昨日の本の著者の一代記、先が気になってぐいぐい読んでしまいました。
P28
・・・3年生が終わる頃に問題が起きた。担任の先生が匙を投げたのだ。
「清水亮くんの面倒は私ではもう見れません」
・・・
・・・女性の先生が「ちょっとこっちに来て」と言って小さな会議室に連れて行かれた。彼女が言った。
「りょうくん、良く聞いて」
・・・
「あなたは、天才なの」
てんさい……それって頭がいいってことだろうか。もちろん僕はクラスの誰よりも頭がいいとは思っていた。でも小学生の頃っていうのは成績の差はそんなにつかないものだ。わざわざ大人がこんなに集まって、僕に天才と告げる意味がよくわからなかった。
P56
・・・僕にも進路相談の季節がやってきた。
その頃の僕は、Macのようなマルチウィンドウシステムに強い憧れを持っていた。図書館でX-Windowの分厚い技術解説書を見つけて、それを頭からお尻まで読むのだった。
X-Windowとは、MITことマサチューセッツ工科大学で開発されたマルチウィンドウシステムで、・・・
・・・
これがなかなか面白く、特に驚いたのは最初の章が哲学から始まっている点だった。曰く、コンピュータにとって哲学はとても大事である、とりわけ多くの人々が使うであろうコンピュータ・ソフトウェアはしっかりした哲学的裏付けがないと散逸した汎用性に乏しいものになってしまう。・・・云々。
・・・
こりゃあ凄い、よし、マサチューセッツ工科大学に行こう。進路相談で、担任の市橋と会うことになった。京大の物理学科の修士号をとったのに、田舎の高校で物理を教えてる変わり者だ。
「志望校はどこや?」
・・・
「マサチューセッツ工科大学です」
「アホ、真面目に言わんかい」
ショックだった。なんとなく漠然と、天才ならマサチューセッツ工科大学に行けるような気がしていたのだ。
・・・
・・・まさか頭ごなしに否定されるとは思わなかった。この石頭め、自分が行けなかったからって僕が行けないと最初から決めつけるのか。
「先生こそ真面目にマサチューセッツ工科大学に行く方法を教えてください」
「そんなもん行きたいだけなら飛行機に乗れば誰でも行けるわ、アホ」
なるほど。じゃあ今から行ってみようか、と思ってそのまま友達の自転車を借りて二駅ほど行き、それから電車に乗ってそのまま東京に来てしまった。
しかし東京に来たところではたと気づいた。しまった、パスポートがない。ついでに旅費もない。というかそもそもマサチューセッツ工科大学ってどこにあるのかも知らない。そもそもマサチューセッツが人名なのか地名なのかも知らなかった。インターネットもない時代だから、マサチューセッツ工科大学で検索したら飛行機代が出てくるとか、そんな簡単なことでもないのだ。
・・・
結局、アメリカ東海岸にあるマサチューセッツ工科大学に実際に行ったのは、それから17年後になってしまった。学生ではなく講師としてだったけれども。
P78
・・・森から「バイトしないか?本社まで来てくれ」と連絡があり、笹塚のマイクロソフトまで行った。
本社の会議室に通されると、森とスパーンがニヤニヤしながら座っていた。
「実は今度、セガから発売される新しいゲーム機にDirectXが移植される。そのデモを作って欲しい」
久しぶりにプログラミングの仕事だった。いいですよ、と引き受けようとしたらとんでもないことを言い出した。
「2週間で作ってくれ。200万円出す。できれば2本作って欲しい」
途方もない話になってしまった。まず、いくら本が書ける程度には詳しいといっても、見たこともない機械の開発環境を覚えて、2本、しかも3Dのプログラム、モデリングとテクスチャまで一人でやる。どうすんのよ。物理的な作業量が足りない。
「サウンドの音源だけはこっちでなんとかするから」
サウンドまで面倒みなきゃならないのか。僕は普段サウンドはいつも後回しにするのであまり得意ではなかった。
「どうする?やれるか?」森は聞いてきた。
その目は、ギラギラと輝いていた。その目には絶対の自信が宿っていた。
このとき僕は思った。この人は、もしかして、僕のことを解ってるんじゃないか。
僕の気持ちは実は全部見透かされてるんじゃないか。僕が実際にはそんなもの、1週間もあればできるって思ってること。勿体つけて、もっといい条件を引き出そうとしてるってこと。
僕の能力の限界をそこまで適正に見積もることができる人を、僕は初めて見つけた。この人は、僕の理解者なのだ。今まで会ったどんな大人より、この人は僕を理解してくれる人だ。これまでのことは全てこの伏線だったんだ、僕が森栄樹の、手駒になるための。
