ブッダが教えられたのは、モノの存在のありよう、つまりどのようにモノは顕現しているのか、ということで、ある面では私たち自身の心に依っている、ということになる。これは、ブッダが教えられた三番目の真理で、この智慧は私たちの未来を開いてくれるものだ」