こんな方もいるんだ!と驚きながら読みました。
P35
わたしは昔から、自分ごとでも一度客観視して考えるくせがある。考えるときの視点は一方向だけじゃないほうが気づきは広がると思っているからだ。
そもそも悲観的な気持ちが、屋根から落ちてすぐには頭の中になかった。もしも相手の過失による交通事故だったとしたらわからなかったけど、自分で起こした事故だから、「やっちゃったなー、テヘ」って感じ。
恨む人がいるわけでもないし、悔やんでも仕方ない。自分のせいだって思っているお父さんのことをかわいそうだなって思ったくらい。
だからなのか、一度も取り乱すことはなかった。治らないんだろうなというのも、落ちてすぐに感じていたし、取り乱したってどうにかなるわけじゃないのはわかっていたし。そんなことをする時間があるなら一刻も早くいま自分の置かれている状態を知りたかった。
脊髄損傷になっても歩いている人がいるなら、その可能性へ向けて動いたほうが自分のためになるからだ。
後から聞いた話だけど、多くの人は事故の悲しみから前向きな思考へ切り替えるまでにとても時間がかかるという。だからわたしの受け答えや態度を見て「真子さんってネジがはずれてるよね」とポカンとされることが多い。みんなが数年かけていることをすぐに切り替えることができれば、かなりの時間短縮になる。それって結局は自分のためにもなるから、ネジがはずれてていいでしょ?って胸を張りたい。
P122
わたしはヒールを履いている女性が大好きだから、もうそうはなれない、勝てないってなったとき、じゃあ車いすできれいでいようとか、メイクを頑張ろうとか、中身を磨こうとか……そうやって、今の自分にできることを探していって、ちょっとずつ伸ばすことにした。それでも他人の行動に気を取られてしまうなら、〝その気持ちを一旦忘れる〟って方法をとっている。
忘れるっていうのは、失恋と同じテンションだと考えてもいいと思う。夜、失恋をしてとても悲しかったとする。でも朝がきたら仕事をしたり、友だちと遊ぶ予定があって、別のことをしているときって失恋のことを一旦忘れてしまう。そのときの感覚と一緒!
また、ふとした瞬間に思い出して気になったりもするけど、次に違う予定を過ごして一旦忘れられる。それを繰り返していくと、だんだん気にならなくなってくる。というように、ようは時間の問題。時間が心のもやもやを晴らしてくれる。
今悩んでも仕方がないことはたくさんあって、それこそケガをしてすぐに「はあー、これから恋愛できるのかな⁉」なんて悩んでいたって、理想の相手が目の前に現れるわけじゃないし、そもそも入院しているときに出会いなんてないし。こんなの時間が経たないと解決しなくて、いろんなできごとを積み重ねたからこそ答えにたどり着く場合もあるからさ!
まず歩けないということは、すぐには変わらない現実。だったら、今そのことについて長い時間悩んでいても仕方がない。
ただこの先医療が発展すれば、もしかして歩けるようになるかもしれないし、改善するためのなにかが作られるかもしれない。じゃあ、そのときの自分がどういうカラダを保っているといいのかなって考えたとき、「泣くばかりでなにもしていませんでした」というよりも、「脚の筋肉を落とさないようにたくさんトレーニングをしていました」というほうが、未来のためになる。そのときのための準備は、今やるべきことなのだ。
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本当に今やるべきこととやらなくていいことを区別するときに、〝一旦忘れる〟ことも考えてみてほしい。
P142
自分から仕掛けようと考えていることは、ほかにもまだまだある。車いすユーザーの話を聞いていてちょっとヤバいなと感じている問題が、慢性的な運動不足。・・・
・・・車いすや障がい者たちが行けるジムは簡単には見つからない。みんなどうやって運動をしているのかと聞くと、家で筋トレを頑張るしかないという状況。
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・・・今、お兄ちゃんは葺師の見習いをしながらジムのトレーナーをしている。お兄ちゃんのジムも健常者しか入れなくて、車いすの人ができるトレーニング機器も置いてない。
「うーん、だったら作っちゃおっか!お兄ちゃんのノウハウもあるし、ちょうどいいよね」という感じで話を進めているところ。多くの人の悩みがジムひとつで解決するし、さらに自分にとってもハッピーなら、もう作るしかないでしょう。
P146
