あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント

あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント

 読んでいるとなんだか気持ちが元気になりました。

 

P27

 父と母のやりとりは続きます。

「お父さんは、私がこうな病気になったのが心配?」

「そりゃあ心配よ。家族じゃけんの」

「じゃあお父さんは、私がこうな病気になったのが、恥ずかしい?」

「いや、恥ずかしいことはないわい。年をとったら誰がなってもおかしゅうない病気じゃけんの」

 とたんに母の顔がパッと明るくなるのがわかりました。

「ほんま?恥ずかしゅうない?それならよかったぁ」

 そう、父には不思議なくらい、認知症への偏見がないのでした。昔からリベラルな考え方の人ではありましたが、新聞を毎日欠かさず読むので、認知症に関する情報もちゃんとアップデートされているのでしょう。

「もしわしが病気になったら、あんたはわしの面倒みてくれるじゃろ?」

「そりゃあみるわいね」

「ほうじゃろ。今回はたまたまあんたが病気になったけん、わしが面倒みよるだけのことよ。おたがいさまじゃけん、あんたは気にせずわしに甘えときゃええんよ」

 

P37

 母が「私は何でこうに何でも忘れてしまうんじゃろうか」と嘆いていた時のこと。父は「ええこと思いついたわ」と、母にひとつの提案をしました。

「あんたは、『大事なことを聞いた。これは忘れたらいけんことじゃ』と思うたら、すぐわしに言いに来んさい。わしが代わりに覚えとってやるけん。どうじゃ、ええ考えじゃろ?」

「お父さんが、私の代わりに覚えとってくれるん?」

 よく飲み込めない様子の母に、父はなおも続けます。

「信友家は二人おるんじゃけん、どっちかが覚えときゃあええじゃろ?これからは協力し合っていこうや。わしが覚える係をやるわい。じゃけんあんたは、そう気にせずに大船に乗ったつもりでおりんさい」

「ほんなら、私は何の係をやったらええん?」

 と母。やはり母も自分の役割がほしいんです。

 父もそれがわかっているので、否定はしません。

「ほうじゃのう、あんたは何の係をやったらええかのう。ちいと考えてみるわ」

「ほんま?考えてくれる?約束よ。私、何でもするけんね」

 

P53

 2018年9月、母が脳梗塞を発症しました。

 ・・・

 母は左半身が麻痺していましたが、右手右足は問題なく動きました。言語中枢も損傷していなかったので、母もはっきりと自分の意思を口にしました。

「私、早う家に帰って、お父さんとまた一緒に暮らしたい」

 ・・・

 病院で母のリハビリ姿を見学した父は、

「おっ母が家に帰ってきたら、わしがあの兄ちゃん(理学療法士さん)みたいに左から抱えてやらんといけんのじゃろう。そんならわし、もっと筋力をつけんといけんわ」

 そう気づいた父が始めたのは「筋トレ」でした。近所のクリニックのマシンルームで、週3回、エアロバイクを漕いだり、腹筋マシンで腹筋を鍛えたりし始めたのです。なんと98歳で!

 もともと勉強熱心な人ですから、トレーニングの本を読んで「体幹」という言葉も覚えたらしく、

体幹がしっかりしとらんと、おっ母がもたれかかってきたら、よろけてしまうけんの。二人で一緒に転んだら、それこそ大ごとじゃ」

 

P73

 2020年6月13日。遂に母とのお別れの日がやってきました。

 いつものように父と病院に行くと、お医者さまから、

「今までは短時間の面会でしたが、今日は夜までおってあげてください」

 そう言われて、覚悟しなければいけないと悟ったのでした。

 父も言葉の意味を察したようで、この日ばかりは二人とも口数少なく、母の枕元に寄り添って夜を迎えました。

 そして夜9時半、父が突然、椅子からすっくと立ち上がって母の手を取り、

「おっ母、わしと一緒になってくれてありがとうね。あんたが嫁に来てくれて、わしはほんまに幸せな、ええ人生じゃった」

 絞り出すように言ったのです。

 息を吞みました。あんなに「わしは改まった挨拶はせん」と言っていた父が、母に最期の挨拶をしている!

「間に合ってよかった」最初に思ったのはそれでした。母がおそらく一番聞きたかった言葉を、父は今、口にしたのですから。でも母はちゃんとわかっただろうか?意識はあるのだろうか?

「お母さん、聞こえた?今お父さんが、すごいこと言うてくれたよ!」

 その瞬間でした。青白い母の顔の、閉じたままの瞼から、スーッと一筋の涙が流れたのです。

 ・・・

「わしもすぐ行くけん、あんたは先に行って待っとってね。わしが行ったら、あの世の入り口で手を振ってくれや。そしたらわし、あんたを目がけて行くけん。あの世でもまた一緒になって、仲良う暮らそうや」

 ・・・

 父の言葉で私も救われましたが、母にとっても、これから向かう死への旅の恐怖をやわらげてくれる、魔法の言葉だったのではないかと思います。頼りにしている大好きな夫から「すぐに追いかける、大丈夫だ、あんたが今から行く世界には、わしも後からちゃんと行くから、怖がらんでもいいよ」と励ましてもらえることほど、心強いことがあるでしょうか。

 

P81

直子 お母さんが認知症になった時はビックリしたね。あのしっかりしとったお母さんがと思うと、なかなか認められなかった。お父さんはどうだった?

