働くことの人類学 つづき

働くことの人類学【活字版】 仕事と自由をめぐる8つの対話

 つづきです。

「胃が決めた」とか、「信頼できる人間と信頼できない人間がいるわけではない」など、おもしろいなーと思いました。

 

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松村 第2話に登場いただいた丸山さんからは、「学校に行くかどうかは子どもが自分で判断する」という話が出てきたんですけど、ダサネッチの場合はどうですか?

 

佐川 ダサネッチは「胃が決めた」という言い方をします。胃は体の器官のひとつだけれども、ダサネッチにとっては、同時にその人の性格とか感情が生まれる場所なんです。

 彼らのあいだには、胃が生まれたときからみんな違ってるものだという認識があって、最終的には胃の違いを相互に受け入れる、尊重し合うことが社会生活の基本になっている。それは子どもも同じで、「なぜこの子は学校に行っているのに、あの子は行っていないのか」と尋ねると、親は「その子の胃が決めたんだ」と言いますね。

 

P127

佐川 最近大学の授業で牧畜民の交渉の話をしたら、ひとつ面白い意見があったんですね。「私たちは最近『論破』ということばをよく使うけれども、ダサネッチの人たちの議論というのは、それとは対極にあることがわかりました」と。それを聞いて、なるほどなと思ったんです。

 論破というと相手を打ち負かすイメージがありますよね。論破したほうが100%正しくて、論破されたほうは100%間違っているという勝ち負けの問題になる。そして、最終的にどちらか一方の要求が通ったというイメージが非常に強いことばですね。牧畜民の交渉は、決してそういうものではないんです。私が抱える事情があって、あなたが抱える事情があって、その双方を相互に打ち出して十分に両者が納得できるだろうところまで、徹底的に折衝していくものなんです。

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 逆にそれを経ない決定は、決して自分たちの決定だと彼らは感じないんです。

 

P131

佐川 日本でも、一人ひとり色々な違いがあって、それを尊重し合ったほうがいいという感覚は、多分共有されていると思うんです。・・・でも、それってどちらかというと、コミュニケーションをそこで断念しようというか、それ以上相手に突っ込むのはやめようっていう文脈で使われることが多いのではないでしょうか。・・・

 けれどもダサネッチにとっては、胃の違いは出発点になっている。違うからこそ、相手と色々なことを交渉しなければいけないと考えている。「胃が違う」ことを前提とした上で、ではどう協力したり助け合えるのか、という方向にコミュニケーションが向かうわけです。「違いの尊重」や「個性の重視」とまとめてしまえばことばとしては同じなんですが、そのことばがどういう文脈で使われるのかという点でだいぶ違うなと感じます。

 

P142

松村 私たちは、自分の専門性に磨きをかけてスキルアップして仕事ができるようになることを、より安全な生き方のように思ってしまいがちですが、タンザニアの商人たちにとっては、誰かとつながることによって自分の能力を高めて、生活の安定を図ることになるわけですね。どれだけ多様な人とつながるかが、むしろ自分の安定を支えてくれるネットワーク、セーフティネットになると。

 

小川 より多くのさまざまな人とつながっていくことで、アイテムが増え、使える武器が増えていけば、どんな荒波がやってきてもなんとか戦える、みたいな感じですよね。

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「日本はよほど安定しているからひとつの仕事だけで大丈夫なんだろう」という認識はもっていると思いますが、彼らからすると、そんな生き方のほうがよほど不安定に見えるかもしれませんね。

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松村 これは小川さんが本のなかで書いていたことですが、そうやって仲間を増やしていくときに、彼らはお互い騙し合ったり、もち逃げされたり、あるいは売り上げをごまかしているとわかっていてもお小遣いをあげてみたりと、相手を信用しているのかしていないのか、よくわからない人間関係のつくり方をしていきますよね。このあたりは、どんなふうに説明できるのでしょう?

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小川 どんな人間でもその時の状況によって信頼できるかどうかは変わると言います。・・・その人がそのとき儲かっていたり心に余裕があったりすればちゃんと支払われますし、たとえ親族や仲良しであっても、3日間くらい何も食べていないほど、にっちもさっちもいかなくなって心身ともに追いつめられていたら、支払ってもらえないし、取り立てられない。・・・インフォーマル経済は不安定なので、1カ月前には羽振りが良かった人が病気になって商売も立ち行かなくなるという事態は珍しくない。逆に3日前は売り上げをごまかした小売商が、上客をつかまえて突然に羽振りが良くなることもある。なので、彼らからすると「信頼できる人間」と「信頼できない人間」がいるわけではないんです。

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 状況に応じて、信頼できるときもあるしできないときもある。だから嘘をつかれても、自身の状況によっては騙されたフリをしてあげてもいいし、関係を切るしかないときもあるし、また関係を復活させてもいい、みたいな感じなんです。