そして思い知った。人は金のためでもなく、名誉のためでもなく、ただ自分を理解してくれる人のために働くのだということを。
「僕にやらせてください」
僕はこのとき、森に付いていくと決めた。
実際には徹夜でやって翌日の時点であらかたのものができあがり、3日でその仕事は完了したが、それでは満足できなかったのであれこれ機能を増やしていった。こうしたトライアルは、マイクロソフトが開発者を焚きつけるときによく使う手段だ。
「20歳の大学生が、2週間でこのデモを作りました」
そう言って焚きつけるのである。「大学生にすらできること、プロのあなた達はできないんですか?」というわけだ。これはとても効果的な方法だ。マイクロソフトはさすがプログラマーの会社だと思った。僕は今でもマイクロソフトこそが世界最強のプログラマー集団だと信じている。・・・
P103
マイクロソフトは相変わらず寛大に思える報酬を払ってくれはしたが、僕は金だけのために働き続けることはできない。僕には人類補完計画を成し遂げなければならないという何か根拠のない使命感だけがある。そんなもやもやを抱えたまま仕事に赴くと、日に日にマイクロソフトへの気持ちが色褪せていくのであった。
・・・
・・・そんな日々にも嫌気が差してきて、森に言った。
「マイクロソフトの仕事、もう飽きたからやめたいんですけど」
「そろそろ潮時だな。やめちまうか」
森は予想していたかのように言った。
「でも、ドワンゴには今までと同じように毎日来てくれ。報酬は今までどおり払う。遊んでいていいから」
こうして、晴れて僕は、他人の作ったソフトウェアの下支えという仕事から解放された。森がこのとき言った言葉を今でも覚えている。
「清水、シリコンバレーでは、2年以上同じ仕事をしてるヤツは、一流とは呼ばれない。仕事をどんどん変えろ。どんどん覚えろ。それがやがてお前の血と肉になっていく」
P232
プログラミングほど、人類の叡智を手軽に使える方法はない。したがって、プログラミングできるということはそのまま人類の叡智を誰もが自在に操ることが出来る、ということを意味する。
つまり、プログラミングとは叡智なのである。
・・・
人類全てをプログラマーにする。
僕がこの計画の実現性に気付いたのは、ほとんど偶然だった。これには3人の十代の少年が登場する。
一人目は伏見遼平。彼は東京大学の1年生で、ある日、取材したいと称して僕のもとを訪れた。・・・
・・・
・・・伏見は、事前にあまりにも入念に下調べをしていたため、彼が一言聞いて僕が一言答えると、彼の方がその情報を詳しく喋る有様だった。結局、取材に来たはずが彼の方が喋り、1時間の予定が2時間を過ぎても終わらないので僕は彼を制した。
「わかったわかった。来週からうちにアルバイトに来なさい」
こうして伏見遼平というおかしな少年は僕のもとに毎日来ることになった。最初にやらせたのは、忘年会の仕切りだ。
忘年会では、浅草の花屋敷を貸し切って、iPhoneを使ったARゲームを伏見にやらせてみた。これもなかなかの好評だったが、伏見はあるとき、プログラマーの友人を連れて来たい、と言い出した。
その名を、田中諒と言う。田中諒も変わった少年だった。
「君は普段なにしてるの?」
そう聞くと、彼は答えた。
「朝起きて、飯食って、学校行って、風呂入って、寝てますね。それしかしてません」
「じゃあいつプログラミングしてるの?」
「え?あ、それ以外全部の時間です」
それで決まりだった。
さらにもう一人、ブログを見て応募してきた、これまた19歳の高橋諒という少年もいた。彼は3人の中でも一番ハードウェアに近い知識を持っていた。
僕は彼らに仕事を与えなかった。会社に来て、遊んでていいよ、と言った。・・・
新しいものというのは遊びの中から発見されるのである。あるとき、田中諒がやってきてこう言った。
「一通り、自分がやりたいことやっちゃったんで、何かいいネタないですか?」
僕は少し考えて、「ちょっと待って」と言った。
会社は秋葉原にある。ちょっと出かけて、中古ゲーム屋でMSXとファミリーベーシックを買って戻った。中本伸一の作ったものだ。
「これはBASICというプログラミング環境だ。昔の子どもはみんなBASICでゲームを作って遊んでいたんだよ」
すると彼らは目を丸くした。
「こんなに短い行数でゲームが作れるんですか!」
