ダライ・ラマの猫

ダライ・ラマの猫 ネコが伝えてくれる幸福に生きるチベットの教え

 猫の視点からの、楽しく読める深い話でした。

 

P19

 ダライ・ラマの存在を感じたこの瞬間のことを、どう言葉にしたらいいのだろうか?

 この「すべてよし」という理屈を超えてやってくる温かな思い、というか感覚は、あとで気がついたけど、まるで自分の本性が限りない愛と慈悲だと初めて知ったときのような感覚だ。ずっと自分のなかにあった愛や慈悲なのに、ダライ・ラマがご覧になったことによって、映しだされるようなもの。ダライ・ラマは人のなかの〝仏性〟をご覧になる。そのとき、特別な啓示を受けて感動のあまり泣きだしてしまう人たちもいる。

 アタシの場合は、別の感動があった。ダライ・ラマのオフィスの椅子でえび茶色のフリースに包まれていると、気がついたことがあった。ネコ好きの飼い主のもとにいるってことに。そうでなければ、ネコにとっての幸せはないわ。

 

P35

 ダライ・ラマの窓辺で穏やかな光のなかに座っていると、一時間、二時間と時がたつにつれ、自分がどんなにひどいことをしたかに気がつきはじめた。大人になるまで、アタシはダライ・ラマが「自分のいのちが大切なように、すべての生きものにとってもいのちは大切なのです」と教えられるのを聞いてきたはずだ。それなのに、たった一回外に出たときにひとつのいのちに注意を払っただろうか?

 生きとし生けるものは幸せを求め、苦しみを避けたいと願っているという真理―ネズミを追っているときそのような考えはまったく頭に上らなかった。ただ本能に従ってしまった。ただの一瞬たりとも、ネズミの立場に立って考えることがなかった。

 ・・・

 法王様が例の問題に触れたのは、帰ってきたその夜のことだった。「何があったか、スタッフが教えてくれてね」とベッドで読みかけの本を閉じて、メガネを脇のテーブルに置き、そばでうとうとしていたアタシに手を伸ばしてつぶやいた。「私たちはね、本能やネガティブな状況に負けてしまうことがある。あとで、しでかしてしまったことを後悔するんだよね。でも、そこで自分をダメな奴、と思うことはないんだ。ブッダたちは、私たちのことを見捨ててはいない。私たちは、失敗から学べばいい。そして行動を変えていくのだよ。そういうことだ」

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「みんな変わることができる、その可能性がある、ということだね。そうじゃないか、ネズミ捕りちゃん?」

 

P48

 ・・・その日の昼食会のお客様は尼僧のロビナ・コーティンさんだった。彼女は主宰する「囚人解放プロジェクト」を通じて受刑者たちが社会復帰できるために長年ボランティア活動を続けてきた。・・・

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「フロリダで終身刑の人たちに瞑想を指導していたときのことです。彼らとは何度も会っていたのですが、そのなかの一人が私にこう聞いたのです。尼僧院では、毎日どんな生活なんですか、とね」

 彼女はちょっと肩をすくめてみせました。「まず、朝は五時に起きて一回目の瞑想をします。五時というのがその彼には早すぎたんでしょうね。刑務所での点呼はもっとゆっくりで朝の七時なんです。私は、こう説明しました。尼僧の一日は朝起きてから夜の十時に解放されるまで、学んで自習することと、自給自足用の野菜や果物を育てるために庭で働くことに重きを置いてきっちりと時間割が決められているのだ、と」彼女はしかめっ面をした。「彼は私の話が気に入らなかったようでした」

 聞いている人たちは笑っていた。

「私は言ったんです。テレビや新聞もなければ、お酒もパソコンもない、って。刑務所にいるみなさんのように、買いたいもののためにお金を稼ぐこともできない。それにもちろん、配偶者が面談に来てくれることもありません、って」

 ダライ・ラマはクスクス笑っていた。

「とてもすごいことを彼は私に言ったの。自分が何を言ってるかわからないままにね。我慢できないくらい大変だったら、いつでもここにきていっしょに居ていいんだからね、って」

 部屋にいたみんなは爆笑した。

「彼は私のことを気の毒がってくれたんですね」ロビナは目を輝かせて言った。「刑務所よりも修道院のほうがよほど状況が悪いように感じたのですね」

 法王様は座った姿勢で前かがみになって考えごとをするように顎を撫でながら「面白いですね!今朝のことですが、尼さんたちがお寺に入る許可書の取りあいをするところを見たばかりです。尼僧は大勢いるのに受け入れる場所が十分ではない。一方、刑務所に目を向ければ、誰も入りたがらない、環境は僧院よりもずっといいのに。このことは、幸不幸は状況によって左右されるのではなく、その状況をどう見るかによるということが証明されていると言えるでしょう」

