自分の時間を生きるということ、そうですよね、それができていたら健やかでいられますよね、と思いながら読みました。面白かったです。
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この本は、過疎化が止まらない鳥取で砂丘の近くに生まれ育ち、スタバのスの字も知らぬまま高校卒業を迎え、運良く東京大学に受かって進学したものの、東京にも世の中にもうまく適応できず迷ってしまった田舎者が、ある授業を通じて出会った恩師の助言をきっかけに「自分の時間を生きる」ことを決意した結果、期待も想像もしていなかった方向に人生が流れていったその日々を振り返った記録と記憶の1冊だ。
P12
2004年4月9日金曜5限、東京大学駒場キャンパス。入学初日の午後のことだった。
各授業を自由に見てまわりながら、履修する授業を選択することになっていたこの日、2年生の先輩に強く勧められて何となく足を運んだその教室で、僕は人生を変える出会いを経験することになる。
それは、科学史・生命倫理学専攻の小松美彦教官による「科学史」の授業だった。
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・・・この初回の授業で・・・興味を引かれたのが、その場で発表された授業の評価方法だった。
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この科学史の授業の場合は期末試験のみということで、それ自体はまったく珍しい方法ではなかったが、面白かったのは2種類の試験を用意すると宣言されたことだ。
具体的には、「授業に出た学生用」と「授業に出なかった学生用」の2種類で、前者は普通に毎回、授業に参加した人のための通常の期末試験を意味する。
独特なのは後者だ。曰く、「授業には出られないけれど、何らかの理由で単位は必要だという学生」に向けて、試験さえ受ければそれで単位を取得できるかたちを採るということだった。学生にしてみれば、実に理解のある教官ということになる。
試験問題もその場ですぐに発表されて、教官が指定する3冊の本の中から1冊を選び、それを読んだうえで試験当日、書評を書くというものだった。
その3冊のうち2冊が教官の自著で、もう1冊は別の著者による生物学の本だった。この残りの1冊は、小松先生の研究者人生における原点となった1冊だったことをのちに知る。これは推測にすぎないが、学生からの書評を通じて、何か思わぬ角度からの指摘や批評、批判が得られることを期待していたのかもしれない。
何年かのち、「自らの論著なら多少のごまかしがきくのに比べ、書評を書くと嫌でもその人の実力が出る。書き方にその人の知性や人格が滲み出る」といった意味のことを、先生が話すのを聞いたことがあった。そう考えると、ただ、親切なだけでなく、ある意味恐ろしい試験でもあったのかもしれない。
ちなみに、この「授業に来なかった学生のための試験」というのは、実はその受験者達、つまり授業に出ない学生達のためだけの仕組みでもない。
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要するに、「教室には真剣な人間しか来てほしくない」というメッセージであり、0か100か、どちらか一つの関わり方しか許されない授業だったのだ。
この授業に対する教官の本気が明確に伝わったし、同時にこの試験方法ひとつ聞いただけでも、いかに考え抜かれたうえで綿密に設計された授業であるかを予感することができた。
結局、この授業は最後までずっと大教室が満員だった。・・・
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「この授業でみなさんに要求することは、たったひとつだけです」
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「自分の目で見て、自分の心で感じて、自分の頭で考える。一見簡単なようで実は存外に難しい、たったこれだけのことを、みなさんには、つねに実践してほしいし、できるようになってもらいたいと思います。そして、自らの目、自らの心、自らの頭で見て感じて考えた末に、生とは何か、死とは何か、生きるとは何か、死ぬとは何かということについて、いまから3カ月後に迎える最終授業の日、みなさんの考えが、いまより一歩でも深まっていたとしたら、この授業は成功です」
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「俺はべつに頭は良くないよ。ただし目と鼻は良いけどね」
これは授業のあと、個人的な質問のある学生が並んでいた際に、僕のひとつ前に質問した学生に対する先生の回答だった。
その学生は、多少の緊張も手伝ってか、早口で上ずった調子でこう尋ねていた。
「あの、えっと、先生はすごく頭が良い方だと思うんですけど、どうやったら先生みたいに頭が良くなれるんですか?」
自分を棚に上げて失礼を承知でいえば、ちょっと、さすがにそれは、質問の仕方が雑すぎやしないかと思った。・・・
とはいえ、当時は僕も小松先生を前にすると、その覇気に圧倒されて急にうまく話せなくなることが多かったので、その気持ちは痛いほどわかった。
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そこには「目と鼻が良い」という文字どおりの意味に留まらず、ほとんど、「目と鼻は鍛えている」に近いニュアンスがあった。
ラッキーというべきか、たまたま居合わせただけなのに、何だかすごいことを聞いてしまった気分だった。
ところで、授業初日から気になっていたのが、先生の姿勢の良さ、立ち姿の美しさだった。・・・
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そこで、ある日の授業後、先生のもとに向かい、シンプルにこう尋ねた。
「姿勢を良くするには、どうしたらいいんですか?」
質問を聞いた小松先生は、こちらを見て一瞬、ニヤリと笑った。質問の意図が伝わった感じがして嬉しかったが、直後に発せられた答えは僕の想像の斜め上をいくものだった。
「思想、精神を良くするんだよ」
「え?」
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「だから、思想、精神を、良くするんだよ」
「わかりました。ありがとうございます」
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また、この授業が科学史、そのなかでも、生命倫理学分野を中心に扱う内容だったこともあり、死生問題をテーマにしていたことも、よりこの思索を深いものにさせてくれた。・・・
