川内有緒さんの書くもの、好きです。
意外にも初のエッセイ集とのことでした。
P12
夢とは、ありふれているわりに不可解な存在である。眠っている間に見る「夢」と、人生の願望としての「夢」というふたつが、なぜ同じ言葉なのか。「私には夢がある」と演説したのはキング牧師だが、彼の国家レベルの未来図と私の布団の中で繰り広げられるドタバタ劇が、日本語でも英語でも、ましてやフランス語でも同じ言葉だとはミステリーだ。
そんなことを考え始めたのは三年ほど前だった。写真家の友人とパナマのサンブラス諸島を小船に乗って旅した。・・・私たちが辿りついたのは電気も新聞もトイレットペーパーもない島だった。とびきり小さく、歩いて一周しても一五分ほどしかかからない。小さな家が隙間なく並び、数百人ほどが身を寄せ合って暮らしていた。
驚いたのは、島民がみなハンモックで寝ていることだ。赤ちゃんも妊婦も長老も例外なし。さらに夜一〇時には全員きっちりと就寝すべしという掟までついてくる。村長に理由を問うと「夢を見るためだ」と説明される。・・・
・・・
翌日、ひとりの男性が島を案内してくれることになった。しばらく歩いて一軒の家の前を通りかかると、彼は庭先に駆け込み、木にぶら下がったハンモックにゴロリと横になった。何事だろう。見守っていると、ふくよかな女性がゆっくりとした足取りで家から出てきて、仰向けになった男の喉元に手を当てた。そして精神を統一するかのように空を見上げたかと思うと、やおら彼の口をグイとこじ開け、迷いなく手を突っ込んだ。慄く私の目の前で、彼女は喉元から小さな物体をつまみ出してみせた。それは、魚の骨であった。
「いやあ、実は今朝から喉に骨が引っかかっていてずっと痛かったんだ。彼女はこの辺では名うての『魚の骨取り師』なんだよ。本当にさっぱりした」と男性は微笑んだ。
私はすっかり感心し「へえ!どうしてそんな職業に?」と尋ねると、「ある日、夢に先祖たちが出てきた」と言う。先祖は、今からお前に生涯の仕事を授けてやろうと告げ、「骨取り」という特殊技能の手ほどきをしてくれた。夢は七夜ほど続き、大変な試練だったと女骨取り師は淡々と語った。私が次の句を継げずにいると「そういうもんだろう」と男が付け加えた。何を不思議がっているのかという口調だ。
なんとこの島では、夢に導かれて職を得ることは当たり前のようだった。このように人生の行方が夜の夢で決まるとしたら、安らかな眠りこそ大切にされて然るべきなのだ。
残念ながら東京で私が見る夢といえば、アラビアンナイトと正月番組がごっちゃになったような代物ばかりだ。ハンモックがあちらの世界への扉なのかもしれないが、ベッドのほうが好きなので仕方がない。せめて、クナ語でもふたつの「夢」は同じ言葉なのかどうか聞いておけばよかった。
P163
繰り返される毎日。喜んだり、途方に暮れたり、えっと思ったり。同じようでどこか違う日々。以前パリに住む友人が贈ってくれた「日常は平凡という意味ではない」という言葉は、真実なんだと思う。
P194
私たちの目の前には、大きく引き伸ばされた写真があった。部屋の中を写したもので、サーモンピンクの壁の手前にはソファがある。他の写真には、開けっぱなしのタンスや、整えられていないベッドがあり、さっきまでそこに誰かがいた気配が漂う。私は美術館にて、五人のグループで会話をしながら作品を見ていた。まっさらな気持ちで作品を見たかったこともあり、あえて解説などは読まないようにしていた。
かわいい部屋だね、ポップな色使いだから若い人の部屋かも。ロイヤルコペンハーゲンのお皿が飾ってあるね。旅が好きな人の部屋かな、などと語り合う。どの写真も無人の部屋を写している以外の共通点はなく、全体的に何を写したかったのかは理解しがたい。
ひと通り見終わったあと、初めて作品のタイトルや説明文を読んだ。ティナ・エングホフというデンマークの作家で、<心当たりあるご親族へ>というタイトル。ようやく理解した。それは、孤独死の現場を撮った写真だった。その瞬間、私のなかに、すきま風みたいな一抹の切なさが吹き抜けて、改めて全ての写真を見たいと思った。そして、最初に何も知らない状態で写真に向かい合ったことにも感謝した。
知っていることと知らないこと。そのふたつを比べると、往々にして「知っている」ことの方が良いと思われがちだが、ときに「知らない」でいることも悪くない。少なくとも先入観なく、作品や人、場所や出来事と向かい合える。作品でも秘密でも味でも、不可逆的で、いったん知ってしまうと、二度と知らない自分には戻れない。言いかえれば「知らない」は、とても貴重な状態なのである。もし私たちが事前に知識を得た状態でエングホフの作品を見ていたら、最初に抱いた温かい気持ちや、若い人の部屋かも、という想像も生まれなかっただろう。
