料理人という仕事

料理人という仕事 (ちくまプリマー新書)

 まさにタイトルの通り、料理人という仕事とは?という一冊で、そうなんだ、と知らないことがたくさんありました。

 

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「修業って本当に必要なんですか?」という質問を受けることがあります。

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 ・・・結論から言うと、私の考えとしては、やっぱり必要だと思います。・・・

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 そもそも修業の目的とは何なのでしょう。・・・

 ・・・私の考えを述べておくと、少なくとも現代においては、「調理技術の習得」は必ずしも修業における最優先マターではないと思います。確かに昔はそうだったし、もちろん今もそれは一部では引き継がれています。どういうことなのか、話をわかりやすくするために、少し極端ですが思い切って昭和初期あたりの時代にまで遡ってみましょう。

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 私は五〇年以上続くようないわゆる「老舗」について、色々なお店の方に直接取材したり、資料を調べたりといったことをしたことがあります。その創業期、つまり一九六〇~七〇年代の話を伺っていると、その時代もまだまだ戦前のような感覚は続いていたようで、少し驚かされました。

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 ・・・ある喫茶店では、メニューに「サンドイッチ」を入れるにあたり、知り合いづてで方々をあたって、経験豊富な洋食コックさんをなかなかの高給で雇い入れたそうです。今の感覚であれば「サンドイッチなんてそんなことしなくても誰でも作れるのに……」と思うかもしれません。

 もちろんサンドイッチだって相当奥が深く、適当に作ったものと技術のある人がちゃんと作ったものは大違いです。とは言っても、現代のカフェで、フランス料理のコースとかならまだしも、サンドイッチを出そうと考えた時に、そのためにわざわざプロのシェフを雇うでしょうか。・・・当時、それにはプロが修業を通じて得た技術とノウハウが必要という考え方は、まだまだ一般的なものだったということなのでしょう。

 現代では、もちろんサンドイッチに限らず、おいしいものを作るためのノウハウは世に溢れています。・・・「プロが手の内を明かす」ということはもはや当たり前のことになりました。

 例えばカレーやラーメンの世界では、既に「修業」をほとんど経ない独立出店が相次いでいます。これはそれらが、独学に向いたジャンルだからということもありそうです。・・・

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 しかしやっぱり、そうでないものもあります。少し例を挙げるなら、フレンチにおける肉焼き、石窯を駆使するナポリピッツァ、洋菓子やパン、こういったものは、ある意味スポーツや工芸にも似た、言語化しにくい身体能力的な技術が求められます。

 しかし今や洋菓子やパンは、一般向けにも高度な内容の教室があります。ナポリピッツァの技術は石窯のメーカーさんが懇切丁寧に指導してくれます。フレンチの精緻な肉焼きは、調理器具の目覚ましい発達により、それに限りなく近いものが簡単に再現できるようになりました。そして、そういった身体的技術の最たるもののひとつとも言える「寿司」にすら、それを二カ月で習得するシステムが生まれた。これが現代の状況です。

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 しかし修業の本当の意味での大切さは、こういった調理技術そのもの以外の部分にある、というのが私自身の考えです。例えばお客さんとの接し方やトラブルの防ぎ方、それが起こってしまった場合にどうするかであり、例えばガスコンロが突然点かなくなった、冷蔵庫がいきなり故障した、といった機材トラブルの対処法であり、例えばなぜか急にお客さんが減り始めた場合の経営的な対策だったり……。

 ここでいくら例を挙げても、ひとつひとつは「なんだ、そんなことか」としか思えないかもしれません。「それはその都度その都度、常識的に考えて切り抜ければ良いのでは?」と。確かにそれはそうなのですが、飲食店というものは、そんな些細なトラブルの連続なのです。過去にそんなトラブルの適切な切り抜け方を、どれだけ実際に目にしているかどうかは、日々の営業をつつがなくこなしていく上でとても重要です。

 またそんな日々のよしなしごとの中で極めて重要なのが、お客さんとの接し方以上に、業者さんとの接し方です。飲食店における仕入れは、ネットショップで値段を確認して数量を決めてポチるようなこととは大きく違います。互いに尊重し合い、仲良く、ただし譲れない部分は決して譲らない、そういうプロフェッショナル同士の関係性を築いていけるかどうかは、店の運命を大きく左右します。

 かつて修業の一番の目的があくまで「料理修業」だった時代に、そういったことは、長い修業期間の中で自然に身についていったことだったのだろうと思います。・・・

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 これは胸を張って言えるのですが、現代の飲食店は、かつてに比べれば遥かに働きやすい場になったと思います。・・・少なくとも理不尽さとは無縁になりつつあります。端的に言えばすべてが「優しく」なっています。・・・