 みんな、うなずきあっていた。

「どんな境遇にあっても、幸せで意味のある人生を生きることができるのだ、と私たちは心から思っているでしょうか?」

「まさに、そこのところなんです!」とロビナが言った。

 法王様はうなずいて「大部分の人は、今の境遇さえ変えれば幸せになると思っています。しかし、境遇が不幸の原因になっているのではありません。置かれている境遇をどう見るか、によるのです」

 ロビナがこう続けた。「私たちは生徒たちに刑務所を僧院だと思うようにしなさい、と言っています。刑務所のなかにいる時間を人生の無駄だと思うのではなく、自分の成長にとって欠かせない素晴らしい機会だと捉えればいい、と。なかにはこの考えを実践している人たちもいます。彼らの成長ぶりは目をみはるばかりです。人生の本当の意味と目的を見つけることができ、出てきたときにはまるで別人です」

「素晴らしい」ダライ・ラマは微笑みながら答えた。「誰もがこのメッセージを聞くことができたなら素晴らしい―とくに、自分で自分を牢獄に閉じこめている人たちに聞かせてあげたいですね」

 ・・・

 ・・・訪問客が帰ったあと、ダライ・ラマはミセス・トリンチに会って料理のお礼を言おうとしていた。

 ・・・

 ミセス・トリンチはドアに向かい、部屋を出ようとしたが、ドアに手をかけながら、躊躇した。「法王様、質問させていただいてもいいでしょうか?」

「もちろんです」

「もうこちらに来て料理をするようになって二十五年にもなりますがその間、私を改宗させようとなさったことがありませんね。それはなぜでしょうか?」

「なんておかしなことを!」と、ダライ・ラマは大笑いした。安心させるように彼女の手を取り、こう言った。「仏教の目的は人々を改宗させることではないのです。もっと幸せになるための道具を提供しているのです。それによって、より幸せなカトリック教徒、より幸せな無神論者、より幸せな仏教徒となることができるのです。さまざまな実践法があると思います。あなたはそのうちのひとつに習熟していますね」

 ミセス・トリンチは眉を吊り上げた。

「ちょっと粋なパラドックスですね」法王は続けた。「幸せになるための最上の方法は他者を幸せにしてあげることです」

 

P69

 ・・・「マインドフルネスのこの定義がいいね」と彼はテンジンに言った。毎週のように法王に前書きをお願いするためにたくさんの本が送られてくるが、そのなかの一冊を手に取って、読みはじめた。「マインドフルネスとは、今この瞬間に判断を加えずに落ち着いて注意を払うことである」

「明瞭でいいじゃないか?」とチョギャルが読みおえて言うと、テンジンはうなずいた。

「過去や未来の考えや、幻想にはまらないでいるということだね」とチョギャルは付け足した。

 テンジンは「ソギャル・リンポチェ(英語に堪能で欧米人に人気が高いラマ)のもっとシンプルな定義が好きだな」と椅子に座りなおして言った。「あるがままに気づいている」

「フム」とチョギャルはつぶやいた。「心にこれっぽっちの乱れや作為がない、ということだね」

「まさに」とテンジンは強調した。「すべての喜びの基盤だ」

 

P73

 男の人はアメリカ人でマインドフルネスについて研究しているらしい。・・・

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 ・・・「つまり、何をやってるかで幸せ度が決まるのではなくて、やっていることに対して、集中しているかどうかで決まることなんだ。大切なのは、直接その境地に入っている、今ここ、というところにいるかどうかなんだね。物語の境地ではなくてね」と言うと、人差し指をこめかみのあたりでクルクル回し、「実際に今やっていること以外のことを考えているのを物語の境地と言ってみたんだが」

「それって、仏教が常に伝えていることね」と妻も賛同した。

 彼女の夫はうなずいた。「たまにこういう考え方が翻訳されることで誤解されることがあるんだ。このあたりでは仏教をバッジのようにつけてる輩に会うことがあるがね。そういう連中にとっては、バッジはエゴの延長にしかすぎない。自分たちは特別なんだ、とね。彼らは外側に関する手段と思っているんだな。実際は、内側の心の変容に関することなんだ」