つづきです。
P131
「自分が生きていてもいい人間だと思えたことなんか一度もない」
何度も聞いたような声が、脳裏に蘇る。人の本質とは、誰かのために役立って生きることだ。人とは支え合って生きる動物なのだ。そんな綺麗ごとが刃物となって彼らを切り刻むだろう。
けれど、違う。
あなたはそういう人間なのではない。
単にそのような状況の脳なのだということに、過ぎない。
「こうありたい。他者から信用・信頼される人間でありたい」と願ってしまい、努力してもそのようにできない自分を責めてしまう生真面目で責任感の強いあなたこそが、あなた自身なのであって、それができないあなたや、自身でも許しがたいほどにだらしなく必要な行動が取れないあなたが、あなた自身の本態ではない。
P154
まとめると、こうだ。
・人の脳は原因となる疾患や機序がどうであれ、情報処理速度の低下、疲れやすさ、記憶や注意の機能の低下等々の症状が現れる。
・結果として、他者の言葉についていけなくなり、言葉や文字、文章の理解が困難になり、複雑な条件から正しい道を選択したり、優先課題を絞り込んだり、中長期的に課題を把持することができなくなり、その状況を他者に合理的に説明することも極めて困難になる。
・それらの不自由は「不安の心理」があることで、一層強く濃厚になる。
・だからこそ当事者は働けなくなり、迫る危機を把握・対応できなくなり、制度の利用にもつながれなくなってしまう。
これが、不自由な脳という状況ゆえに人が貧困に陥り、抜け出せなくなる理由だ。
P162
必要なのは、まずは感じている不自由が「正体不明で抗いようのないナニカ」ではなく、「あくまで症状であり、様々な工夫によって対策がある程度可能」という認識にたどり着くこと。これがひとつ目の自己理解だ。
では、ふたつ目の自己理解とは何か?それは、その不自由を一気に悪化させてしまう最大の要因として「不安の心理」があり、その不安を除去するだけでも不自由の幾分かは解消することができると知ることである。
P176
当事者のライフハック、それは、信頼できる他者への「適度な依存」だ。
あまりにありがちな提案に、がっかりしないでほしい。僕はこれを、不自由な脳に苦しむ全領域の当事者にとっての、最終課題と言ってもいいと思っている。
というのも、発症前の知識や発症後に学んだ様々な領域横断的ライフハックのある、少々チート当事者な僕だが、実はどんな症状理解よりも、どんなライフハックやどんな環境情報的な調整よりも、劇的に不安を軽減し、劇的に脳の情報処理力を取り戻すことができたのが、この適度な依存だったのだ。
当時の僕は、環境情報の多い駅の雑踏やスーパーマーケットの店内などで情報処理に破綻をきたし、座り込んでしまうことがあった。
・・・
けれどそんな時に僕が体験したのは、横にいる妻が僕の背中を撫でてくれた時、僕の手を取って導いてくれた時、どん底まで落ちていた認知機能が一気に立ち上がり直すという、劇的な経験だった。
それは文字通り、劇的だった。
読めなくなっていた文字が、言葉が、再び日本語となって意味を伴って頭に入ってくる。あらゆる情報が混在してぐちゃぐちゃに感じられた視界も、それぞれの物や文字が輪郭を取り戻して、認識できるようになる。それは、壊れた世界の形が一気に正しい形に取り戻されるような、異様なほどの情報処理力の回復だった。
・・・
これは間違いなく、破局時の僕の脳内で、その情報処理力の大部分を使っていたのが「これからどうすればいいのかわからない」「自力でその状況からどう復帰すればいいのかわからない」といった出口のない不安の心理だったからだ。
P187
・・・参考までに、これまで不自由な脳当事者から聞き取った、「障害者枠で就労したものの配慮が受けられない=就労継続が困難な理由となる、働く現場でのしんどさ」をリストアップすると、こんな感じだ。
①身体の麻痺など見える障害へのバリアフリーはあっても、見えない不自由への理解がない(注意障害の特性があるのに騒々しい現場に配置されるなど)。
②水面下の努力で何とかギリギリクリアしたことで「この人はできる」と評価され、より複雑で責任ある業務や立場を求められてしまう(もちろん善意の人事で)。
③できる仕事までできない扱いされて、単純で低賃金の仕事しか与えられない。
④当事者にとって命綱である理解ある上司などが異動してしまう。
⑤部署変更などで環境が変化してもそれを把握して対応することができない。
たとえ障害者手帳を持ち障害者枠で就労したとしても、配慮のない現場での就労継続は困難だ。中には「最初はわかってくれても仕事を続けるほど配慮が得られなくなるので、1年ぐらいで転職した方が環境が保てる」といったことを語る当事者も何人かいた。
この理不尽と徒労感を「飽きっぽい」やら「何をやらせても続かない」と言われたら、本当にたまらないと思う。
ということで、当事者と周辺者に伝えたいことの最後に、僕自身が支援職から受けた支援の中で、最もありがたく感じた体験を紹介したい。
