世の中ほんとにいろんな人がいるなー、いろんな本があるなーと、とても面白かったです。
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このよくわからない出会い系サイトのようなもので、よくわからない試みをやってみようと思ったのには、勤務先のヴィレッジヴァンガードの上司だった吉田さんのことも、ひとつのきっかけになっていた。・・・
私がヴィレッジヴァンガードに入社したのはもう10年以上も前のことだ。初めてヴィレッジヴァンガードという店に出会ったのはさらにその5年前、大学に入ったばかりの頃だったと思う。
友達に「面白い店があるよ」と連れられていった下北沢のヴィレッジヴァンガード。広い店内は雑多な本、漫画、CDや雑貨でひしめきあい、天井からもあらゆる商品がぶら下がり、通路は狭く薄暗く、ジャングルかお化け屋敷の様相だった。・・・手書きのPOPが張りめぐらされていて、どの紙にも商品へのコメントがあれこれと書かれているのだが、それは売る気がなさそうな、笑ってしまうような内容のものばかりだった。そんなカオスな空間にテンションが上がった。
親ともうまく折り合わず、学校にもずっとなじめなかった自分には、少ない友達の他には本とサブカルチャーだけが心の支えだった。・・・サブカル一辺倒だった自分にとって、そこは「好きなものが全部ある!」という驚きに満ちた感動的な場所だった。
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ここにあるものを全部知りたい、と思った。
それからは中毒者のごとく店に足繁く通い、卒業後はついに憧れが行き過ぎて下北沢に住み始めた。・・・
・・・ある日、いつものように店に行くと、入口に貼られていた、
「NEW OPEN!六本木ヒルズ店 スタッフ大募集」
という紙が目に入った。
「そうだ、どうせ遊んで暮らすならヴィレッジヴァンガードで働くのがふさわしいではないか」
と応募し、採用されたのが入社のきっかけだった。
店長をはじめ、同年代のスタッフみんなで朝から夜まで毎日いっしょに過ごす日々はあまりにも楽しかった。・・・当時は金髪、タトゥー、顔ピアスも自由。会社全体に「ダメ人間もダメなまま生きててよし」というやさしさがあった。それに変わっている人が多すぎて、「個性的だね」という言葉が機能しないような環境だったのが、思った以上に自分にとって居心地がよかったのだ。
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社内でも自分の本の売り方、POPの書き方を高く評価してくれる人が現れ、しばらくのあいだはちやほやされた。ずっと最終目標として社内で公言していた下北沢店の書籍担当や、新業態の立ち上げ、新店舗の本棚の選書をやらせてもらったりもした。
しかし郊外のショッピングモールへの大規模な出店や時代の移り変わりとともに、社内の風向きは徐々に変わっていき、本よりも雑貨に比重が置かれるようになった。・・・いつの間にか流行のキャラクターグッズの導入なしでは、店の売り上げを維持できなくなっていた。
文化度が低くなっていくことを憂う社員も多く、私も変わっていくヴィレッジヴァンガードに危機感を覚えた。・・・けれど風向きは変わらなかったし、保守派のベテラン社員の多くとともに、私も社内での居場所を失っていった。キラキラと輝いていたかつての先輩たちも、いつの間にかほとんどが退職していた。
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そのヴィレッジヴァンガードに入社してからほどなくして出会った吉田さん。入社当初の10年間は、同じ店の店長とバイトという関係だった。
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・・・10年後の今。吉田さんは関東地区のマネージャーとして店を定期的に視察しに来る立場だったが、私が仕事で腐ってるのを踏まえてだろう、ある日の視察で、店の売り上げが伸びていることを確認し、売れ筋のキャラクターグッズを入口で大展開しているところを見て「我慢してがんばってるなあ~」と売場を見て苦笑し、去り際に「次来るとき、何かおすすめの本用意しといてよ」と言って帰った。
私は仕事が全然楽しくなくなっていた。本を売ることに力を入れない会社に不満を抱えてさんざん吠えていたくせに、自分の店はといえば、毎日雑貨をさばく仕事に追われて本棚にまで手が回らず、すぐにおすすめできる本すらない荒野なのだ。吉田さんは遠回しにそのことを指摘し、焚きつけてくれたのだろう、と受け取った。
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すべての本を、「吉田さんは○○だから、この本がいいと思います」「吉田さん、この前○○○○と言っていたので、そんな吉田さんにこの本がおすすめです」と理由づけして紹介できるようにしよう。私は決戦の日に備えてひとつの段ボール箱にどんどん本を増やした。・・・
雑貨の不良在庫が山積みの狭いバックヤード。
私は吉田さんの正面に座り、いちばん上の1冊を取り出して「まず吉田さんにおすすめしたいのはこちらです!」とプレゼンを始める。遊びのような気分で始めたことだったのに、なぜかとても緊張していた。気づけば本気になっていたのだ。
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吉田さんは・・・
「じゃあこれを買います」
と、7冊の本を差し出してくれた。上司としての情けかもしれないし、別に本当にはその本、気に入ってなんかないのに買ってくれようとしているのかもしれない。
うれしくて泣きたいような気持で7冊の本を受け取った。
こんなに真剣に考えて誰かに本をすすめたことはなかった。相手のことを何も考えなくても、理由なんて何もなくても、本はすすめられる。「とにかく自分が読んで面白かったから」というのはシンプルにして最強のおすすめ文句だし、・・・
でも、そうじゃなくて……。
その人のことがわからないと本はすすめられないし、本のことも知らないとすすめられないし、さらに、その人に対して、この本はこういう本だからあなたに読んでほしいという理由なしではすすめられないんじゃないかとも思う。
自分が初めて体験し、立ち現れたものが何なのか、よくわからなかった。吉田さんを掘り下げておすすめする本を考えることはすごく面白かったけど、吉田さんは何を受け取ったのだろうか?うれしかっただろうか?
