かならず先に好きになるどうぶつ。

かならず先に好きになるどうぶつ。 (Hobonichi Books)

 糸井重里さんの言葉を集めた本、そうですよねーと思うところがたくさんありました。

 

P46

 なにか「いやだな」と思うようなことがあったとき、

 それをそのまま書くよりも、

 できるだけ「いいな」と感じたことを書きたい。

 できるだけじぶんの気持ちがよかったことを、

 書くようにしている。

 

 混雑した電車の中で、

 他人を突き飛ばして乗り込む人に、

 なにかいやなものを感じた場合は、

 大混雑の中でも気持ちがよかった経験のことを

 書くようにしたいと、できるだけ考えを巡らせる。

 それが、そうそううまくいくわけでもないので、

 そのまま書くのをやめてしまうことも多い。

 

 なにか、正しくないことを見つけて、

 それがよくないことであると叱っていれば、

 じぶんは、「善いもの」でいられる。

 それどころか、人の言いにくいことをはっきり言うと、

 勇気のある人のように称えられるかもしれない。

 でも、これじゃない方法をとりたいと思っている。

 

 美しからぬものを見つけて、これはみにくいと、

 指摘するようなことも、あんがい受けがいい。

 美意識が高いとか、趣味がいいとか思われたり、

 それが仕事として成立したりもするかもしれない。

 

 だけど、それよりは、じぶん自身のやることで、

「これは好きだ」とか「きれいだね」が、

 表現できたほうがずっといいように思う。

 できるだけ、ぼくは「希望」の探せることをしたいと思う。

 

P52

「ほんとにやろうとしていること」と、

「ほんとにやろうとはしてないこと」とがあります。

 おなじく、「ほんとにやろうとしている人」と、

「ほんとにやろうとはしてない人」がいます。

 

「ほんとにやろうとしていること」よりも、

「ほんとにやろうとはしてないこと」のほうが

 派手で、見栄えがよかったり、人々にウケたりします。

「ほんとにやろうとしている人」よりも、

「ほんとにやろうとはしてない人」のほうが、

 よりまっすぐだったり、命がけに見えたりもします。

 

「ほんとにやること」というのは、

 ときに妥協が必要だったり、曲がりくねったり、

 むだなことのようにさえ思えたりするものなので、

 やり続けるのに勇気みたいなものが必要になります。

 また、「ほんとにやろうとしていること」には、

 できないかもしれないという疑いとの戦いもあります。

 

「ほんとにやろうとしていること」をやっている人と、

「ほんとにやろうとはしてない人」は、

 あんがい見分けがつくような気がしています。

 ぼく自身が、「ほんとにやろうとしていたこと」と、

「ほんとにはやろうとしてなかったこと」の両方を、

 恥ずかしながら経験しているせいもあります。

 

「ほんとにやろうとしていること」を抱えている人は、

 理解されるための表現を、やや抑えています。

 その理由は、うまくプレゼンテーションしすぎて、

 あとで「がっかりした」と言いそうな人まで巻き込むと、

 お互いのためにもよくないから、だろうと思っています。

 逆に「ほんとにやろうとはしてない人」は、よく語ります、

 よく叫びます、よく表現します、よく誘います。

 

P77

 すこし粗末に扱われている時代には、

 周囲がよく観察できるわけで、

 その時代に培った観察力とか、技術とかが、

 百どころか二百とか千とかの価値を生み出すんだと思う。

 いまの若い人、わたしの価値を安く見ないでと

 早めに対策しすぎてるような気がする。

 低く見られているうちが、根っこを育てるとき。

 

P82

 変態をする昆虫のサナギのなかは、

 なんのかたちもしてないどろどろなんだと聞いたけど。

 それを知って驚きもしたけれど、なんとなく、

 そうなんだろうなと、まるごとわかった感じもあった。

 

 日本の夏、特に八月というのは

 なにかが、なにかに生まれ変わる前の

 坩堝(るつぼ)のような時間に思える。

 

 夏休みの少年や少女たちは、夏になにかが変わって、

 ちょっとだけ別人になって新しい学期を迎える。

 八月の間は、夢中で夏と格闘していたので、

 じぶんが変わったことに気づけなかったのだ。

 

 大人になってからも、もちろん老人も、

 生や死や、光や影や、出会いや別れを感じる八月には、

 こころのなかに渾沌に似たものを見つけることになる。

 年相応の落ち着きや知ったかぶりができなくて、

 夏の暑さにいったん溶けてみたほうがいいのだろうな。

 

 たくさんの変化が、準備されている。

 変わることを怖れないだけでなく、

 変わることのほうに飛び込んでいくような季節が、

 すこしずつ動き出していくはずだ。

 

P84

「おれは弱ってるなぁ」という日が、

 あってよかったと思うことがあるのだ。

 こころが弱ってなかったら、

 このことばはあんまり染みてこなかった、ということ。

 希望がかすんで見えなくなってたおかげで、

 思ってもみなかった方向の、微かな光が見えたこと。

 そんなことがあるものなのだ。

 

P93

 統計をとって、それを見て言ってるわけじゃないけど、ある程度大人になってから、家に犬や猫を迎えた人は、みんな幸せを増やしているなぁと思えます。明るくなったとか、夫婦の仲がよくなったとか、いろんないいことがあった家が多い。・・・しばらく考えてきたんですよ、それについて。で、それなりに、こういうことかと、考えた。まず、犬や猫を家に迎え入れる前に、家族の間で真剣な話し合いが行われると思うんです。・・・朝の散歩をどうするかとかについて、生活習慣を見直したり、・・・部屋の片づけをちゃんとやろうとか、・・・お金もかかるということについて、・・・たくさんの判断が必要になるわけです。・・・これをちゃんと話し合い、実行できるようになった家族は、ひと回り強くなってる。そして、これがいい習慣を家にもたらし、そこから幸運を招き寄せることになっていると思えます。そして、犬や猫が家のなかに暮らすようになると、「じぶんのことばかり考えていられない」という状況に、どうしてもなってしまいますよね。だれにでもさまざまな悩みがあり、考えることは多い。でも、じぶんのことをじいっと考えていても、それはなんとも「狭い」ものになりがちです。犬や猫がいると、そういう「じぶん用に悩む時間」が、彼らのごはんや散歩やうんちやおしっこに奪われちゃう。それが、人を明るくするのかもしれないと思うのです。・・・

 

P261

 ぼくは、このところの忙しさの正体がわかった。

 なにかと「終わり」の準備をしているつもりがあるので、

 あれもこれもやっておこうとして、気が急いているのだ。

 ぼくは、じぶんに残っている時間や元気のことを、

 強く意識しはじめてしまったのである。

 つまり、時間や意義みたいなものにケチになっている。

 あれもこれも、残しておかずやっておこうと思うのは、

 悪いことでもないのだけれど、余裕がないのはダメだ。

 いつまでも元気で生きるつもりのことを、

 混ぜておかないと、役に立つことを優先しすぎてしまう。

 人間というのは、そういうのに向いてないのにね。