ラーメンのエッセイ、気楽に楽しく読みました。
P58
禁断のラーメン 穂村弘
こんな短歌がある。
かへりみちひとりラーメン食ふことをたのしみとして君とわかれき 大松達知
わかるなあ、と思う。「君」とはたぶん恋人だろう。大好きで一緒にいると楽しい大切な相手にちがいない。けれど、にも拘らず、作中の<私>は、その「君」と別れた後の帰り道に、一人で「ラーメン」を食べることを密かに楽しみにしているのだ。「君」と一緒に夕食を食べなくていいのか、と心配になる。その場合は、二人の関係性にもよるけど、「ラーメン」よりはレストランという流れになるのではないか。もちろん、たまたまその日は「君」に用事があっただけかもしれない。詳しい背景まではわからない。
いろいろな可能性が想像できつつ、この局面に限って云えば、やはり<私>は「君」よりも「ラーメン」に惹かれているような気がしてならない。たった一人で食べる心底気楽なラーメンには魔力がある。それは<私>にとって掛け替えのない楽しみなんじゃないか。
そういえば以前、知り合いの男性編集者と打ち合わせをした後で、こんなやりとりになったことがある。
ほ「よかったら、何か食べて帰らない?」
編「いいですね」
ほ「この近くにおいしいラーメン屋があるんだけど……」
編「いいですね!」
あまりにも嬉しそうな反応が返ってきたので、びっくりした。
ほ「ラーメン好き?」
編「好きです。昔は妻とよく行きました。でも、今はなかなか食べられなくて」
ほ「どうして?」
編「子どもができてから、妻の意識が突然高くなって、我が家ではラーメン禁止になってしまったんです」
へえ、と思った。彼の家には確か幼い三姉妹がいたはずだ。
編「だから、どうしてもラーメンが食べたくなったら『今日は打ち合わせで遅くなります』と家に連絡を入れておいて、一人でこっそり食べて帰るんです」
ほ「へえ、そこまでするんだ」
編「はい」
ほ「犯罪みたいだね」
編「犯罪です」
大変だなあ、と思う一方で、少しだけ羨ましいような気もする。そこまでして食べる禁断のラーメンは、さぞかしおいしいことだろう。
改めて考えてみると、私もたまたま時間が空いて一人で何か食べる時、高い確率でラーメン屋さんに入ってしまう。つけ麵を注文して、どろどろのスープに麺を沈めながら啜っていると、なんとも云えない解放感に包まれる。
でも、家に帰ってから、変なことになる。何を食べてきたか妻に聞かれると、二回に一回くらい蕎麦とか焼鳥とかイタリアンとか、事実とは異なる食べ物を答えてしまうのだ。毎回つけ麵と云うのは何故か後ろめたい。あの心理はいったいなんなんだろう。
編集者氏の「犯罪です」は冗談であり、我が国ではラーメンを食べることは違法ではない。どろどろのつけ麵でさえ合法だ。そのどろどろにさらに自ら絞った生ニンニクを投入する時、これはやばいよと呟きながら激しい高揚感に襲われる。彼の心は、もはや三姉妹の父でも理解ある夫でも優しい恋人でもない。一匹の獣だ。その姿は人間には見せられない、まして愛する者には、ということなのか。
