吉田戦車さんのエッセイ、マンガも好きですが、こちらも面白かったです。
P41
「負けめし、勝ちめし」という言い方が好きだ。
「熟考の末にたのんだメニューが、当たりだったかはずれだったか」
という程度の意味である。
自炊や、家族が作ったものに勝ち負けを感じることはあまりなく(たとえおいしくなかったとしてもだ)どちらかといえば外食にともなう感情なのだろう。
店との勝負。そしてその店で食うことを選択した自分との勝負だ。
ドローか、やや押されぎみ程度の勝負ならよいが、完膚なきまでにたたきのめされることもあり、日々外食者は闘技場にいるわけである。
と、ここまで書いたら、さっそく気になる日本語がありました。
「完膚なきまで」。
完膚ってなんだ?
さっそく辞書をひいてみたら、
「傷のない完全な肌。転じて、痛手を受けていない部分」
とあり、文字通りの意味だったわけだ。完膚なきまでにたたきのめす、とは、「無傷の部分がないほど徹底的にやっつける」といった意味であり、なにやら戦国時代を思わせる荒々しさであるが、完勝、圧勝の気配は伝わってくる。
「なきまで」と常にいっしょに使われる完膚だが、もっと明るく、たとえば女湯で「あら完膚」「奥さんこそ完膚」みたいな色っぽい使い方をしてもいいのではないだろうか。
先ほど私は近所の中華料理屋でチャーハンを食べてきたが、勝ちめしだった。
少ない油でぱらりと炒められた、玉子、チャーシュー、ネギのみのシンプルでうまい焼きめし。すっきりしたネギスープと、キュウリと大根のぬか漬けがついて六百五十円。
完全な勝利であり、仕事にも身が入ろうというものである。ちなみにこの店にはかつてラーメンで敗北しており、リターンマッチであった。
しかしよく考えてみると、私の勝利=店の敗北ということは、うまいものをつくればつくるほど負けということなのか?という疑問も出てくる。
まずいふざけたものを出す店が勝利者、というのは納得できず、ここで自分が考え違いをしていたことに気づく。
店は対戦相手ではない。
あくまで自分との戦い。経験と直感と観察力のすべてを総動員して臨む、おのれ自身との立ち合いなのだ。
たとえば、おいしくてとても感じのいい蕎麦屋だって、蕎麦をすすってる鼻先にとなりの席からタバコの煙が流れてきたら、それは負けめしだ。
吸う人を非難する筋合いではなく、残念ながら「時の運」が自分になかったということ。そういう場合もあるということだ。
このように「勝ちめし、負けめし」の概念は非常におもしろく、新たなる戦いを求めれば求めるほど負ける確率も増えてくるが、戦えるうちに戦っておきたいと最近しみじみ思う。敗北のダメージは舌や胃に重いが、まだその痛みは心地よさをともなっている。
ある人間にとっての勝利の条件が、別の人間にとっては敗北になることもままある。
一番わかりやすいのは「量」であり、丼物をたのんだらごはんが一・五合も入っていた時など、大食いの人には大勝利だろうが、ノーマルな胃の人間にとっては残すことが敗北感につながる。
それと似たようなものに「並、中、大がみんな同じ値段」のつけ麺店がある。
並盛りでじゅうぶん満腹な私は、大食いの人より確実に損をしている思いが常につきまとい、打ちのめされるような思いで、となりの人の牛に食わせるような麺の山を見つめることがある。・・・
P67
かつて「ビッグコミックスピリッツ」で『学活‼つやつや担任』という学園マンガを連載していた。
私立高校「いろいろ学園」に勤務する教師、つやつや先生が主人公のマンガであり、いろいろ学園は、いろいろな生徒や先生がいるから、そう名づけたのだった。すみません、くだらなくて。
「いろいろ」はまさに「色々」であって、さまざまな色が世の中にあることから来ている日本語だろう。
つやつや先生は、漢字で書くと「艶々先生」になってしまい、まるでちがうキャラクターみたいでギョッとする。女性教諭っぽいというか。しかし「豊かな色」で艶というのは「色々学園」の教師として、まるで仕組んだかのような符合ではないか!ということに今気づき、昔の自分になんだか感動している。
ムダな感動はほどほどにして、そういえばキーボードで文章を打つ時代になって、様々、とか担々麵、とかの「々」は、なんて読むんだ、どう打てば変換するんだ?と疑問に思った経験、みなさんございませんか?
私はあります。
それまでは、打つ必要がある場合は「少々」などを変換させてから「少」を消す、そういうやり方でしのいできた。同じやりかたの人も多いかもしれない。
しかし初めてパソコンを購入してから十年以上がたってようやく「これは何か固有名詞があるのではないか」という疑問が生じ、ネットの力を借りて調べてみて「おお!」と手をたたいた。
これもまた文字入力ソフトによってちがいはあるようだが、「同」という意味から、「オナジ」「ドウ」と打ちこめば変換できる、ということだった。「々」もそうだし、他のくりかえし記号も変換できる。
PCにくわしい人に失笑されそうな初歩的な知識かもしれませんが、とてもスッキリした気分です。
P77
トラや美女が一瞬で消えるような、大がかりなマジック、いわゆるイリュージョンはやはり魔術と呼びたいけれど、「手品」という日本語もたいへん魅力的だ。
「手から品を出す」から手品ですよ。すばらしい。
同じ意味の古い日本語で「手妻」というものもあるが、これは手から妻を出すわけではなく「稲妻のようなすばやい手さばき」から来ているそうだ。
・・・
そういえば少年時代に愛読していた「マジック入門」には、
「バナナをローソクのように切って、クルミのかけらを芯のようにのせたものを用意し、それに火をつけて『ここに一本のローソクがあります』と言いつつ、いきなりムシャムシャ食べる!」というヤケクソのような手品があった。
やろうとしてみたが、小学生の包丁さばきではバナナをきれいに成形することなどとてもできず、あきらめた。
成功していたら今ごろ魔術師になっていたかもしれず、残念だ。
