沢木耕太郎セッションズⅣ 星をつなぐために

星をつなぐために (沢木耕太郎セッションズ〈訊いて、聴く〉)

 4冊目です。

 柳田邦男さんが「犠牲」について語られていたことが印象に残りました。

 

P111

柳田 沢木さんの質問の中にいくつかの要素があるとさっき言いましたけれど、いまの質問はいちばん核心に触れるところです。『犠牲』を書くということは、僕にとって生きるということだったんです。

 というのは、連れ合いが二十年このかた心の病を抱え、自分はそういうプライバシーを抑えながら作家活動をずるずると続けてきた。今度は次男がかなり重い神経症に陥って、挫折したまま青春期を過ごし、その到達点が自死だったわけです。長男は自分なりの生き方をしているけれど、彼も脳炎を患ったりして後遺症がある。九三年の八月に洋二郎が死に、連れ合いが混迷状態になって、僕自身も仕事がまったくできないし、またそれだけのエネルギーも出て来ない中では、どうしても精神状態が抑鬱的になりますよ。とくに僕の場合、人間の生と死とか、命とかをテーマにしてきただけに、家族がめちゃめちゃになると、おまえは偉そうに書いてきたけれど、おまえの生き方と家族の現実はどうなんだと責められているようで、挫折感が強かったですね。

 ・・・

 洋二郎が死んで一ヵ月後ぐらいかな、ごく親しい人々に状況を説明するために手書きで十枚ぐらいの手紙を書いたんですよ。他にすることもなくて、何日もかけてね。すると、最初は今どうしようもなく身動きがとれない状況の挨拶状というより自己弁明書にしようと思っていたのに、書いているうちに、ポジティブな方向に、再出発するつもりだというニュアンスの文脈に変わっていくんです。

沢木 なるほど、不思議ですねえ。

柳田 自分でも不思議なんだけどね、書くということが僕の体に宿命的に染みついているために、手紙であっても、書くという行為に入るとぽんと触媒を入れられたみたいに心の中で変化が起こり出すんですね。書くことしかできない男だけれど、書くことが生きる力になる。・・・

 ・・・

 ・・・洋二郎は命をかけた。僕も命がかかっている。・・・とにかく、僕自身がこの出来事とどう関わり、どう受け止めたかを整理しないことには一歩も先へ進めないし、他の仕事にも手が付かない。だから何のために本を書いたかというと、やはり自分のためです。もちろん洋二郎の供養のためというのも重要な動機だったけれど、これを書かなかったらこの先自分は精神的に生きていけないということのほうが大きいですね。僕は聖人でも人格者でもない。エゴイストに過ぎないと思ってます。

 ・・・

柳田 たとえばこういう話があるんです。まだ十分訓練も積んでいない若い看護婦さんが病院で、あるおばあさんの担当になった。そのおばあさんはガンの末期で、腹水がたまってお腹が大きくなってとてもつらい状況にあるために気持ちも沈んで、誰とも会話も交わさないんです。その若い看護婦さんはどうしていいかわからないので、ただ傍らにいてずっと手を握ってあげた。ときには言葉が必要なくて、そこにいること自体が大事なことなんですよ。そうするとそのおばあさんが、ポツリポツリと話し出したんです、娘の頃の話や嫁に行って子供を身籠もって産んでという人生一代記を。なぜ話し始めたかというと、腹水でお腹が大きくなって、初めて子供を身籠もった頃のことを思い出したからというんですね。

 そしてその看護師とおばあさんの間にあたたかい交流が始まるんです。死に直面して抑鬱的な状態になっていた人が、少しずつ心を開いて喋るうちに、「あ、お腹が動いた。赤ちゃんが大きくなってきたんだ」というふうなことになって、ガンが大きくなることが喜びのようになってしまった。結局、そのおばあさんは非常に安定した精神状態で最後を迎えたということです。

 この場合、共感的な人が言葉少なにただ手を握り、ぬくもりを伝えることでノンヴァーバル・コミュニケーション(言葉によらない意思伝達)はきちんと通じていた。その中でおばあさんは初めて、自分の渾沌とした人生をきちんと星座を作るような形で喋って、自分は子供を産んで育てて、今は年老いて病気で死んでいくということを受容していったわけです。

 そういうふうに自分を表現することは心の癒しになるし、僕の場合、ガンの末期ではないけれど精神的にはかなり危機的な状況であって、『犠牲』を書くことによって暗黙のうちにそれをやったんだろうと思うんですよ。あとから思えば。