想像するのと、実際我が身のこととなるのと、どのように違うかが伝わってきました。
しんどい内容のはずが、とても読みやすかったのが不思議でした。
P129
妻は・・・今は働いていないが、看護師だ。
私が内科医として三重県南部の病院に勤務していたのと時を同じくして、看護師として働いていた。明朗快活な女性だった。私と違って大きな声の持ち主で、職場では存在感を際立たせていた。
そんな彼女に好意を抱き、プロポーズして結婚した。出会ってから2年弱の結婚だった。私の一目惚れだった。
ジストを患ってから、時々彼女がつぶやく言葉があった。
「私たちって、どっちから結婚したいって言うたんかなぁ」
「そんな昔のこと、もう覚えてないやん」
私は口を濁した。心の中では叫びながら。
「それはオレのほう。一目見て好きになったんや!」
これほどまでに心配し、尽くしてくれる妻に、文句ばかり言う自分。この光景は見覚えがあった。
勤務先の緩和ケア病棟で、一口でも食べてもらおうと必死の家族に、「そんなに食べられんわ」と怒鳴っていた患者の姿―あの時オレは、そんな言い方はないだろうよ、と突き放した気持ちで眺めてはいなかったか。
長年緩和ケアに携わってきた自負があった私だが、がんになってみて初めて、患者の真実が実感できたのかもしれない。
あの時の患者さん、ごめんなさい。
あかさん、ごめん。
P135
この状態で緩和ケア医としての勤務を再開したことに、驚く方も多いと思う。だが、妻も子供もいる身だ。がん保険に入っていて助かっているとは言え、抗がん剤には費用がかかる。少しでも動けるのならば、家でじっとしているよりも働いているほうがいい。
何より、患者さんに向き合うことで、意識が我がジストに向かないばかりでなく、食事が摂れず体重と体力が奪われていく自分でも、まだ誰かの役に立てるというやりがい―ひいては私の生きがい、すなわち生きる意味を感じることができた。
ただし悲しいかな、面談を受けるほとんどの患者が、私よりも元気だった。元気に見えた。
そしてある時、ふと思った。
「10万人に1人のジストになったんだ。これからは、人のやらないことをひとつでもやって生きていこう」
またこんなふうに目覚める朝も増えてきた。
「今日も、生きとれた」
P154
終末期がん患者は、しばしば言う。
「もっと家にいたいけど、家族に迷惑かけるので、緩和ケア病棟に入院します」
あるいは、
「本当は退院したいけど、家に帰ると家族に迷惑をかけるから、このまま緩和ケア病棟に入院し続けます」
と。
私は違う。
「家族に迷惑かけたって、オレは全然平気。だから入院なんかしない。したくない」
もっとも意識がなくなった状態なら、入院させられてしまうかも。自分ではどうすることもできない。だから意識がなくなったならば、煮るなり焼くなり好きにしてもらっていい。そう思っている。家族にもそう話している。これが患者風だ。
ただし現実には、この風を吹かせる人は、そう多くない。緩和ケア病棟に入院している人たちも、そうわがままは言わない。いわゆるいい人たちが多い。苦しんでいるはずなのに。体の痛み、心の痛み、そして魂の痛みを抱えているはずなのに。
どうしてそんなにいい人でいられるの!
なぜそんなに我慢するの!
もちろん、苦しくなければ、いい人でいい。
でも苦しいのならば、いい人にならなくていい。そして叫べばいい。誰のものでもない、己の真の苦しみを。体の奥底から。それらの苦しみを和らげてくれるところが、ホスピスであり、緩和ケア病棟だ。ホスピスや緩和ケア病棟とは、そのための専門スタッフがいるところだ。
ホスピス緩和ケアの領域では、除痛率というものが話題となることがある。医療用麻薬等を使用して体の痛みなどを取り除く割合だ。それが高いに越したことはない。
しかし、体の痛みは取れても、魂の痛みはそう簡単には和らがない。終末期患者にとって、死は避けられないからだ。
すべてのがん患者に、この言葉を贈りたい。
「魂の痛みを、ありのまま叫んでくれ!」
P215
「患者の立場になって見えてきたことはありますか?」
などと訊かれることが時々ある。
ホスピス緩和ケア医として15年やってきたうえでの発病なので、率直に言って、がん患者になる前と後とでは、己の中でそんなに変化はないように思う。
ただし、内科医すなわち消化器内科医として働いていた頃とは、大きく変わった実感はある。
内科医をしていた頃は、患者に目を向けると言うよりも、疾患そのものや医師としての技術に目が向いていたように振り返る。疾患に対してであれば、その診断や原因を突き止めようとする。だから、具合の悪い患者さんにも平気で検査を強いていた。たとえば胃のバリウム検査などだ。当時はあれほどの拷問だとは思っていなかった。
また、消化器系の疾患に関わる内科医だったので、開腹などの、いわゆる手術をすることはなかったが、消化管内視鏡や腹部エコーなどを用いて治療や検査を行うことが広まりつつある時代であり、当然私も関連する技術を身につけた。
生来、手先が不器用な私は、内視鏡やエコーが得意ということは決してなかったが、それまでできなかった手技ができるようになることには充実感が得られた。恥ずかしながら当時は、その検査で患者がどうなったかと言うよりも、自らの技量の向上に酔いしれていた。医師資格をいただいた者として、全く情けない。
そんな私が変わったのは、2003年、ホスピス緩和の道に入ってからだ。医師になって10年ほど経ったあたりから、その傾向はあったと思うが、正式には2003年からと言える。
何が変わったのか。
疾患の診断や検査、治療ではなく、その疾患を持つ患者に目を向けるように変わった。
確かに患者に目を向けるようになったものの、まだ不十分だった私がさらに変わったのは、・・・対人援助・スピリチュアルケア研究会で、対人援助論、スピリチュアルケア論を学ぶようになってからである。
患者とは、文字通り患う人たちだ。
患うとはどういうことか。
言わずもがな、苦しむことだ。
そう、患者の持つ苦しみに焦点を当てることが重要だと、この研究会で叩き込まれた。ここが私の仕事におけるターニングポイントだ。
そして、悪性腫瘍ジスト発病は、何と言ってもがん患者のリアルな苦しみを教えてくれた。
P221
・・・あることを思い出した。
1988年に医師となり、以来数多くの人たちに薬剤を処方してきた。
そこで定期受診をしている患者が、
「今日は薬が余っているので、いつもより少ない日数分でいいです」
などと言おうものなら、
「どうしてきちんと飲めないんだ。自分のことなのに」
と、心の中で叫んでいたものだった。
そんな私も先日、主治医の宇都宮先生に、
「今日は薬が余っているので、抗がん剤以外は3日分少なくていいです」
と懇願していた。
本当に、「実際、我が身に降りかかってこなければ」、わからないことだらけなのだ。
さらに、もうひとつ気づけたことがある。それは、患者にとって医者の力は、医者自身が想像している以上に大きいということである。
・・・
進行するジストを生きるうえで、彼らは私に生きる力を与えてくれている。患者にとって医者の力は大きい。その大きさは、病が重くなればなるほど、その度合いを増す。患者にとって医者の力はこれほどまでに大きいということに、がんになって初めて気づかされた。
