異国の味

異国の味 (集英社ノンフィクション)

 帯にあるとおり「博覧強記の料理人イナダシュンスケによる外国料理エッセイ」。

 へぇ~がいっぱいで面白かったです。

 

P42

 僕の本格的なフランス料理との出会いは、極めて幸福なものでした。

 それは、今を遡ること30年前、新卒で大阪の会社に就職したばかりの頃です。近くのオフィスビルの最上階に、そのレストランはありました。

 そんな場所にあるくらいですから、その店はいわゆる高級店。ウン万円のフルコースが主体です。しかしその店が特殊だったのは、メニューの中に格安のお手軽コースがあったこと。前菜とメインそれぞれいくつかの選択肢から選び、その2皿にグラスワインが2杯付いていました。値段ははっきりとは憶えていないのですが、少なくとも1万円でしっかりお釣りがきたことは確かです。

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 ・・・サービスがこれまた素晴らしかったのです。いや、「素晴らしかった」などと上から目線で語っている場合ではありません。僕は今でも本当に心から「感謝」しています。着慣れぬスーツでしゃちほこばった若造に、あそこまで親切で丁寧でプロフェッショナルな接客をしてくれるなんて、そうそうなかったことだと思います。

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 ある時、前菜の中にリー・ド・ヴォーの料理を見つけて、迷わず注文したことがありました。食べ物に関する本なんかで、活字でだけは何度も見かけていた「仔牛の胸腺肉」です。真っ先に、それを選んだことを褒めてもらいました。もちろん僕は有頂天です。

「リー・ド・ヴォーはよく召し上がられるんですか?」

 とも聞かれました。よく召し上がってなんかいないのは百も承知だったと思います。それでも「召し上がったことあります?」ではないのです。そしてそこから料理についての詳しい説明が始まります。リー・ド・ヴォーの何たるかはギリギリ知っている程度の料理オタクだった僕は、そこに対して拙い質問もします。そんな生半可な質問にも即座に丁寧に答えてくれました。

 グラスワインはいつも、「入れすぎちゃいました」と笑いながら、たっぷりすぎるほど注いでくれました。メインを食べ終えた後には、「よろしければ」とワゴンに載った様々なチーズを振る舞ってくれました。いやこれ、本当に「振る舞い」だったんです。料金に追加されることはありませんでした。なのに、ずらりと並ぶチーズをひとつずつ説明してくれながら、こちらがちょっとでも興味を示したものは、片っ端から気前よく切り出してくれました。その時は訳もわからぬまま喜んでましたが、あれはどう考えても普段は高額コース用のサービス、もしくは追加料金が必要だったはずです。・・・ 

 明らかに不慣れな若造なのに、と言うよりは、不慣れな若造だったからこそ親切にしてくれたんだ、ということが今となってはわかります。

 ・・・

 しかし残念なことに、一年もたたないうちに転勤の辞令が出ました。次の勤務地は名古屋です。

 しばらくの間は新しい職場に慣れるのに必死でしたが、少し余裕が出てくると、思い出すのはあの大阪のフレンチレストランです。ああいう店が、探せばこの地にもきっとあるはずだ、と考えました。・・・

 当時まだネットはそう普及しておらず、・・・半ば当てずっぽうで探すしかありません。僕はとりあえず、そこそこいいホテルの中に入っているメインダイニングのフランス料理店に目星を付けました。

 結論から言えば、その選択は大失敗でした、何がって接客がです。40代くらいの黒縁メガネをかけた男性のサービスマン氏は、大袈裟でなく、

「うっかり紛れ込んできてしまった場違いな若造を思いっきり馬鹿にしてやろう」

 という悪意すらあったのではないか、としか思えない態度だったのです。

 注文の時に、長い料理名を読み上げていると、途中でプッと吹き出しながらそれを遮り、「仔羊のロティですね」と言いながら注文票にそれを書きつけました。

 ホワイトアスパラガスの料理を選んだら、「生のホワイトアスパラ食べたことあります?」と訝しげに尋ねられました。

 追加でフォアグラ(もちろん最高額メニューのひとつです)を薦めてきて、断ると光の速さで回れ右をして、そのまま無言で去っていきました。

 腹が立つを通り越して、なんだかそれはもはやコントのようでした。子供の頃見ていたドリフのコントで、高級レストランを舞台にしたものがありました。志村けん演じる客と、加藤茶演じるサービスマンのコントです。客は徹底的に不慣れで、サービスマンは徹底的にそれを馬鹿にするというのが大筋の内容。

 現実にもこういう世界があったのか、と僕は呆気に取られていました。いや、現実にあったからこそ、それを誇張してコントが作られたのでしょうし、またこういう扱いを受けてフランス料理が嫌になった人も実際数限りなくいたことでしょう。なんと僕も急遽そのひとりになってしまったわけです。

 

P196

 このエッセイの連載中、「これは飲食業界だけの話とは思えない」という共感を多くいただきました。「自分の居る業界でも、同じようなジレンマを抱えている」というような内容です。それは例えば音楽業界。市場は常に新しいものを求めているが、新しすぎると受け入れられない。かと言って、理解されやすいものだけを打ち出していくのでは業界に未来はない、といったような話です。出版業界からも全く同じような話を聞きました。

 美術や演劇といった分野からは、今はそれが一部の愛好家だけのものにとどまっており、その裾野を広げようとしてもなかなかうまく行かない、という話もありました。どうかすると「既存の愛好家」の愛の強さゆえに新しい愛好家が生まれない、という皮肉な実情もあるようでした。

 どんな分野でも、新しい文化を発信し伝えていくのは、並大抵の苦労ではありません。しかし、誰かがどこかでそれを受け止めてくれたら、こんなに嬉しいことはないでしょう。更に、もしそれが世の中に広まって定番化したら、それこそ作り手冥利に尽きるというもの。

 今、僕たちが当たり前のように楽しんでいる異国の味の数々は、そんな苦労と喜びの中で世の中に広まっていったものです。・・・