フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

フルサトをつくる (ちくま文庫)

 昨日の本の著者とphaさんの共著、こちらも興味深く読みました。

 巻末の安藤桃子さんとの鼎談も面白かったです。

 

P116

 僕や伊藤くんも現在は・・・「ときどき遊びに来る人」だ。僕たちは2ヵ月に一度くらいやってきては、一回あたり10~20日くらい自分たちで借りた家に滞在している。大体いつも「床張り合宿」とか「焚き火合宿」みたいなイベントを設定して、僕と伊藤くんがそれぞれの知り合いを誘って、全部で10~20人くらいの人数で寝泊まりしている。昼は床張りなどをやって(僕は働き者じゃないのでやったりやらなかったりだけど)、夜はたくさんある近所の温泉のどれかに行って、帰ってきたら家の前の道路で焚き火を囲んでビールを飲んだりして、大部屋でみんなで布団を敷いて寝るという感じの毎日だ。学生時代の林間学校だとかクラブやサークルの合宿みたいな雰囲気に近いと思う。

 僕はいつも口癖のように「だるい」とか「働きたくない」とか言ってるんだけど、熊野でみんなで床張りをやったりするのはそんなに苦ではない。まあお金をもらってやってるわけじゃないから、いつでも好きにサボれるというのが大きいけど。疲れたらいつでもやめていいって状況だと床板とか壁板を釘で打ち付けてく作業とかもわりと楽しんでやれる。

 あと、みんなで一緒に作業をすると自然に仲良くなるというのもいいと思う。・・・田舎でゆるい感じでなんか一緒に床張りとかの作業をして、一緒に風呂に行ってごはんを作って食べて同じ部屋で眠るというのを数日やっていると、自然に親近感が生まれて打ち解けていきやすいというのは感じる。

 そんな風に合宿などで何回も頻繁に来ていると、熊野に住んでる人たちとも仲良くなるし他の地域からよく来る人たちとも仲良くなる。そうすると「あのへんの人たちに会いたいからまた熊野に行こうかなー」という気分になったりする。数カ月ごとに熊野に行って、普段は離れた場所に住んでいる顔なじみの人たちに会って「最近何してんの?」「なんか変化あった?」とか話したり、一緒に温泉で巨大な露天風呂に入ったり、地元の猟師の人におすそわけしてもらった鹿肉を焼いて食べたりしながら、それぞれの人が住んでる別の土地の話を聞いたりするのは楽しい。

 僕らがやっていることを昔からあった習慣に例えると「都会に出ていった人たちが盆と正月に実家に集合してコミュニケーションをする」というのと似ているかもしれない。普段会わない人たちと普段と違う場所で定期的に会うのは良いものだ。お互い東京に住んでるのに熊野でしか会ったことがない人なんかも結構いて、ちょっと変な感じもするけれど、なんかそういうのがいいんだと思う。「多分この人と東京で会ってたとしたらこんな風に親しく話してなかっただろうな」と思うと不思議な感じがする。それがフルサトの力なのかもしれない。

 

P150

 ここで考えたいのは「経済とはマネーの交換だけじゃない、とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。交換が活発であれば他人同士がうまくやっていける状況ができている、これが大事だろうと思う。地域経済活性を「お金を落としてもらう」とか、そういう意識で捉えている人は、はっきり言ってズレている。・・・

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 熊野の家でまず最初に行ったナリワイは、寺子屋である。なぜ寺子屋にしたのかというと、単に塾や家庭教師が不足していたからである。やり方はシンプルで、夏の2週間だけ夏季集中の寺子屋を開催したのである。2週間3万円で質問に無限に答えるという寺子屋である。知り合いにタイミングよく塾講師を辞めた人がいたので、メイン講師になってもらい、他の人は得意な教科だけ教える代わりに無料で泊まれて、空き時間に川遊びや花火大会に行ったり夜はバーベキューしたりと夏休みらしい過ごし方ができるという企画である。・・・この寺子屋の第二の目的は、親と教師以外の大人と会って話をする機会を中高生に提供することである。・・・

