こういう考え方、体に良いなと思いました。
どんな本か、まずあとがきから・・・
P229
この本には、すごい技もなければ新しい働き方についてのノウハウもありません。ただ、世間で仕方ないとされていることも、こう考えたら理不尽な苦労なく解決できるんじゃないか、という考え方がまとめられています。
思えば、中学生か高校生ぐらいからでしょうか。なんだかへんだな、と感じたことを飽きずに考え続けて生きてきたら、世間ではちょっと珍しい働き方をしていたので、本にまとめることになりました。こんな内容が本になる、ということは時代の方がややクレイジーになっているのかもしれません。
時代の閉塞感というのは、私の身にもけっこう影響がありまして、・・・就職のため上京して会社勤めをし始めると、コミュニティがほぼゼロになる一方で、ハードワークのため、土日は半分寝ていて、覇気がない事態になりました。電車に乗れば消費者金融からFX投資、そして「あなたの年収低くないですか?」と訴えかける転職広告が押し寄せてきて、げんなりしました。これらのストレスは時代の雰囲気と一体化して押し寄せてきます。けっこうきついです。私は、アイスクリーム食べすぎ程度で済みましたが、大学時代の友人のなかには心の病で会社を休職する人もちらほら出ました。そういう意味では社会というのは厳しいものだ、と思い知った次第です。
ただ、私は厳しい社会を肯定しません。・・・この厳しさは無用のものです。無用な厳しさに関わらないためには、どうでもいい常識を無視したり、違うルールで生きていくための工夫が必要です。・・・本書は私が実験台となって実践し、いまなお試行錯誤している過程の思索の記録でもあります。・・・
P73
ナリワイ10か条
・やると自分の生活が充実する。
・お客さんをサービスに依存させない。
・自力で考え、生活をつくれる人を増やす。
・個人ではじめられる。
・家賃などの固定費に追われないほうがよい。
・提供する人、される人が仲良くなれる。
・専業じゃないことで、専業より本質的なことができる。
・実感が持てる。
・頑張って売り上げを増やさない。
・自分自身が熱望するものをつくる。
P75
「第1章 ナリワイとはなにか」より
・ナリワイのいいところは、生活と一体化しているから、自分の生活コストも激減させることができるところだ。(36ページ)
・ナリワイの考え方の真髄の一つは、稼がなきゃ稼がなきゃと外部の環境に振り回されるより、自分の生活をつくる能力を磨き、それをちょっと仕事にしてしまうほうが確実ではないか、ということなのである。(37ページ)
・一つの鍵は、サービスの受け手がちょっと協力できるようにすること。(45ページ)
・あるイベントを告知して、「募集開始すぐに満席!」という状態はむしろ警戒が必要である。(64ページ)
・基本的に自分も相手も己の頭で考える力が鍛えられることが外せない要素である(65ページ)
・やってみてダメならさっさと辞めればよい。(66ページ)
・二次情報をいくら集めても、それの正誤を判断するための体験が自分に足りないと、集めた情報を役立てることができない。(66ページ)
P113
・・・「お金は汚い」というのもまた偏った見方である。
お金に対する見事な間合いの取り方を、コストカットの技を習得したり、いいお金の使い方を鍛錬することで身につけておきたい。
私個人としては、健康増進事業のために温泉(銭湯)があるところに住み、毎日風呂上がりに四股を踏んで足腰を鍛えている。体調が悪くなりそうなときは太極拳をしている(できれば毎朝やりたいところだが)。高い生命保険には入っていない。その代わり、ラーメン二郎(味がものすごく濃くて愛好者が多い伝説の名店)には近寄らないようにしている。一人のときはエスカレーターではなく階段で移動する。つまらない飲み会にはいかない。
この本はマニュアル本ではないので、この通りにやる必要は一切ない。
ナリワイ的生活を志す人は、ぜひ自分なりのやり方でローコストな暮らし方とセーフティネットを考えてほしい。
P162
・・・ナリワイ初心者にありがちなのは「お金をもらうからには」と完成度重視で考えてしまい、いつまで経っても実行できないということ。