・・・
もちろん知識がある方が深く理解できる場合も多い。だからこれは、単に物事を知る順番の話なのだ。作品でも旅先の風景でも、事前に知らないでいるからこそ、驚けるし、発見できるし、恋ができる。どきどき、ワクワクは「知らない」からこそ起こるのである。
P200
三八歳のとき、国際公務員という安定した仕事を辞めてフリーの物書きになった。そのせいか、「辞めるとき、怖くなかったですか」とたびたび聞かれる。毎回「一〇年後も同じ場所で同じ仕事をしていると想像するほうが怖かったです」と答える。極度に飽きっぽく、落ち着きのない性格の私にとっては、グローバルすぎる目標に向かって延々と同じような業務を反復するような日々よりも、何が起こるか分からない、ああ、どうなっちゃうんだろう、くらいがちょうどいい。うまくいかなくても、たいていのことはやり直せると思っているし。
大学を卒業したばかりの頃、衝動的にアメリカに移り住んだ。なぜだか、それまでの自分から早く脱却せねば、そのためにはアメリカに行く必要があるという根拠不明の思いだけを抱えていた。・・・二ヶ月もすると、アメリカ生活には車が必須なことに気づき、自動車免許を取得することを決意した。教習所にも通わないで免許を取ったので、私は運転が絶望的に下手だった。
あるとき、学校から帰る道すがら、なんでもない角を曲がりそこねて縁石に乗り上げ、タイヤをパンクさせてしまった。・・・そのとき通りかかったのは、小柄で少年のような男性。・・・
彼は「大丈夫、僕に任せて」と言うと、慣れた手つきでハッチバックを開け、車に装備されていたスペアタイヤに交換してくれた。私は心からほっとし、お礼代わりに彼の家まで車で送っていくことになった。彼はブラジル人留学生とのことだ。
その人が暮らすのは、男子学生が三〇人くらい入居する巨大なシェアハウスだった。コーヒーでもどう?と言われ、うんと答えると、中に案内してくれた。暗い階段を降り、到着した場所は、地下のランドリールーム。洗濯機がずらりと並ぶ埃っぽい空間の隅に、古いソファと毛布があった。そのソファを指して「僕の城だ」と言った。え、ここ?
「驚いた?みんなの洗濯をする代わりに、タダで住まわせてもらってる。お金はないけど、この街に暮らせるだけで幸せだよ」と彼はチャーミングな笑みを浮かべた。
「僕の名前はルネ。この名前は、何度でも生まれ変われるという意味なんだ。僕はこの街で生まれ変わっている真っ最中だ」と言った。
娘を出産したとき、ルネのことを鮮やかに思い出した。一度しか会っていないのに、はっきり覚えている。彼の瞳、洗濯物の香り。くしゃくしゃの髪。その名前。私は、同じ意味をこめた名前をひねりだし、娘に授けた。
「人は何があっても何度でも生き直せるんだよ。だから何があっても大丈夫なんだよ」。娘には、物心ついたときから言い聞かせている。彼女はなかなかその名前が気に入っているようだ。
P220
クナ人はまるで絵本に出てくるような小さな島々に暮らしている。面白いのは、その島では、誰も彼もがハンモックで眠りにつくこと。しかも、夜は絶対に起きてはいけないという掟もある。クナの文化では夢を見ることがとても大切なのだそうだ。
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クナの女性は、カラフルなパッチワークを何枚も重ね合わせた「モラ」と呼ばれる衣装が日常着である。・・・よくモラには、卍に似た模様が縫い付けられていた。長老を捕まえて、「卍」にはどんな意味があるのかと聞いた。
「ああ、あれは、宇宙が生まれた日のことを表しているのだよ。全ての始まりってことだな」
と長老は、紙を取り出した。
「昔、世界にはなにもなかった」
長老は紙の中心に黒い点を描いた。「この点は、宇宙に生まれた最初の『いきもの』だ。いや、そのときは、まだ宇宙ってものはなかった。ただの黒い広がりだな。『いきもの』は生まれたばかりで、何をすべきか分からなかった。そのとき、そいつを創造した神が北へ向かえと言った。そこで何を見つけたのか教えてくれって頼んだ。『いきもの』は北へ行ったが何もなかった。そこで南へ行き、西や東にも行った。その旅のなかで『いきもの』は、宇宙はまだ無であることを発見して、元の場所に戻った。それが、この模様だ」
へえ、と私は相槌を打った。要するにクナの文化では、卍は「宇宙の始まりの日」を表すのだ。日本でも、卍は万物の始まりだと伝えられている。偶然のような、当たり前のような一致に心が惹かれ、長老が描いた紙を大切にカバンにしまった。