良則 わしは「これも運命よ」と思うたかのう。年をとりゃあ今まで通りにはいかんわけで、わしより先におっ母の具合が悪うなっただけのこと。今までおっ母にはさんざん世話してもろうたけん、今度はわしが恩返しする番じゃと素直に思うた。

直子 お父さんがうろたえた様子もなく動じなかったから、すごいなと思ったし頼りになったわ。

良則 わしらは戦争も経験したし、食糧難で飢え死にしそうな目にも遭うとるけん、たいがいのことには驚かんのよ。おっ母の面倒をみるくらい大したことじゃないわい。

直子 私がお母さんのことを撮影していたのは気にならなかった?

良則 あんたはそれまでもわしらを撮りよったけんの。おっ母も芸術が好きじゃったけん、直子と一緒にもの作りをしよるような気がして、嬉しかったんじゃないかの。

直子 お母さんが認知症でおかしな言動をする映像を、世間に公表されることに抵抗はなかった?

良則 わしゃあ何とも思わんかった。おっ母の人柄が悪いんじゃのうて、病気なんじゃけん恥ずかしいことはないわい。それに直子ならわしらを悪いようにはせんじゃろう、と信用しとったしの。

直子 お父さんもお母さんも無邪気に信用してるから、こっちのプレッシャーはすごかったけどね(笑)。

 

P117

 父が100歳の誕生日に、これからの目標として口にした、

「みんなにかわいがってもらえるような、かわいらしい年寄りになる」

 実はこの名言には続きがありました。父は続いて、こう言ったのです。

「わしは気がついたんじゃ。『社会参加』いう言葉があるじゃろ。年寄りにとっての社会参加は、社会に甘えることじゃの」

「どういうこと?」

「もうわしも、人に助けてもらわんと暮らされん年になった、いうことじゃ。自分でも認めんとしょうがないわい。若い頃は何でも自分でできたけん、人に頼るのは恥ずかしいと思いよった。じゃけどもう、そうなこと言うとられん。人がわしを気遣うて手を貸してくれとるのに、『結構です』言うて断ったら心配かけるだけじゃ。そういう時は『ありがとね』と素直に甘えさせてもらうんが、わしら年寄りの社会参加の仕方じゃわい」

 どうやら父の「かわいらしい年寄り」宣言は、社会に参加する際の心構えだったようなのです。

 

P151

 ・・・父は、103歳の今もベッドではなく布団に寝ています。私は上京してからずっとベッド愛用者なので、「ベッドの方が楽よ」と何度も勧めるのですが、父は頑として布団派。いわく、

「ベッドにしたら、腰かけた姿勢から立ち上がるだけになるじゃろ。じゃけど布団なら、床に寝とるところから全身を使うて、よいしょと立ち上がるけんの。これがわしの全身運動になるんじゃ」

 なるほど、そう言われればごもっとも。

 そして、最近こそ回数は減りましたが、100歳くらいまでは、毎朝布団を畳んで押し入れにしまい、毎晩引っ張り出して敷く、というのも続けていました。

 そんな父のポリシーは、

「今できよることを『年じゃけん』言うてやらんようになったら、次やろうと思うた時に、もうできんようになる。自分を甘やかしたら、しっぺ返しがきて困るのは自分じゃけんの。『今できよることはやり続ける』これがわしの健康の秘訣じゃ」

 

P164

 ・・・古いつきあいの地元紙、中国新聞の記者さんから、

尾道の哲代おばあちゃんとお父さんの同級生対談ができたら、おもしろいと思うんですけどねえ」

 と言われて、これだ!と思った私。

 広島県尾道市にお住まいの石井哲代さんは、父より半年年上の104歳。2023年に『102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方』という本を出してベストセラーになった、名物おばあちゃんです。

 ・・・

直子 哲代さんは、デイサービスには行かれてるんでしょう?

哲代 週に3回行っておりますよ。

直子 ほら。お父さんも行ってみたら?

良則 わしゃ人と付き合うのが下手でね。耳も遠いけん、人の話が聞こえんで気を遣うんです。

哲代 話をせんでも、風呂に入らせてもらえるのはええですよ。私はもう、家の風呂は沸かさんことにして、そこの風呂をよばれておるんです。

良則 ありがたいことですなあ。

哲代 だから利用してみてください。気持ちがええけん。それに、知らん人とでも馬鹿話してみればええんよ。職員さんもみなやさしいから。

良則 私も年取ったらねえ、人がみなやさしゅうしてくれるような気がします。

哲代 でしょう。だから私ら、使えって言うてくださるもんは、何でも使わせてもらいますよ。いい時代を送らせてもろうて幸せです。

直子 哲代さんはいつもニコニコ元気いっぱいですが、不安や寂しさはないんですか?

哲代 そりゃあ、ありますよ!でも人に言うたところで解決するもんじゃないから、自分で何とかするんです。寂しい虫はあっちいけ~、悲しい虫はこっちいけ~言うてね、暮らしておるんでございます。

直子 ああ、本当にそうですね。

哲代 自分でコントロールせんとしょうがないことですから。人にどうこうしてもらえるもんではないからね。

良則 わしも、一人で生きて一人で死ぬんじゃいうのは、よう言いよります。

哲代 そういう思いでおれば、悲観することもないし、人生をまっすぐに生きられますからね。