てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方

てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方

 田部井淳子さんは「登らせ上手だった」と、引率しながら、適切な声かけや励ましができるので、田部井さんが一緒なら登れる、というお話も、ここには書きとめませんでしたが、印象に残りました。

 

P15

 妻が逝った年の冬、懇意にしていた福島・南会津会津高原高畑スキー場の宿の女将とこんな会話を交わしたことがある。

「私も、ふっと、いるように思うことがあるの」

「そうだよな。いないんだけど、いるように思えるんだよね」

 その女将も似たような境遇だった。5、6年前に夫に先立たれ、今はその宿を1人で切り盛りしていた。

「そうよね。やっぱり、いないけどいるのよね。連れ合いに先立たれると、『大変でしょ』とか『つらいでしょ』とか『力を落とさずにがんばってね』とか、皆いろいろと声をかけてくれる。だけど、そんなにつらいわけでも、大変なわけでもないのよ。つらさや大変さを乗り越えてがんばらなきゃいけない!と思うような歳でもないしね」

「号泣するようなつらさとか大変さって、あまり感じないんだよな」

「田部井さんも同じね。私は夫があの世に逝ってだいぶ経つけど、ホントはもういないけれども今でもいるように思うことがあるのね」

「そうだよな、そこにいるんだよな。ホントはいないのに……、不思議だよな」

 

P81

 結婚前、妻は日本のトップクライマーたちに、最初はそれこそ手取り足取り教えてもらうように谷川岳などの山々に通い詰め、少しずつ、着実に実力をつけていった。山仲間には数少ない女性クライマーもいて、妻の相棒は佐宗ルミエさんといった。独身時代に佐宗さんとは谷川岳の一ノ倉沢中央稜の冬季登攀を果たすなど、精力的に登っていた。

 妻は女性クライマーとして山仲間の間で少しは知られた存在になり、まさに山と岩の実績を、日に日に積み重ねていくさなかにあった。

 ところが、私と妻が結婚したのと同じ年の秋、佐宗さんが、谷川岳の一ノ倉沢5ルンゼで上から落ちてきた仲間をとめようとして滑落し、還らぬ人となった。もっとも信頼していた山のパートナーの死だった。

 私も山仲間の遭難死は何度か経験したことがある。そんなときは、山に向かうことの是非、そこで仲間が遭難死したことの事実を受けとめきれず、自分をどこかに葬り去ってしまいたいような絶望感にさいなまれる。

 妻も同様だった。これまで何冊も本を出し、自分の山遍歴についてはいろいろなことを語っている妻も、自分の山仲間が山で逝った話はそれほど多くのことは書いていないはずだ。どんなに語り尽くしても理解してもらえるようには思えず、語ったところで、仲間は二度と戻ってこない。行き場をなくした悲しみ、つらさ、憤りなどが、何年も、何年もうごめいていたはずだ。

 

P89

 1970年5月、妻はネパール・ヒマラヤにモンスーンの嵐が吹き荒れる直前にアンナプルナⅢ峰の登頂を果たした。

 その知らせを、私は妻がベースキャンプに下山して、しばらくしてから受けた。今なら、登頂とともに、その一報がベースキャンプはもちろんのこと、送り出した家族のもとにも関係者にも瞬時に届く。そうであれば私も、

「おめでとう!山は下山がむずかしいんだよ。気を抜くなよ」

 などと、少しは気の利いた言葉もかけることができただろう。しかし、当時は、アンナプルナⅢ峰のベースキャンプには無線連絡は入るものの、そこからネパール西部の街・ポカラまでメールランナーが徒歩で1週間はかかる道のりを飛脚のように3~4日で駆け下り、そこでようやく電報を打つ時代だ。その打電をネパール政府、日本の外務省や新聞社が受け、日本にいる私に、

「田部井さん、アンナプルナⅢ峰に登頂したようです!」

 と連絡が入るという時代だった。今思うと笑い話みたいだが、私が登頂の知らせを受けたときは、妻はベースキャンプの片づけに追われていた頃かもしれない。

 ・・・

 日本にいる関係者、またマスコミは沸いた。何しろ日本人で初めての登頂であり、かつ女性では世界で初めての登頂だ。

 ・・・

 ・・・全員登頂できるわけではない。体調やメンタル面すべてにおいて、

「その時、最高に優れている人」

 が隊長に選ばれて登頂することになる。

 女子登攀クラブのメンバーはみな、誰よりもアンナプルナⅢ峰の頂に立つことを夢見てきた。

 ・・・

 選ぶ隊長も選ばれるメンバーも、そして選ばれないメンバーもつらい選択がそこにはある。きっと、

「私は荷揚げ要員だったんですね」

 と憤りを隠せないメンバーもいたはずだ。

「それは男子隊も男女混成部隊も同じではないか」

 という人もいるが、それが女性初、日本人初となると、やはり違う。

 私も妻も、そのことをあまりオモテに出して語ることはなかった。

「女同士って、それはそれで大変なものよ」

 と語る程度で、私も、

「そりゃ、大変だろうな」

 と返す程度だ。と同時に妻は、

「そういうせめぎ合いを乗り越えて隊員を説得できる人が、登山隊には必要なのよね」

 と感慨深げに語っていた。

 アンナプルナ日本女子登山隊、また女子登攀クラブの登山などで、妻は2つのことを覚えたように思う。

 1つは女同士で登る楽しさ、そして気楽さ。

「ホント、着替えもトイレも気楽なのよ。男の人と一緒だったら、こうはいかない」

 といっていた。・・・

 もう1つは登山におけるマネジメントの大切さだ。妻はよく、ザイルパートナーの組み合わせを考えるときは、必ずしも同じ技術レベルの者同士を組ませたからといってうまくいくとは限らない、むしろ技術レベルはまったく違っていても、同じような感じ方をしたり、気がねなくいられる相手であるほうが、精神的に安定し、成果を挙げることができるということを話していた。

 マネジメントの能力を腹の底から理解して、発揮できるようになるには、それなりの経験と年数が必要だろう。遠征の場合は、特にアクシデントが発生したとき、人を責めることよりも、まず、今、いちばんどうしたらよいかを考えられる人、これがいちばん大切で必要な人材なのだということもいつも話していた。