明日も一日きみを見てる

明日も一日きみを見てる

 ネコってかわいいなぁ・・・

 ネコは血液中のタンパク質、AIMが正常に機能しないために腎臓病になりやすいそうで、もしかしたら猫族は「私たちはその機能はいらないから、べつのものをください」と神様に言ったのではないか、だとしたらかわりに猫はいったい何をもらったのだろう?と家の人に訊いたところ「何をしてもかわいいようにしてください……じゃないかな?」と答えたそうです。

 

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 猫の習性なのか、トトの性質なのか、トトはおなじことをくり返す。夜更けにベッドにやってきて、布団をはがせと私の髪をくしけずり、脇の下に入って眠り、私の出勤後は家の人の髪をくしけずり布団のなかに入れろと催促するのも、毎日ずっとやっている。昼間はバリバリボウルや無人のベッドで眠り、遊びたくなるとわざと悪いことをしてちらりとこちらを見、追いかけさせて自分は猛ダッシュで逃げまわるという遊びも、ずっと続けている。週末には腹に乗せろと鳴き続けるし、私がいないときは家の人の腹でふみふみをし続けている。

 引っ越しもすぐに慣れて、夏場は涼しいところ、冬場は日のあたるところを見つけてそこで過ごしているし、だれかがいないときはトイレかクロゼットだとすぐに理解し、さがしにくる。パンデミックは知らないだろうが、私たちが毎日きちんと帰ってくることにもすぐに慣れ、帰りが遅いと抗議するまでになった。夕食を食べ終えたあと、夜の十時過ぎに歯磨きおやつをあげるようにしたら、それもすぐに覚えて、あげ忘れると、おやつはないのかという顔つきでじっとりこちらを見ているし、おやつをとりにいくと、ぐっすり寝ていてもむっくりと起きてあくびをする。ちなみに猫のあくびには、気合いを入れる意味合いもあるらしい。「よっしゃ、おやつ!」という感じだろうか。

 あんまりにも同じことをくり返すから、私たちもパターンを覚えるし、トトが何を求めているのか、何を訴えているのかもだんだん理解する。トトの日常のくり返しが、私の生活のリズムを整える一助になっている。どんなに私の気持ちがふさいでいても、追い詰められていても、焦っていても、ときに怒りに荒れまくっていても、トトのごはんを用意したりおやつをあげたり、腹に乗せたり顔マッサージをしたりしていると、そのときだけ気持ちは凪いでいる。

 したしかった人の死に、呆然として横たわったまま泣いていたら、トトが腹に乗ってきたことがあった。私の顔の真ん前に顔を寄せて、じっとりと目を細めてただ呼吸をくり返している。その呼吸に合わせて呼吸をしていたら、涙が止まったことがあった。泣いている飼い主をなぐさめてくれる猫もいるらしいけれど、このときのトトにそんな殊勝な気持ちはなかったと思う。昼間なのに横になっている、今日は休みらしい、そんなら乗ろう、という習慣に過ぎなかったはずだ。そのトトの習慣によって、勝手に気持ちが落ち着いたのである。

 猫がきてから、いちばん大きく変わったことはなんですか、という質問をよく受ける。

 すべての猫は違う顔をしているとわかったことだと私は今まで答えてきた。訊いた人は、たいてい「へ?」という顔をする。猫という猫がそれぞれ違う顔をしている、当たり前じゃないかと思っているらしいのがわかる。でもそれは私にすればものすごい変化なのだ。今まで存在しなかった世界が、まるまるひとつ、できあがったということだから。

 けれどもそれより大きな変化があると、このごろ思うようになった。猫と暮らすようになって以降の私のいちばん大きな変化は、しあわせ感の変化だ。

 BC(Before Cat)期の私にとってしあわせとは、坂道を上がっていくようなことだった。坂道をどんどん上がっていくと、疲れるけれど、見える景色がどんどん広がる。広がると、自分が前よりも高い場所にいることがわかる。それが私にとっての「しあわせ感」だった。だから、ずっと平坦な道を歩き続けたり、坂道をくだったりするのは、どちらかというとしあわせと反対の、「停止状態」もしくは「下降状態」だと思っていた。

 AC(After Cat)期の私は、気がつけば、坂道を上ることを幸福と思わなくなっている。毎日が平坦であること、今日は昨日のコピーのような一日であることを、私はせつに願うようになった。今日が昨日とおんなじで、明日も今日とおんなじで、だから一年後も今日とおんなじだというのは、以前の私にとったらものすごく窮屈で退屈で閉塞感があることだった。でも今は、違う。どうか明日も一年後も、今日とおんなじであってほしい。

 それはつまるところ、トトが老いもせず、病みもせず、今日と同じに駆けまわり、今日と同じに眠り、今日と同じにじっとりしていてほしいという、かなわぬ願いでもある。もちろんそんなことはないだろう。実際、十年前よりトトの眠る時間は増えたし、ジャンプする回数もずいぶん減った。

 ものごとは変わっていく。だから、せめて私の日々に大きな変化がないようにと、思うようになった。猫のいる暮らしのしずけさのなかにいたい。昨日と同じ今日、今日と同じ明日をくり返していきたい。それこそが幸福だと思うようになった。トトの存在が、私の日々の、あるいは私のしあわせ感の、基点になったのだと思う。