 

P148

小川 私が研究しているタンザニアの路上商人や香港で働ている商人たちは、取引相手にも、ある程度のずる賢さを求めるんです。私からすると「なんで信用を供与する人たちに、わざわざずる賢い人を選ぶのか」と思うんですが、彼らだって取引を続けていくうちに「この人はこうだから信頼できる」みたいな信用スコアのような指標を採用したり、「あのときはできたのに、なぜいまはできないのか」といった期待を高めたりしてしまうんだと思います。人格的な信頼は、人には晴れの日も雨の日もあって、それでも関係を続けることを希望して、その人それぞれの状況を見極めて、許したり許さなかったりといった塩梅を調整していくものですが、それよりも客観的な指標で取引したほうが楽なのは誰でも同じです。そうすると気づかぬうちに相手を追いつめることもある。

 でも彼らは、ずる賢い相手と商売すれば「そういうところからハッと目が覚める」みたいな言い方をするんです(笑)。先ほど、松村さんがおっしゃった「属性」だとか「この人はこんな取引を何回もうまく成功させたから信頼できる」といった客観的な指標に頼らないように、うまく駆け引きしてくれる、駆け引きをしかけてくれるずる賢い人こそ「最高だ」ってみんな言うんですね。

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 不思議な世界に見えてしまうんですが、きっと、その場その場のやり取りを楽しんでいる感じなんですよね。逆に、客観的な指標に沿って自分の責任とスキルだけで孤独に働くなんて、端的に言うとつまんないじゃんって言われそうな感じもありますよね。ずる賢い奴と丁々発止とやっていくこと自体が仕事の楽しみでもありそうですね。

 

P256

若林 丸山さんがフィールドから帰ってきて、ブッシュマンと日本人の遠さを感じるようなことって、やっぱりありますか?改めて日本に帰ってきてギョッとすることとか。

 

丸山 私も普通に日本に暮らす人なので、そこまで驚くことはないのですが、それでも帰って来たときにギョッとするのは、すべてがちゃんとしている感じですかね。

 

小川 それ、わかります(笑)。

 

丸山 うやむやにする力とか、なし崩し的にどうにかしちゃうとか、結果的にうまくいくとか、そういうのがないから、すごく緊張するんですよね。この電車を逃したとしても、誰も「代わりに連れてってあげるよ」とか言ってくれないんだろうな、みたいな感じとか。「ちょっと待って」とか言っても「もう時間なので待てません」って言われるんだろうな、とか。話したらルールを曲げてもらえそうとか、とりあえず「いいよ」って言ってもらえそう、みたいなのがないので。

 

若林 たしかに……。

 

丸山 ですから、日本に帰って来るときには、その辺の人に助けてもらおうとか考えちゃダメだから、ちゃんと時間を見てちゃんと切符も買わないと、という緊張感があるんですよね。それはいつも思います。そういう意味では向こうにいたときのほうが安全というか、安心というか、ほっとするというか、そういうのはありますね。

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若林 日本も、ある時期までは、もうちょっと適当だったんじゃないかって気もしなくもないんですが、どこでそれを手放しちゃったんですかね。

 

松村 そうなんですよ。日本にはそうした感覚がないと強調しすぎると、日本は昔からこうだったように思えてきますが、本当はそうじゃなかったはずですよね。企業であっても戦後の混乱期には、ルールなんか守っていられなかった状況があったわけですし。

 そういう意味では、先ほど小川さんがおっしゃったように、ある特定の状況において、いま私たちはなんらかの理由でこういう身のこなし方になってしまっていますが、それも状況が変わると変わっていくのかなと思うんです。

 

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丸山 ブッシュマンの人たちって、仕事も、嫌になったらパッとやめちゃうんです。次のアテなんかなくても平気でやめちゃう。「やめてどうするの?」って思うんですが、どうもしないんです。それでも、なんとかなるんですよね。誰かが助けてくれたりして、しばらくはなんとかなる。その「なんとかなる」がないと、やっぱりやめられないって状況が生まれて、「〇〇のために働く」が出てくるのかな、という気がしました。

 さっき松村さんが、不確実だと物事が積み重なっていかないとお話しされていましたけど、でも、ブッシュマンの人たちのようにパッとやめるといったことも、先が見えないことも、全然ネガティブなことじゃないと思うんです。むしろ、ずっと先までわかったらつまらないというか、楽しくないというか。不確実っていうと、確実が良いもので、それがなくて困った状況という感じがしますけれど、そういうことじゃなくて、何かいまとは違う、何か違うことが起きるかもしれないからやってみようみたいな、博打とまでは言いませんけど、ちょっとそういう楽しさがあると、「先の○○のためにいまを決める」という考えとは全然違う道にいけるんじゃないかなと、私はブッシュマンのところに行って思うようになりました。