障がい者がお金を使うことになにも後ろめたい気持ちを抱かなくていいんだよ。ということを伝えるために、わたしは率先して楽しさを見せているんだけど。それに対して「羨ましい」と思わせたら勝ちだなって正直思っている(笑)。地元の人からすると、毎月飛行機を使って県外に出ているわたしの正体はもはや謎だと思う。「あの子は働いてるの?」「どこからお金が出ているの?」って、すごく遊んで暮らしているみたいに見られているかもしれない。でもわたしは理想の暮らしをするために、自分で考えて仕事を見つけて必要な分を稼いでいるから、胸を張って生きていける。
中途で障がいを負ったわたしのような人間は、欲しい情報が少ないから、企業さんの努力や最新情報をみんなに伝えたいと思って、頼まれなくてもSNSに企業のハッシュタグをつけて発信したり、車いすのメーカーさんのイベントに行って対面で話したりして、コツコツといろんな人たちとの信頼関係を築く行動をとっていた。それで全国から話を聞きたいと声をかけていただくようになり、イベントにも呼ばれるようになったりして自然とマネー化につながったわけで、なにも努力していない人に「全国に行けてずるい」とか言われる筋合いはない。
P149
悩みは自分から伝えないと誰にもわかってもらえない。抱え込んでしまうような悩みはもう自分の中では消化できないものだから、人を頼ったほうがいいと思う。問題を早くクリアしたいなら、自分の弱い部分をどんどん出していってほしい。
例えば「みんなどうやって排泄してるの?」なんて健常者のときは話題にのぼることはないから、「どうぞ隣の人に聞いてみてください」と言われても恥ずかしくて聞けない。でも車いす生活になって、どうしたらいいかわからないってなったとき、誰かに聞かないといつまで経ってもひとりでできるようにならない。
障がい者の性行為についても、聞きづらいとかタブー視する風潮がある。でも、わたしにとっては生活の一部でとても大切なことだから、聞ける人を探してでも聞こうと思った。解決したいから、前に進みたいから、毎日を明るく生きたいから聞くのだ。
P151
「健常者の何倍も頑張っているわたしたちは、強い人間って思うことも大事だ」ということをブログにも書いた。世の中のものは、人間が五体満足で生きるような仕組みを前提としていて、いろんなものが設計され配置されている。
そんななか、どこか不自由になったとしても、健常者と同じように24時間365日わたしたちは生活をしている。
例えば健常者は排泄を我慢できても、わたしは我慢することができない。だから、排泄のために一日の時間管理をして、さらに常に感覚を研ぎ澄ませ、時間じゃなくても今トイレに行ったほうがいいって、時には判断をする。排泄の管理だけでも健常者よりもすることが多いのに、そんな生活を毎日できているわたしたちって優秀だよね。
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不自由を受け入れて、不自由をカバーしながら、五体満足の人たちと同じ生活レベルで過ごしている。ましてや普通の人たちよりも逆にすごいことをして生きている。だから胸を張っていい。わたしたちは強いんだって。
P173
障がいを負ってからは、できなくなったことが増えたし、健常者よりも体力を使って生きているとも感じる。きっとこの先も年を重ねていけば、もっとカラダに合わないことが増えてくるんだろう。将来のわたしがどうなるか、今はまだわからないけど。
そういう意味で、わたしには〝ケツ〟があると思っているから、「よっしゃ今を楽しく生きよう!」って気になれている。
そう考えると、生きていくなかでためらいがちな、一歩を踏み出さないといけないような事柄に対しても、思い切って前進しやすくなる。
できるかな、怖いな、大丈夫かな……。そんな思いが浮かんでも、いやいやわたしには時間がない、ケツがあるから言いたいことも言うし、やりたいことはどんどんやっていこうって思考で満たされる。
それからはわたしにはケガという経験がある。「わたし一度死ぬ思いしてるんだけど」って思い出せば、何をするにもまず「それ以上に怖いことってある?」って思うの。結果、「死ななきゃ大丈夫でしょう、じゃあやってみよう!」にたどり着ける。
P188
今までの経験やシチュエーション、誰かの体験談とか、そういったものが記憶のストックにあれば、いざ同じ状況になったときに「そういえばあのとき、どうして失敗したんだっけ?」と、思い出すことができる。失敗したことを思い出して、わざわざツラくならなくてもいい。
だって、どれだけ恥ずかしいことや、やらかしたってことがあったとしても、今の自分には影響してないでしょ。むしろ改善できる分、あのときの失敗ありがとうって感じ。失敗して今もなにか悪いことが続いているのか?そんなことは絶対にない!・・・山あり谷ありの人生を送ってきたわたしが断言する。死ぬことに比べて、失敗による恥なんて些細なことだよ、と。
