堀井美香さんのエッセイを読みました。
「聴きポジのススメ」という本も出てるようで、そちらも読んでみたいなと思ってます。
P17
子供たちも出て行きムダに広い郊外の一軒家。夫と私はいつもテレビ前に置かれたソファに二人でだらしなく座り、何の意味もない会話をしている。
少し太ったとかあの番組がどうとか。今日は何の話だったか、突然夫が大竹伸朗(現代アーティストらしい)の話をするので、「『あのねのね』の人ね」と言うと、「それは原田ノブローな」というところから、夫は自分がいかに〝伊代ちゃんと暮らすヒロミさんの気持ち〟がわかるかという話をグダグダとした。
何も話さずに1時間くらい二人でぼんやりとテレビを見続けることもある。
「じゃあお爺さんはそろそろ寝ます」と言って寝室に上がる夫を見ながら、老夫婦みたいになったなと思ったりもする。
私たちは早くに結婚し、子供を授かった。ある時期、週の半分、夫婦別々に暮していたりもしたけれど、その時もとくに支障なく仲は良かった。
もちろん、恋人同士の時とは違う。でももし仮に、夫が他の人と逢瀬を重ねたとしても、あら大変そう、くらいの感情しかないし、いつか夫が老いて先に亡くなったとしても、絶望を感じることも、哀しみに打ちひしがれることもない気がする。
私たちはそれぞれ、やりたいことも住みたい場所も異なっているから、この先違う時間を過ごすかもしれない。でも別れるという選択肢もない。
この先どちらかが死んで向こうの世界に行ったとしても、後から来た方に、「おう来たか」と微笑んで、また一緒にくだらない話を始めるだろう。
他人だった時代、恋人だった時代、同志だった時代を経て、50歳にして私たちはついに同化してしまった気さえするのだ。
いつものようにソファに座っていると、隣りに座っている夫がヘミングウェイの『老人と海』を勧めてきた。ひどく感激したのだという。あまりに熱く語るので、しょうがないから夫に勧められるがままに何十年かぶりに読んでみた。
漁師であった老人が84日間の不漁が続いた後、沖に出る。海の上で孤軍奮闘し、骨だけになったカジキマグロを持って港に戻ってくるという話であった。読みながら、一人小さな船で沖に出ていき、誰もいない海でただひたすらカジキマグロと闘う老人の姿に、会社を離れ、フリーになってやっていく自分を重ねた。
後日、担当するポッドキャスト番組「OVER THE SUN」でその話をすると、「『老人と海』で美香さんの船出にエールを送る旦那さん素敵ですね」「美香さんのことをしっかり見ているのですね」とリスナーさんから夫を褒めるコメントをたくさんいただいた。
が、いや、そんな奴ではない。
ただたまたま、彼が『老人と海』を読んでいて、ただたまたま、今の自分に『老人と海』が必要だっただけのことなのである。
そして私はいつも、彼が作るその偶然に助けられてきたのだ。
私たちは性格も違えば、考え方も違う。
でも一緒に時間を重ねた分、たまたま一緒ということがどんどん多くなってきた。
読む本、食べたい物、買ってくる夕食の材料、もの思うときのタイミング。なぜか一緒になる。
同化しているのだから当たり前のことなのかもしれない。
でもその二人の偶然が、今は心から愛おしいのである。
P177
もう7年くらいになるだろうか。浅草の元芸者さんのところで着物の着付けや、その他あれこれを習っている。留学先から帰ってきた娘が着物に興味を持ったこと、ちょうどその頃その元芸者さんと知り合ったご縁で、最初は娘が通い、そのうちに着物を着られないならお母さんも習いにいらっしゃいよということになった。
・・・
とにかく先生はすべてに時間をかける。
あえて時間をかけているようにも思える。
それでも私が7年も通い続けている理由は、この一見マイナスとも思えるすべてのことに意味があることを知ったからだ。
稽古前と稽古後のお茶の時間は呼吸を整え自分をコントロールするため。
何度もしつこく繰り返すお稽古は、頭でなく体に覚えさせるため。
手縫いで半襟に三河芯をいれるとそれは何より気持ちがよいし、時間をかけた成人式の誂えは、この世の中の一つ一つに意味があり、自分がどれだけの人によってハレの日を迎えられたのかを娘に気づかせたはずだ。
先生は厳しくも丁寧に、長い時間をかけてそのことを教えてくださったのだ。
先生のもとに通えて本当によかったと思っている。
そしてなにより、着物という母からの厄介な贈り物がなければ、この時間を知ることもなかった。
ここ何年か母が着ていた着物を受け継いで、お直しに出し、着てみたりはしている。それでも26年前の結婚の時に母が私に送ってくれた、あの大仰な桐の着物箱のいくつかは、開けるのも面倒で手つかずにしていた。
最近ようやく、どうしようかと思いあぐねながら、クローゼットからその桐箱を引っ張り出した。先生のところに持っていって見ていただくと、「どうして何年も開けずにいたの!」とたいそう叱られた。
そして、たとう紙を開けながら溜息をこぼし、「美香さん、これは大変な着物よ」とおっしゃった。それから先生は帯や小物、その一つ一つを手にとって、「こんな見立ては簡単にはできない。お母様が時間をかけてちゃんと選んだ証拠よ」ともおっしゃった。その口調はとても厳しかった。
あの頃は母も田舎の家の嫁として、母として、また自分の仕事も抱えていて忙しく、周りではいろいろなことも起きていて、私の着物を選ぶどころではなかったはずだ。
それなのに結婚前の娘にと、秋田の田舎の店々を回って一生懸命着物を誂えた。
当の娘は、今すぐ使える家電やら家具やらが必要な新居に、まったく浮世離れした着物が届いたことに当てがはずれたような気持ちになり、26年もの間、クローゼットに入れたまま感謝すらしなかった。
先生は着物の稽古を通して、こんなこともおっしゃっていた。
すべての回り道に意味がある。
あえて回り道をしなさい。
すべてに感謝できるように……。
私はちゃんと回り道ができているのだろうか。
母があの時何を考えて娘に着物を、と思ったのか。今なら母の気持ちがわかる。
こうやって何十年かかかって桐の箱が開き、母の気持ちが溢れる着物を見たとき、私は先生の前でボロボロと泣いてしまっていた。