ただ、興奮の余韻はいつまでも頭から離れなかった。この面白さの正体を知りたかった。
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ああ、今みたいに人に会って本をすすめること、お金になったりしないかな。……なるわけないか。
そんなことを考えながら、とりあえず、憑かれたように人に会って会って会いまくった。そして知らない人と会うことはもはや生活の一部になっていった。
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前野さんは医大生だが、このままレールに乗って医者になることに疑問を感じているという。
「医療自体には興味があって、研究したいとかそういう気持ちは変わらないんですが、医療界の閉じた世界というか、古い体質というか。合わないなー、と思うんですよ。高校のときの同級生が『起業する』って言い出してたり、アフリカに学校を建てる、とか言ってるのを見るとすごくうらやましくなるし、僕も何かやりたいなー、って思って。あと、全然別なんですけど、学生のうちに世界一周してみたいと思っていて。それで世界一周している人のブログを熱心に読んだりしていて」
いかにもエリート医大生、という雰囲気だったので、前野さんの興味の方向はちょっと意外だった。
「それで、世界一周した人のトークイベントに行ったときにですね、その人からザンビアの紙幣をおみやげにもらいまして。わっ、これは大事にしよう、って思ったんですけど、そのときに閃いたんですよ」
「おお。何ですか?」
「『わらしべ長者』ってあるじゃないですか。あれをやってみたらどうかって。ザンビアの紙幣から出発して、会った人にもっといいものとどんどん交換してもらって。最終的に世界一周の航空券になるのをゴールにする。それで世界一周に行こうかなって」
「えー、めっちゃ面白いじゃないですか!」
私以外の〝バラエティー企画型〟の人に初めて出会った瞬間だった。
「実は私も、会った人に本をすすめる、っていうのをXでやってて。似てるなって」
「あ、そうですよね、なんか近いですねえ。僕、何でも『どうせなら』ってオプションをつけたくなるタイプというか。ただXをやっててもつまらないじゃないですか。世界一周の航空券なんて、バイトをがんばれば普通に買えるんですよ。でもそれじゃつまらないからもうひと工夫したくて」
「それいいですね。ただやってもしょうがない、か。いいなあその発想。あ、それで、ザンビアの紙幣は今何になってるんですか?」
「今日持ってこれたらよかったんですけどね……。紙幣が栓抜きになり、軽量折り畳み傘になり、トースターになり、デジカメになり、今スーツケースになりました」
「すごい!めちゃめちゃわらしべ長者感出てるじゃないですか!」
私もつい参加してみたくなり、とりあえずカバンの中を探してみたが当然スーツケースよりランクアップする交換物は入っていなかった。
「これってわらしべ長者やったことある人にしかわからないと思うんですけど、ここからが難しいんですよ。全然交換が進まなくて」
たしかに、と思ったが、そもそも「わらしべ長者あるある」って、共感できる人少なすぎるだろう、と思い、地味に面白かった。そんな話を真面目にしている前野さんには、応援したくなるような何かがあった。
・・・
前野さんに本の話を聞くと、『深夜特急』と『荒野へ』が大好きで何度も読み返しては旅への想いを膨らませているという。ならば紹介する本は『オン・ザ・ロード』以外にはないだろうと確信した。安定した生活を拒否して自由な旅に出る若者たちを描いたケルアックの小説で、50年ほど前に出版されたのだが、今もバイブルのように大切に読んでいる人が多い本だ。きっと世界一周のとき、アメリカを旅することが楽しくなるに違いないし、普通に医者になることだけに収まらない前野さんの気持ちに重なってくれそうだと思った。
