「自分が適合できる場所を探す」って、なによりのサバイブ術だと思いました。
P2
簡単に自己紹介をすると、私は大学卒業後に日本で2年間保育士として働き、メキシコへ移住。その後、現地の人と結婚し、今はメキシコ生活5年目が終わろうとしています。
最初のきっかけは、「海外に住んでみたい」という軽い気持ち。コロナ禍の一時帰国を挟んで、もう一度メキシコへ戻りました。
それは、日本が合わないと気付いたから。
メキシコに住むことで、日本で漠然と感じていた、言葉にできない〝生きづらさの正体〟がはっきりと見えてきたのです。・・・
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この本には、私の〝社会不適合エピソード〟もたくさん書いています。
でも、その「社会」と言っても様々。「日本」不適合なのかもしれない。「会社」不適合かもしれない。裏を返せば、適合できる社会もあるということ。「ここに適合しなきゃ」と自分を追い込むのでなく、「自分が適合できる環境を探す」。これも一つの生きる術だと思います。
P55
私が働いていた幼稚園にはメキシコ人クラス・日本人クラスがあったので、間近でメキシコの幼児教育も見ることになります。
日本では何事にも意味を求めて、常に目的を持って教育していますが、メキシコの教育はただ面倒をみる施設のようで、違いを感じました。
たとえば、子どもが登園してくるときの対応から違いがあります。
日本の場合は、子どもが教室に入ってきたら、自分で〝お支度〟ができるように教え、見守ります。・・・「自分でできるようになろう」というのが日本の教育。・・・
一方メキシコは、子どもが教室に来た瞬間、先生がパパっと荷物を受け取り、全部やってしまいます。子どもが「靴が脱げない」と言ったら、日本のように見守ることはなく、先生が脱がせる。
・・・絵を描いたり作品づくりをしたりするときも、先生が全部手伝います。それがなぜかというと、「絵を上手に描くよう教える」のが目的で、「楽しむ」ことではないから。
日本の場合、絵や作品づくりは「自分でどれだけ頑張ったか」が重要ですよね。
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歌の発表会も同じ。日本の場合は、下手でも子どもたちが一生懸命歌っているのが大切。でもメキシコは〝美しく〟歌うことを求められるのです。
これには「学校の役割」の違いが関わっていると思います。日本の学校は、勉強だけでなく集団生活や社会性を学ぶ場所でもある。・・・勉強だけでなく道徳観を教えたり、生活指導をするのも先生の仕事とされていますよね。
メキシコはというと、学校は勉強を学ぶ場所。幼稚園でも、英語教育は特に熱心で年齢の割に求めるレベルが高いと感じました。・・・日本では躾に近い部分も学校へ求めがちなのに対してメキシコでは、躾は家庭でするものと考えられています。
P91
・・・私のまわりにも「あまり深く考えない」タイプのメキシコ人が多いです。
聞いた話によると、何か負の出来事が起きると「それについて考えたくない」という思考になるのだとか。「深く考えるとどんどん嫌な気持ちになってしまうので、別のことをしよう」みたいな価値観の人が多いようです。
深く考えないからこそ、改善策まで辿り着かない。だから同じことを繰り返し、また「忘れよう」……。私には、その繰り返しをしているように見えます。
あとで話すことにも繋がりますが、メキシコ人は今を生きています。「反省」は「過去」を振り返ること。「改善」は「未来」のためにすること。なのでそこに大した価値を感じていないのかも。彼らにとって大事なのは「今」を楽しく生きること。そう考えると反省する文化がないのも納得です。
反省する文化がないのに関連して、「嫌なことがあったら忘れる」文化もあります。
以前、ぶつけられて自家用車に傷がついたことがあります。
私は「お金かかる、はぁ……」とめちゃくちゃ落ち込んでいました。夫も「最悪だね!」と同調していたのに、そのそばからInstagramでリールを見て爆笑していたりします。
私は「切り替え早っ!」と驚きますが、夫的には「考えてもしようがない」という考え。
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メキシコ人の場合は、トラブルが多すぎて「考えてもしようがない」というモードになっているのだと思います。だからこそ、考えすぎず「楽しいことをして元気を出そう!」というマインドになっているのかな。
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以前、日本からメキシコに戻った際、空港でスーツケースが1時間以上出てこないというトラブルがありました。
私はもちろん、メキシコ人たちもみんなイライラしています。やっとスーツケースが出てきたとき、・・・
・・・メキシコ人たちは、さっきまでのイライラムードは忘れてしまったかのように、「Foooooooooooo!!!!!」とお祭り騒ぎ。
メキシコ人にとっては、1時間以上待たされたイライラより「スーツケースが出てきた!」という喜びのほうが大きいのです。
それを目の当たりにした瞬間、私の中にあったネガティブな怒りが「もういいや」と消えていきました。・・・
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メキシコでは、トラブルが起きることは日常茶飯事。
物が壊れたり事故に遭ったりしても、「あ~、まただ」という感じ。トラブル慣れしているので忍耐強いし、日頃上手くいかないことが多い分、喜びに対する感度が日本人より高いのだと思います。
P108
・・・過度な愛情表現について、メキシコ人の友人に「なんで?」と尋ねたことがあります。すると、返ってきたのは「だって、いつ死ぬかわからないから」という答え。
「今日が最後かもしれない」と思っているからこそ、恥ずかしがっている場合ではない。愛は日々伝えないといけないんだ……と言うのです。
メキシコ人たちと接していて思うのは、「彼らは未来も過去もあまり考えていない」ということ。〝今〟しか考えていないので、貯金も全然しません。同様に、過去を振り返って後悔することもありません。あるかわからない未来より、生きている〝今〟を大事にしよう。そういう気概を感じます。
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メキシコにいると、日本とは「命の重み」に対する感覚も異なっているように思います。割と、死が身近なのです。
「お隣さんの知り合いが殺されたらしいよ」みたいな話も、けっこうよく聞きます。日本でそんなこと言われたら大騒ぎだけど、メキシコの場合、驚きはするけどそこまで〝稀〟なことではありません。
P137
2019年春に乳児院を辞めてメキシコの幼稚園で働きはじめ、2020年春にコロナ禍で日本に戻り、2021年春にまたメキシコに行くも、半年でクビ。そして、メキシコにいるままで働き方を変えることに決めた。
……わずか2年ほどの間に、いろんなことが起きています。私はもともと、計画を立てず衝動的に動く人間。傍から見ていると「行動力がある」と思われることが多いのですが、私は将来のことをあまり考えず、そのときの気分で物事を決めながら生きているだけ。それを客観的に見たとき、行動力があるように見えるのだと思います。
私は気分や考えが変わりやすいと自覚しているので、「先々のことを考えてもしようがない」とも思っています。
P150
最近、日本では「ADHD」という言葉が一般的になったと思います。
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個人的に、ADHDのような発達障害は「日常生活に支障をきたすか」が判断基準になると思っています。・・・
そう考えたとき、日本とメキシコでは「どのレベルが日常生活に支障をきたすか」の基準が全然違います。
メキシコでは、ミスはよくあるし、同じミスを繰り返してもそこまで咎められません。待ち合わせにはみんな遅刻してきます。〆切も守りません。バックれるのもよくあること。特に日本での「遅刻」への厳しさをメキシコ人に伝えると、「まるで遅刻は犯罪のような扱いだね」と驚かれます。
・・・日本で〝できない〟人扱いされていても、日本が厳しめだからそう評価されるだけで、文化が違うメキシコだと❝できる❞人になるかもしれません。
メキシコにいると、日本であんなに「変わり者」と言われていたのに、私は「まとも」と認定されるのです。