極端な話、荒削りなサービスであろうとも、鋭い着眼点で他にはないようなものであれば、ありきたりの内容で完成度が高いものよりも、荒削りなほうがいい場合もある。・・・カチッとした仕事ぶりと言っても、それは本質的なものではなく、使わなくてもいいのに、エクセルやパワーポイントで資料をつくったりして、時間を浪費していることが多い。役目を果たせば、メモ帳でも十分だし、手書きのイラストをスライドショーするほうが分かりやすいことは往々にしてある。だが、多くの人はエクセルやパワポをキチッとした完成度の高い仕事、と勘違いしている節があるし、これがない仕事を、中身を評価せずにダメだと評価してしまうことも少なくない。
P175
ナリワイの主眼は、「自力でつくれて人間に無理がないサイズで、やれば頭と体が鍛えられて、ついでに仲間が増える仕事」という点にある。頑張って売り上げを上げない、ということが大事である。頑張って売り上げを上げてしまうと、頑張らないときに売り上げが下がる。そうするとガッカリする。それじゃあ、とまた頑張る。運悪く上がらなかったらまたガッカリする。何もいいことがない。同様の意味で、はじめてのチャレンジにおいて具体的すぎる目標を掲げるのもよくない。うまくいかないときに気持ちが落ち込むし、プレッシャーが強くなるので、これも無駄なストレスを生む。これでは一体何のために生きているのか分からないではないか。「高い目標を掲げよ!」と社員の気分を高揚させようとする経営者がけっこういるが、しんどいのでやめたほうがよい。
また、頑張りすぎるとどうしても専業にしたくなる、そうすると楽しくやれたことがやれなくなってくるケースが増えていく。その結果、楽しめることがなくなったら売り上げを上げること自体が目的化して、ダークサイドに転落する危険性が増してくるのである。
P204
私がナリワイを志した最初のきっかけは、就職活動にあたってのある疑問である。・・・地元、香川県だが、・・・地元に戻って暮らすのも選択肢としていいかな、と思うようになっていた。しかし、就職にあたり、少し調べてみると、役場の職員、銀行員、学校の先生ぐらいしか、就職先を探せなかった。・・・
この「田舎には仕事がない問題」をなんとかしたい、と思い、田舎での仕事について考えはじめたのが2003年、23歳のときであった。ところが、実際に田舎に行ったりしていると、思いのほか自分の力で仕事をつくり、暮らしをつくっている人がちらほらいることに気がついた。これは一体何なのか?彼らは民宿やら、何でも屋やら、自給のための農業、仕事のための農業、NPO的な活動、など色々なことをして生計を立てていた。田舎では、雇用によって生計を立てるのではなく、様々な小さな仕事、すなわちナリワイを自らつくり出して生計を立てていることが結構あるのである。・・・すごい人は自力で家を建てて、自分のナリワイの一つにしている。ちなみに、このような暮らしを紹介してくれる窓口は行政にはあまりない。雑種すぎて、カテゴリー化できないので、紹介できないのである。行政が把握できるのは、あくまで雇用や業種だけで、暮らし方までは把握できない。
・・・
田舎問題に限らず、・・・常識的な情報というのは、一つの見方に過ぎない。幻影であることが多いのだ。「仕事は雇用でなければならない」、「専業でなければ一人前のプロではない」、「事業は拡大しなければならない」、「お金がないと何もできない」……。これらの幻影を、私たちは、一個一個解き放っていく必要がある。・・・
P222
身近な仕事から政治まで、「複業でいいや」、「生活の基盤はなるべく自分の頭と体で自給する」、「できれば仕事も自給する」、「大事なのは健康と楽しい会話と滋味のある娯楽」、というふうに考えていくと、なんでもかんでもやり尽くされて虚無感に襲われそうな現代社会でも、やることが色々あって飽きがこない。
やっているうちに、家も建てられるし、食べ物もつくれるし、布もつくれるし、カフェイベントもできるし、選挙の出方も知っている、結婚式も開ける、というように、多彩な技能が身についていくだろう。地味かもしれないが、この充実感は取り組むに値すると言ってよいと思うのだ。・・・