 そこそこ人口がいる田舎でも中高生は一定数いるのに、大学生以上の若者が極端にいないという場所は多い。・・・

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 ・・・夏休みだけ子供を預かる林間学校みたいなナリワイも信頼関係を築けるサイズでやるのはとても有意義だと思う。なんやかんや私の世代(1979年生まれ)までは、お盆に帰省できる場所がある家庭が多くて、夏休みの1カ月ぐらいを普段と違う環境で過ごせた人が多かったが、次の世代は都会生まれ都会育ちという、帰れる田舎を持たない人が多い。でも夏休みぐらいは自然溢れる場所で子供と過ごしたいという願望はある。これを用意するナリワイである。会社を休める最初の数日間は親子で過ごして、そのあとは子供だけで1カ月ぐらい過ごす。親としても子供が1カ月弱とか手から離れるのは気分転換になってよいし、子供にとっても小さい頃から違う環境で過ごすのに慣れておいたほうが大人になったときに様々な環境に適応できるようになるのではないだろうか。

 

巻末に、安藤桃子さんと著者のお二人の鼎談がありました。

P274 

伊藤 高知に行かれたのはいつからですか?

安藤 2014年3月18日に住民票を高知に移しました。・・・この本を読んでまず思ったのが、自分が移住していろいろな経験を経て辿り着いたポイントと、本の着地点は同じだということ。面白かったのが、文中に、「骨を埋める覚悟はなくていい」というエピソードがあるけど、私自身のアプローチは真逆で、「骨を埋めます」と言い切って移住したんです。というのも、革命を起こしたいと幼少期から漠然と思っていて、それが東京でもロンドンでもニューヨークでもなく、高知に出会った瞬間、直感3秒で「ここだ!」と思った。ここに書いてある、誰か引っ張る人が必要かもしれないというところを、私はたぶんやろうとしていて、骨も埋めるし、子供もそこで育てますと。・・・

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 高知は食うに困らない、生きやすいとすごく感じてる。3・11のあと、東京で感じたのは、お金がないと物が買えないというシステム上、生きる=お金で、店から物がなくなったら、死ぬという危機を感じるわけですよね。お金がないと食っていけないし、住まいもない。高知に来たら真逆で、お金はなくても食べ物が穫れ放題。しかもかなり美味い。家も空き家ばかりでホームがレスになり得ない(笑)。所得は最下位のほうだけど、見えない通貨で回っているような感じ。住んでみたら、物々交換が主流で、そこに領収書もない(笑)。夕方になったら、おばちゃんが割烹着で釣り糸を垂らしているし、時期になったら町中の川で老若男女シジミを採ってて、まるでガンジス川じゃないか?!と(笑)。全てが一体化していて超最先端!(笑)

 ・・・高知では貯金がゼロになっても豊かに暮らせることを知ってしまった以上、もうお金に恐怖を感じないので、「え~い、全部使っちまえ!映画館やっちゃおうぜ!なくたって生きられる」と(笑)。東京でそれをやったら、数カ月で倒産ですよ。「家賃払えない。どうするの?」とか、お金を中心にみんなの心がしぼんじゃうけど、高知では常に俯瞰して物事が見られるし、「とりあえず、走りながら考える」戦法が使える。こころの余裕はみんなをパワーアップさせてスーパーサイヤ人化してくれる。

 あと、結構思ったのが、じゃあ、どこかに行きたいと思っても、日本は北から南までひとつの国の中で文化も人も全然違う。

伊藤 そうですね。「どこがいまイケてますか」と聞かれるけど、「自分と相性のよいところは、どこだろう」と考えたほうが、本当は正確ですね。

安藤 そういう本をつくってください。「できれば一人で静かに暮したい」とか「本音と建前を使い分けたい」と言ったら、高知は絶対NGで、高知で必ず言われるのは、「嘘はバレる」「とりあえずやってみよう」「「走りながら考える」(笑)。