書き留めておきたいところがもう少しあったので、つづきです。
P95
共同経営が起きない理由をケニアに向かう途中のバスに居合わせた零細商人たちに聞いたときに、一人の商人に「俺たちが個人主義だとして、その何が悪い?」と言い放たれたことがある。
「路上商人は、警官をみたら自分の荷物をつかんで個々ばらばらな方向に逃げる。足の遅いやつにかまっていたら、みんなが捕まる。逃げきった商人が多ければ、捕まった商人を後から助け出すこともできる。同じように儲からない商売をみんなでやって何になる?みんなが食えなくなるだけだ。零細商売はあっという間に儲からなくなる。みんなで動こうとすれば、機会を逃す。誰かが動けば、道ができる。ばらばらに動けば、誰かは成功する。誰かが成功して団子状態から一抜けすれば、その分だけ誰かの余地が生まれる。動けるのに動かない人間は、ほかのみんなの余地を奪う」(古着商人、男性、二〇代後半、二〇一一年三月)
これはおそらく個人主義ではなく、「仕事は仕事」の基本、ジェネラリスト的職業選択と生計多様化戦略―「どれかは/誰かは成功する」―を、「世帯」よりもずっと大きな社会を単位に位置づけた戦略ではなかろうか。・・・
P155
帰国日に、ブクワの息子がわたしをバス停まで見送りに行くと言い張った。道すがら、ヘッドホン型のラジオが欲しいと耳打ちされる。いくらかと尋ねると、三〇万シリングととんでもない値段を言う。聞こえていたらしいブクワは、「客人じゃなく父親の稼ぎを考えてものを言え」と雷を落としたが、ラジオがいかにカッコいいかを説明する息子の話を聞くうちに、ブクワ自身も欲しくなったようだ。「それならコピーを買ってもらえ。どうせすぐに飽きるんだから。それで次にサヤカが来たときには、ラジオは壊れたといって、また違うのを買ってもらえ」という父子の内緒話を、わたしはしかと聞いた。
長持ちしない安物なら、遊び心あふれる商品やすぐに飽きる奇抜な商品を購入してもいい。最貧国の一つに数えられるタンザニアで、遊び心やウィットにあふれたモノはいまを楽しむことを可能にしているとみるか、モノに生活をコントロールされるジレンマを生み出しているとみるかで、模造品やコピー商品の道義的な合法性と違法性との境界はまた動くだろう。
P180
都市部の貧しい若者たちの多くは、これまで述べてきたように、どんなに努力しても生計をうまく維持できない事態にしばしば見舞われた。彼らは頻繁にお金を貸し借りしていたが、・・・自身が困ったときに、以前にお金を貸した相手から返済してもらうよりも、そのときに理解を得られそうな相手に新たな借金を申し込む傾向にあった。そのため、誰もが誰かに金銭を貸していると同時に、誰もが誰かに金銭を借りているという状況におかれていた。当時、わたしはなぜこのような事態が生じるのかが不思議でならなかった。
ただ、若者たちがカネを借りることを誰かに頼むよりも、貸したカネの返済を催促することのほうにより大きな心理的負担を感じていることは間違いなかった。・・・
友人たちは、のっぴきならない状況に追い込まれて借金を頼むときには相手の気持ちを推し量る余裕は失われているし、意図せずとも、自身の表情が相手に助けてほしいと効果的に訴えてしまうから、それほど苦心して説得をしなくても済むとよく指摘した。言い方に語弊があるかもしれないが、追い詰められた側は、ある意味では自信をもって無心ができるのだ。それに対して自身はとくに困っていないが、ただ時間が経過したので借金の取り立てに行く場合、自発的に返しにこないのだから金銭に困っている可能性は高く、借金を抱えている人間の苦悩を感受して説得交渉に負けてしまうこともある。
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また友人たちは、基本的に親族や友人間の貸し借りについて、金額や返済期限などを契約書のようなかたちで厳密に残しておくことはしなかったし、それは相手に対する不信の表明として忌避される傾向にあった。それゆえ、かつての貸し手が困ったときに、かつての借り手に金銭を要求するときでも、彼らは改めて必要な額について交渉する傾向にあった。それは「負債」が返ってくるというより、新たに「借りをつくる」こと、すなわち贈与を繰り返すことに等しかった。
P216
わたしが長年、調査してきたタンザニア都市住民は、即応的な技能で多業種を渡り歩くジェネラリスト的な生き方をしており、また「一つの仕事で失敗しても、何かで食いつなぐ」「誰かが失敗しても、誰かの稼ぎで食いつなぐ」という生計多様化戦略を採っていた。彼らにとって事業のアイデアとは、自己が置かれた状況を目的的・継続的に改変して実現させるものというより、その時点でのみずからの資質や物質的・人的な資源に基づく働きかけと出来事・状況とが偶然に合致することで現実化するものであった。このような仕事に対する態度には、均質的な時が未来に向かって単線的な道筋を刻んでくという近代的な時間とは異なる時間が流れていた。
不安定で不確実な生活は、人びとに筋道だった未来を企図することを難しくさせるが、代わりに好機を捉え、その時々に可能な行為には何でも挑戦する大胆さをも生み出す。不確実性が不安でしかなく、チャンスとは捉えようがない社会は病的であるかもしれない。目標や職業的アイデンティティを持たず、浮遊・漂流する人生はわたしたちには生きにくいものにみえるが、タンザニアの人びとはこうした生き方がもたらす特有の豊かさについて語る。それは、職を転々として得た経験(知)と困難な状況を生きぬいてきたという誇り、自分はどこでもどんな状況でもきっと生きぬく術を見出せるという自負であり、また偶発的な出会いを契機に、何度も日常を生き直す術であった。