それは脳梗塞後の緊急入院から回復期病棟でのリハビリテーションを経て退院した後、通院リハビリの病院で担当となった言語聴覚士から受けた、得がたい支援の体験だ。
その当時の僕にとって最大の困りごとと言っていいものに、相槌ひとつ思い通りに打てず、ツッコミもボケもできず、ガチガチの表情で不自然にしか話せないこと、つまり「全く病前通りに自然な会話ができない」「思い通りの言葉が出ない」「相手に伝わるように言葉を組み立てることができない」という苦しさがあった。
ちなみに僕が脳梗塞を発症したのは右脳が中心で、言葉の機能を司る左脳はノーダメージ。当然「失語症」の診断はない。ところが、退院後に指導を受けたこの言語聴覚士は、僕の訴えを聞いた後に、「思い通りにお話しできないのは、本当に本当におつらいことだと思います」と、これ以上ないほど眉をハの字に寄せた後、
「たぶん発症前の鈴木さんは、もっと元気ではきはきしている人だったんじゃないですか?」
と一言。発症前はどんなタイプの話が得意だったか、好きだったか、部屋の端に僕を立たせて「私に向かって怒ってみてください」(もちろん無理だった)などといったアプローチをした後、その時の僕自身が具体的にどんな話ならできて、どんな話が苦手になっているのかを「一緒に考えてみましょう」と提案してくれたのだった。
なお、実は僕は、退院前、回復期病棟に入院中に担当した言語聴覚士に同じ苦しさを訴えたところ、「いや、鈴木さんは話しづらいっていうことを、とてもお上手に話されてますよ」と返されるという、非常に残念な経験をしてもいた。
そして、この神対応の言語聴覚士が最終的に僕に伝えたのは「鈴木さんは自己説明的なコミュニケーションが困難になっている」という一言だった。
・・・
いま思い返しても、目頭が熱くなる。
彼女の支援の素晴らしさとは、まず僕自身の「話しづらい」という訴えを、真正面からとらえてくれたことだ。
本来言語聴覚士の職域にあって注目すべきは、僕の脳画像の言語野が損傷しているかいないかとか、発話能力の検査点数だし、経験があるほどに引っ張られるのは「他の当事者との比較」「平均的な健常者との比較」による、話せているか話せていないかの評価だろう。
けれどこの言語聴覚士は、極めて単純に純粋に、僕の訴えのみに着目してくれた。僕が発症前の自分を基準に比較して、いまものすごく話しづらい状況にあると言っている、そのことだけに着目して、その苦しさをどう改善できるかを真剣に考えてくれたのだ。
これこそが、あらゆる支援職の基本の立ち位置であり、ご家族を含む周辺者に当事者として最もお願いしたいマインドだ。
とにかく、我々が苦しいと言っていることを無視も軽視も無用な解釈もせず、ただただその言葉をそのままに受け止め、「楽になるために何が必要か」、一緒に考え学んでくれることを、切望する。
P202
穏やかに語るしばさんは、「本来はやりたいことがなくても、別に人は生きていてもいい。生きてるだけでもいいはずなんですけどね」と付け加えた。
そんなしばさんにも、ひとつ答えが出しにくい悩みがあるという。私的な人間関係についてだ。
「実は家族や知人には申請の前から言ってましたし、実際に受給開始しても『あ、受けれたんだね』という反応。なので、リアルな人よりもネットの反応の方が酷かったですね。もともとは生活保護YouTuberだったわけじゃないので『みんな仕事は嫌いだし働きたくないんですよ』とか『いままで応援してきたけどがっかりしました』なんてコメント来て。・・・」
・・・
・・・たびたび感じるのは、実際の生活保護利用者の生声と世間の生活保護にまつわるイメージのギャップがすごいことについてだ。
そのことについてのしばさんのリアクションもまた、リアルで説得力があった。
「そりゃ、生活保護で静かに暮している人たちが、わざわざ自身から発信したいとは思わないじゃないですか。発信したら即叩かれる中で、あんま進んでやろうという人はいない。僕が発信するのは、お金がないから死ぬしかないとか、実際に自殺してしまう人もいるのはおかしいって思うからです。この制度があるのに。それっておかしい。あと、ネットに書かれる生活保護にまつわる情報の中には、けっこう嘘も交じってますし、とにかく生活保護を受給して発信している人に『こいつ全然違うこと言ってんじゃん』みたいのは、感じたことがないですよね」
・・・
・・・しばさんをはじめとして、様々な生活保護利用者かつ発信者のコンテンツを視聴する中で、「新しい生活保護マインド」とでも言えるようなものが彼らの中に立ち上がっていることを強く感じた。
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・・・若い発信者の中には、生活保護利用を次の自分の人生の展開を考え学ぶ「リスキリングの機会」ととらえているケースも少なからずあった。
学校出て就職して、そこがブラックで親ガチャも外れてたら「人生詰み」、ではなく、そこで一息の猶予期間を得て再起を図る、つまり生活保護を生存権というより「ゲームへの再挑戦権」としてとらえるような、かつては耳や目に触れなかった新たなマインドだ。