 なので、こんな状況下で「修業」を軽視するのは、むしろ単純に勿体無いというのが私の考えです。環境が優しくなった分、自分自身がそれなりに意識しなければ、つまり単に受け身なだけでは、何も身に付かない難しさはあると思います。だから、そこで自分のスキルアップのためにどれだけ能動的に、積極的になれるかが、修業の意味を高めもすれば無効にもする、のだと思います。

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 私が修業時代に最も多くのものを吸収した店は、私が経験した中で最も「料理がおいしくない」繫盛店でした。いや、おいしくないは言い過ぎかもしれませんが、そこの料理は一見程々に目新しく、やりすぎない程度におしゃれ風でしたが、食べてみると極めて平凡この上なかったのです。そしてそれはすべて、実質に対して確実に割高でした。

 しかしその店の顧客至上主義には、一貫して強力なポリシーが貫かれていました。いわゆる「お客様ファースト」ですが、それは単にお客さんの言うことはなんでも聞く、常に媚びへつらう、といったことでは決してなく、お客さんがその店でのひと時をいかに楽しく快適に過ごすかが徹底的に考えられたものだったのです。そしてその思想は、サービススタッフだけでなくキッチンスタッフにも完璧に浸透していました。

 それを理解した上で改めてその「平凡な」料理を見ると、それもやはりその精神に基づいたものだと理解できました。その店のお客さんにとってその料理は、安心感があって決して裏切られることのない、それでいてほんの少しの特別感を感じさせてくれるものだったのです。割高な価格設定は店に利益をもたらし、その利益は、お客さんが楽しく快適な時間を過ごすための原資として還元される。それがその店の在り方でした。

 私は当時「とにかくおいしいものをなるべく安く提供すれば店は成功するはず」という、誰もが一度は陥る無邪気な理想論の真っ只中にいましたが、その店は、世の中はそんな単純なものではないということを嫌というほど教えてくれました。中に入り込んでそのダイナミズムに直に触れなければ、決して理解できなかったであろうことです。

 

P173

 かつてとあるグルメ番組の中で、名店と言われる飲食店で修業を始めたばかりの料理人に毎週スポットを当てて、その仕事ぶりを紹介するコーナーがありました。私はその番組自体は好きで時々観ていたのですが、そのコーナーに対してだけはうっすらとした嫌悪感を抱いていました。なぜならばそこでは、若い料理人の「苦労」ばかりがいたずらに強調されていたからです。

 段ボールで積み上げられた野菜の皮剥きを延々こなすだけで数時間、その後それをひたすらみじん切りに、とか、ひと抱え以上ある大きなボウルに入ったハンバーグのタネを、氷水で手を冷やしながら力いっぱい捏ね続ける、などなど……。そこではとにかく、辛く苦しい単純労働ばかりが、これでもかと映し出されていたのです。

 それはテレビ番組ならではの少し大袈裟な演出のようにも見えました。つまり実際に普段やっている量よりずっと多い野菜が用意されていたり、普段は機械で行っている作業を撮影用にその時だけ人力でやっていたのでは、という疑惑です。・・・いずれにせよそれは実際に飲食業に携わっている立場からは、観ていて決して愉快な光景ではありませんでした。

 このコーナーではビデオが終わると、スタジオ映像に切り替わり、その日のゲストが若き料理人へのメッセージという形でコメントを発するまでが一連の流れでした。そこでは毎回、

「辛い仕事でしょうが、ぜひ耐えて、『未来の巨匠』目指して頑張ってください!」

 といったようなメッセージが送られるのがお約束で、それもまた私にとっては鼻白むポイントでした。

 しかし、ある日のゲストだけは違いました。その方は、どこか苦々しげにも見える表情でこう言ったのです。

「諦めることも常に視野に入れつつ頑張ってください」

 テレビ的にギリギリのコメントだったのではないかと思います。言外に「そんな不条理な働かされ方をしているのが本当だったら、そこは辞めた方がいいのでは」というニュアンスを読み取ったのは決して私だけではなかったでしょう。その時以来、私はその方に対して、とても冷静で誠実な、信頼できる方というイメージを持ち続けています。俳優の本木雅弘さんです。

 現代においては、少なくともその当時よりは、料理人の労働環境はずいぶん改善されていると思います。歯を食いしばって耐えしのぶことが美徳とされる価値観も、およそ過去の物になりつつあります。・・・

 しかしそういう世の中になってもやはり、料理人を諦めざるを得なくなる人は後を絶ちません。これから料理人になろうと考えている方に冷や水を浴びせるようで心苦しくはあるのですが、こればかりは厳然たる事実として心に留めておくべきかと思います。本木雅弘さんのおっしゃったように、「諦めることも常に視野に入れつつ」というのは「頑張る」ために必要なことだと思います。辞めることはいつでもできる、と思うからこそ、今だけは頑張りたいことを頑張ろう、と思えるのではないかと私は考えています。