大きなことを成し遂げてもなお、いろんな思いがあるのだなと、当たり前かもしれませんが、そんなことを思いながら読みました。
P8
苦しみは、40代半ばから50代半ばまで、約10年間続きました。
寂寥感や喪失感を抱えたこの10年間は、僕にとって「つらいことだらけの時代」でした。
当時の僕は、おそらく宇宙一暗い宇宙飛行士だったのではないかと思います。
宇宙は、地上で生活しているだけではわからない、たくさんのことを教えてくれました。
地球と人間は一対一の存在であり、地球は一人ひとりの人間の命の集合体であること。
宇宙空間には、重力も音も命の気配もなく、その中で地球だけが命を感じさせる存在であり、まぶしく輝いていること。
僕たちが普段、「当たり前」「絶対」だと思っていることは、宇宙では決して当たり前でも絶対でもないこと。
しかし一方で、宇宙に行くのはあくまでも「体験」にすぎず、宇宙に行ったからといって聖人君子になれるわけでもなければ、宇宙に何度も行っても見つからないもの、わからないこともあります。
たとえば、「自分は何者なのか」「自分は何のために生きているのか」「自分はどこに向かって歩いていきたいのか」「後悔のない人生を送るためにはどうしたらいいのか」といった問いへの答えは、宇宙へ行っただけではわかりません。
苦しんだ10年間、僕は縁あって大学の「当事者研究」に参加したり、論文や書籍の執筆をしたり、さまざまなことを行いながら、自分と必死で向き合い、過去2回の宇宙体験についても反芻しました。
そんな、もしかしたら「宇宙よりも遠い」といえるかもしれない、自分の心の中への旅を通して、僕にはようやくわかったことがあります。
それは、
「他者の価値観や評価を軸に、『自分はどういう人間なのか』というアイデンティティを築いたり、他者と自分を比べて一喜一憂したり、他者から与えられた目標ばかりを追いかけたりしているうちは、人は本当の意味で幸せにはなれない」
「自分らしい、充足した人生を送るためには、自分としっかり向き合い、自分一人でアイデンティティを築き、どう生きるかの方向性や目標、果たすべきミッションを自分で決めなければならない」
「自分がどう生きれば幸せでいられるか、その答えは自分の中にあり、自分の足の向くほうへ歩いていけばいい」
ということでした。
・・・
「宇宙飛行士になりたい」「宇宙に行きたい」という目標は、もちろん、自分自身で決めたものですが、宇宙飛行士になる過程でも、宇宙飛行士になってからも、僕は常に他者と比較され、他者に評価され、他者から与えられた目標・ミッションを追いかけ、他者の思惑や組織・社会の事情に左右され、自分自身でコントロールできる部分はほとんどありませんでした。
・・・
宇宙は正と負、2つのインパクトを与えてくれます。
正のインパクトは、まばゆいばかりの地球の姿と一対一で対峙することで宇宙的な視野を獲得できること、負のインパクトは、その宇宙体験がまばゆければまばゆいほど、その後の「日常の帰還」時の落差が大きく「燃え尽き症候群」を招くことです。
この2つのインパクトは、実は時間をかけて自分の中で熟成されていくのですが、最終的に負のインパクトを乗り越えることができたことで、僕はようやく自分のアイデンティティにたどり着けたのだと、今では思っています。
P110
・・・自分の棚卸しをすることは、自分の弱さを受け入れ、あるがままの自分を肯定することにもつながってると僕は思っています。
・・・
弱さを受け入れ、開示できるようになることは、他者の価値観や評価、与えられた役割から自由になることでもあるのです。
また、どん底に叩き落とされたとき、弱っているときにこそ、本当に大事なこと、やりたいこと、目指すものが見えてくることがあります。
調子がいいとき、うまくいっているときには、気づかなかったことに気づいたり、「当たり前だ」と思っていたことの価値があらためてわかったりするからです。
P132
・・・怖さに負けないためにはどうすればいいのか。
僕は自分の経験から、そのために必要なことは3つあると思っています。
一つ目は「怖さの正体を徹底的に突き止めること」、二つ目は「怖さを乗り越えたときに得られるものを見通すこと」、そして三つ目は「目の前のことに集中し、少しずつでも前進すること」です。
僕が、この3つの大切さを学んだのは、コロンビア号空中分解事故が起こったときでした。
・・・
・・・事故が起き、つい最近まで一緒に宇宙を目指していた仲間が亡くなったことで、漠然とした怖さを感じるようになったのです。
そんな中で僕は、ただやみくもに「怖い」と思うのではなく、怖いと思う自分の心の中を、しっかりと眺めてみることにしました。
・・・
脳科学的にも、怖さを感じると、情動をつかさどる脳の扁桃体という部位などが活性化し、恐怖心や不安感をどんどん増幅させていきますが、思考を巡らせ、理性をつかさどる脳の前頭前野という部位を活性化させると、扁桃体の働きが抑えられ、冷静になれるといわれています。
僕の場合、宇宙へ行くことを怖いと感じる原因となっていたのは「死ぬのが怖い」という感情でしたが、「なぜ死ぬのが怖いんだろう」と突き詰めて考えると、実は僕自身は、死ぬこと自体を、特に怖いとは思っていないことがわかりました。
死ぬときは一瞬であり、その後は苦しみも痛みも感じなくなるからです。
正確に言うと、僕は死ぬことを怖がっていたのではなく、「嫌だ」と思っていたのです。
そしてさらに、「死ぬことを『嫌だ』と思う原因は何か」と考えると、死ぬことによって、やりたかったことができずに終わってしまうことが悔しいのだとわかり、「自分が死んだ場合、もっともやり残したと無念に感じることは何か」と考えると、「家族と会えなくなること」「家族に苦労をかけること」だとわかりました。
怖いという気持ちは、突き詰めると、自分にとってもっとも大事なものに関係していることが少なくありません。
そこまでわかれば、死に対する漠然とした恐怖心は完全に消え、「今のうちに、家族との時間を大事にしておく」「自分に生命保険をかける」「遺言書を遺しておく」など、やるべきことが見えてきます。
もちろん、それで「家族と会えなくなる悲しみ」「家族に苦労をかけるのではないかという心配」が完全になくなるわけではありませんが、怖さの正体を突き止め、自分のやるべきことを考え、できる限りのことをすることが、怖さを乗り越えるためには必要なのです。
