ムサシと武蔵

ムサシと武蔵

 「東大8年生」の中でこの本が紹介されていて、読みたいなと思いました。

 見た目のことで傷つけられることが多かったそうですが、温かい人がたびたび登場して、それが印象に残りました。

 

P44

 友達から「この服、お父さんが買ってくれたんだ」とか、「お父さんは服が好きだから、選んでもらったんだ」という話を聞くと、父親の不在を痛感した。ふと、幼い頃にお父さんの服装を見て、「かっこいいな」と思ったときのことを思い出した。

「きっと、俺もお父さんがいたら、こういうことを聞けたんじゃないかな」

 このとき初めて、父親とは何かを考えた。でも、考えても、いないものはいない。

「僕は明るく生きよう。服装や髪型がかっこ悪くても、明るくしていれば仲間がいてくれるんだから」

 もう、小学生のときのような「いじめられる自分」には戻りたくない。ないものを欲するよりも、今の環境を精一杯生きようと思い始めた時期だった。

 中学校2年生のときだ。僕らの中学校では、トレーナーの襟元のところに縦に切れ目を入れて、わざとボロボロにするのが流行っていた。

「めっちゃかっこいい!僕もやろう」

 そう思って、僕はグレーのトレーナーの襟元を切って、意気揚々で学校で着た。ところが、家に帰って洗濯に出したら、次の日の朝、襟元のところに綺麗につぎはぎがしてあった。

 しかも、糸の色が布地と少し違っていて、明らかに縫ってあることがわかる状態だった。

 すぐにおばあちゃんの仕業だなと思った。でも、おばあちゃんが僕のためを思って縫ってくれたのは明らかだった。きっと夜に「あ、切れちゃってるね」と気づいて、一生懸命縫ってくれたと思ったら、心がほっこりした。

 僕は襟元がぴっちりと縫われたトレーナーを着て学校に行った。学校では真っ先にいじられることはわかっていた。

 だから、僕は友達と会うや否や、

「これさあ、おばあちゃんが破れたと思ったらしくて、縫っちゃったんだよ!」

 と率先して、笑いのネタにしていた。すると、みんなも、

「うっわ、ダッサ!でも、なんかおばあちゃんかわいいな‼」

 と笑ってくれた。これは僕のなかでも、今でも忘れられないエピソードだ。

 

P72

 今回のU-16日本代表は、1994年1月1日生まれ以降で構成されていたので、いつしか〝94ジャパン〟という愛称で呼ばれるようになった。その94ジャパンのコンセプトは、

「誰が入ってきても、集団で楽しくサッカーをする」

 ということだった。1人の選手だけが楽しければいいのではない。1人が落ち込んでいたら、その1人を楽しい方向にもっていこうというチームだった。

 だから、僕という〝異質〟が入っても、このチームはすんなりと受け入れてくれた。吉武監督は、合宿のミーティングでこう話をしていた。

「いいか、人間は生い立ち、文化、肌の色が違っても、根本は同じなんだ。だから、見た目が違っても、新しく入ってきた人間が力を発揮できる環境をつくることが大事だ。みんなもこの先、どこかで必ず逆の立場になることがある。そういったときに、普段から他人のことを思いやっていないと、自分も受け入れてもらえなくなるし、新しい選手が調子を崩せば、チーム全体の調子も崩れる。だから、他人のことを考えて行動することは、のちの自分のプラスにもなるんだ」

 僕はその言葉に深くうなずいていた。どんなに見た目や考え方に異なる部分があっても、サッカーという共通のツールがある。そして、そこにチームとして目指すべきものがあるなら、お互いのことを考えて、受け入れて行動することが大切なんだ。

 ・・・

 ・・・そして、メンバーが発表されると、僕はスタメンだった。大きく深呼吸をしてから、その青いユニフォームを手に取り、袖を通した。その瞬間、僕のなかである感情が湧き起こった。

「僕は日本人として、日本代表でプレーするんだな」

 これまでも、自分が日本人であるとは思っていたが、心の底から「僕は日本人だ」とは思っていない自分がいた。

 でも、このユニフォームに袖を通した瞬間に、僕は日本人の〝鈴木武蔵〟になれた気がした。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、僕のなかでは、初めて周りからも日本人だと、目に見えるかたちで認められたような感覚があった。

「よし、やってやる!」

 南野拓実と2トップを組んだ僕は、FWとしてスロバキアを相手にがむしゃらにプレーした。・・・

 ・・・

 打った瞬間、決まると思った。ボールがものすごい勢いでゴール左に突き刺さった瞬間には、すでに僕がガッツポーズをして走り出していた。

「武蔵、ナイスゴール!」

「めっちゃ、すごいシュートやんけ!」

 僕のもとにチームメイトが、次々と祝福にやってきた。正真正銘の代表初ゴール。もう最高だった。・・・

 タイムアップの瞬間、僕は空を見上げた。

「日本代表として戦い切ったんだ」

 ・・・

「肌の色が白くならなくても、俺は日本人になれたんだ。周りから日本人だと認めてもらったんだ」

 この気持ちは、小さなことかもしれないけれど、僕の人生においては大きな前進だった。

 

P206

 これは僕のストーリーだけど、人それぞれに抱えているものがある。明るい人ほど闇があるような気がする。暗い過去が多い人ほど、苦労した人ほど明るいかもしれない。しかも、それはすべての場所ではなく、この場所では明るいけれど、他の場所では暗いというように、立ち位置で異なっている気がする。

 それはせめて、人前とか、それぞれの場所で明るくしておかないと、もたないからなのかもしれない。家や学校、職場やコミュニティで明るいキャラクターを演じることで、別の場所にあるつらいこと、悲しいことと切り離そうとしている。

 それはあくまでも自分を守るための予防線なのだと思う。僕も「日本人、鈴木武蔵」を必死で守るために、そういう処世術を身につけていった。

 ・・・

 人間は一つのことばかり考えていたら、かえって視野が狭くなる。明確な答えが出なくて、その苦しみにとらわれてしまい、なかなかそこから抜け出せなくなる。

 だから、それを忘れるくらい没頭できる、機会や場所が必要だと思う。

 それは、スポーツでも、楽器の演奏でも、歌を唄うことでも、絵を書くことでも、何でもいいと思う。学校だったり、公園だったり、別の世界が必要なんだ。

 僕は日本に来てしばらくは、「ハーフで黒人=人と違う=悪」だと思っていた。

 その価値観に縛られていた。でも、サッカーという別の世界を通じて、その価値観から少しずつ解放されていった。僕はこの本を通して、それを伝えたいんだ。

 今見えている世界がすべてかい?

 ちょっと顔を上げて周りを見渡せば、別の世界もあるはずだよ。

 顔を上げてごらん。雲は流れて空は高く広がっているよ。

 今、とらわれていることは、意外とちっぽけなことかもしれないよ。