そうか。彼らが物心ついた頃には、既にDirectXがあった。
・・・
「こういうものを作ってごらん。javaScriptで同じようなことが簡単にできるといいね」
そう言うと、田中諒は2週間でデモを作った。そのソースコードに見慣れない表記があった。
「このenchant.jsっていうの、どこか既成のライブラリなの?」
僕が聞くと、田中諒は答えた。
「いいやなんとなく、それが僕が作ったライブラリの名前です」
enchant.js。なんと美しい名前だろうと思った。魔法をかける。まさに相応しい名前だった。
P250
その日、僕は未踏IT人材育成事業の最終成果報告会の会場に居た。・・・25歳以下の若者だけを対象とした人材育成プロジェクトだ。
・・・
一日目が終わった。非常に厳しいことを言わざるを得ない場面もあった。二日目、朝、会場に行くと、声を掛けられた。情報処理推進機構の神島さんだった。
「昨日、亮くん、すごく怒ってたでしょ。それを中継で見ていた今日発表するクリエイターの親御さんがさ、うちの子ってとんでもないところで喋るんじゃないの?大丈夫かしらって心配してたそうなんだよ」
僕は面倒くさそうに顔をしかめたと思う。
「それは仕方ないでしょう。こういう場に来ている以上、甘ければ批判にさらされる。その覚悟がなければ」
すると神島さんは意外な事を言った。
「違うんだよ亮くん。そしたら、そのクリエイターの子たちはその中継を見て〝明日発表するのが楽しみだ〟って言ったらしいんだよね」
「楽しみだって?誰です?」
僕は聞き返した。どれだけタフな候補者なんだ。
「それがさ、中学生なんだよ」
あの2人か。・・・
・・・
彼ら曰く「僕たち思春期の少年少女にとっては、ゲーム開発などというテーマは、ハッキリ言ってダサいのです‼」
衝撃的だった。ゲーム開発はダサい。
・・・
「こんにちはー、岡田侑弥です」
「竹田聖です」
2人がいつものように軽妙な調子でスピーチを始めた。流れるように言葉が出て来る。
「まず、僕たちが作ったのは、こんなアプリです」
そこで彼らが見せたのは、なんとチャットをするアプリだった。
「僕たちの作ったWebサービスを使えば、〝あー、チャットしたいなあ〟と思ったら、わずか10分でチャットのアプリを作ることができます!」
ここで会場は爆笑する。しかし僕は腰を抜かした。
僕が人生を賭けて辿り着いたと思ったレベルのプログラミングを、彼らは易々とやってのけた。それどころか、ユーザーインターフェースの構築部分については、僕らの何倍も先を行っていた。
・・・
会場ではこれを「中学生にしては凄い」と誤解する人が多かった。しかし、それは全く違う。「中学生でなければ作れない」から凄いのだ。
たとえば、僕が仕事として全く同じものを作ろうとしてもあそこまでのものにするには3年はかかるだろう。ベテランの開発者でチームを組んで、検証してテストして、途方も無い労力の末にやっと生まれるだろう。
しかし彼らは現実のニーズを持つ中学生であり、中学生が自分たち自身でプログラミングするためにプログラミング言語と開発環境そのものを創りだしたのだ。とてつもない完成度で。
彼らは純粋にプログラミングが好きで、プログラミングしてる。そこが最高に素晴らしいところなのだ。
・・・
子どもが凄いのは、怖いものがないことだ。既存の世界観を破壊し、否定し、成長する。彼らの作った画面を見てビックリしない人のほうがむしろ普通だと思う。
「え、普通でしょ?」と考えるだろう。
けれども、「普通」だと思うこと自体が、彼らのデザインの凄さである。プログラミングは本来「普通」ではないのだ。
普通ではないプログラミングが、普通にできていることの凄さ、そのデザインの無駄のなさは、彼らがプログラミングというものを真剣に考え、正面から取り組み、夢中になっているからこそ、できることなのである。
・・・
翌日、会社にもどり、enchantMOONチーム全員に昨日あった出来事を話した。
ニコニコ生放送で放映された内容を全員で見返した。
「凄い……」
プロジェクトルームではあちこちでため息が漏れた。
・・・
完璧な敗北だった。
年齢的にも、デザイン的にも、テクニック的にも、いまのところ我々が勝るものは何一つなかった。そうしてプライドも何もかも失ってしまって、最後の最後で僕の心の底から湧き上がってきた感情は、意外にも、歓喜だった。そう、僕はずっと待っていたのだ。彼らのような若者が出現することを、僕を年齢でも実力でも打ち負かすことのできる人間を。
