「介護民俗学という希望」という前著が興味深かったので、こちらも読みました。
なんて温かい・・・とじんわりするエピソードがたくさんありました。
P47
私たちと家族とのつながりが少しずつ結ばれてきている。それは決して、利用者さん本人をないがしろにしようというのではない。利用者さんとスタッフとのつながり、利用者さん同士のつながり、スタッフ同士のつながり、利用者さんと家族とのつながり、そして、家族とスタッフとのつながりが、さまざまな方向に向かって交差したり、重なり合っているのだ。
すまいるほーむにかかわる人たちに、それぞれ複数のつながりがあり、そのつながりの束がこの場所にあればあるほど、利用者さんも、家族も、スタッフたちも生きやすくなる。だから、できるだけ多様なつながりが結ばれるように場を開いていきたい。そう私が思うようになったのは、小児科医で、自らも脳性麻痺の障害を持っている熊谷晋一郎さんが、さまざまな場面で繰り返し強調されている「自立とは、依存先を増やすこと」という言葉に影響されたことが大きいように思う。熊谷さんは言う。
「一般的に『自立』の反対語は『依存』だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。(中略)健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない」(『TOKYO人権』第五六号・インタビュー「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」)
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「自立とは、依存先を増やすこと」というこの熊谷さんの主張にまず救われたのは私自身だった。結婚もせず、親と同居して、八十歳を過ぎた母親に家事を任せっきりで仕事と原稿執筆と講演活動に明け暮れている。そうした「自立できない自分」「依存している自分」に常に後ろめたさと申し訳なさと劣等感を抱いてきた。一方で、辛い時でも誰にも助けを求めることができず、倒れる寸前まで心身ともに自分を追い詰めて、結局母親に心配をかけるという事態をこれまで何度も繰り返してきていた。
けれど、熊谷さんのこの言葉に出会ってから、・・・
・・・辛い時には弱音を吐いて、上司やスタッフ、それに利用者さんにも助けを求められるようになった。職場以外でも、丁寧な説明で安心感を与えてくれる主治医の存在や、定期的に通っている鍼灸師の存在、いつも寄り添ってくれる愛犬マロンの存在、そして毎日何度も繰り返し聴いている米津玄師さんのアルバム。すべてが私にとっては依存先だと思えるようになると、とても気持ちが楽になった。熊谷さんの言葉に出会い、私はやっと「大丈夫、私は生きていける」と思えるようになったのである。
P123
千恵さんの被害妄想への対応については、ケアマネジャーともたびたび話し合った。ケアマネジャーは、コロナ禍の閉塞感が精神面へと影響しているということとともに、千恵さんの体調の悪化を心配していた。千恵さんは「毒を盛られたから、昨夜お腹が痛くて死にそうになった」と訴えることがたびたびあったが、それは胃腸の病気を抱えている千恵さんの体調が実際に悪化しているためではないか。痛みや苦しさの原因を体調の悪化だとは自覚できず、家族に責任転嫁することで納得しようとしているのかもしれない、という。私は、なるほど、と思った。
実際、ケアマネジャーの勧めで、家族が千恵さんを連れて病院を受診し、何度か点滴治療を受けた後は、腹痛もなくなり、体調がよい日が増えていった。すまいるほーむで見せる表情にも明るさが戻ってきて、相変わらず家族への不満は言い続けていたが、その表情も依然と比べれば穏やかになったように思われた。
千恵さんが、河童の話を活き活きと語ってくれたのは、ちょうどそんな時期だったのだ。体調も気分もよくなったことで、被害妄想の呪縛から少しずつ解放されてきたのだろう。これまでのマイナス思考の言葉とは全く関係のない河童の話を楽しそうにしている。そこには、苦悩していた時とはまるで別人のような、明るく陽気な千恵さんの姿があった。
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千恵さんの「河童を見た」発言から・・・始まったすまいるほーむでの河童ブーム。河童の話題でひとしきり盛り上がったすまいるほーむは、春のやわらかい陽の光とさわやかな空気に包まれたかのように、緊張感がほどけた時間が流れているようだった。久々に訪れたゆるゆるとした心地よさ。これも河童の魔力だろうか。
そんなことを感じながら、私は大好きな米津玄師さんの「眼福」という歌を口ずさんでいた。
そうだ。河童の話は、米津さんが歌っているように「何にも役に立たない」「くだらない」話だから、みんなの緊張感を一時でも解きほぐして、気持ちをゆるやかにしたのではないだろうか。それこそ「不要不急」の話題。誰のためでも何かを解決するためでもなく、今どうしても聞かなきゃいけないことでもない。ある意味どうでもいい、役に立たないことにみんなで夢中になった時間が、この場の雰囲気を、一人一人の心を明るく、潤いのあるものにしてくれたのではないか。
コロナ禍の中、介護現場にはそれまで以上に必要急務として、感染防止対策、利用者さんの安全の確保、利用者さんの心のケアが求められていた。・・・けれど「不要不急」のことを心から楽しめる場や時間を作り出すことも、こんな時期だからこそ、介護現場では大切にしなければならないのではないか。
「大切にしなければならない」というのはちょっと違うかもしれない。私自身が肩の力を抜き、「こうしなければならない」の呪縛から解放されて、千恵さんの河童話の時のように、ふと目の前に偶然現れた面白いことに、ただただ夢中になってみる。それをみんなも楽しめたらいいなという程度の希望を抱きながら。
P160
文子さんを自宅に送り届け、炬燵に一緒に座し、コンビニエンスストアで買ったお弁当を食べるのを見守っている時間が大好きだった。夕飯にはよく焼肉丼を買って食べていた。おいしそうに頬張りながら、時々、幻視について語ってくれた。
「最近、またいるのよ、主人が。しかも結婚して子供もいるの。まったく何を考えているんだかね。何やっているのよ、って言ったらさ、押し入れの中に入っちゃってさ、それでしょうがないから布団を出してやって、『あんたっち、これで寝れば?』って言ってやったの。だって、しょうがないでしょ。まったくね」
幻視が著しくなった頃から、文子さんには亡くなったご主人が見えていた。しかも付き合っている女性を連れてきたり、その人と結婚したり、子供ができて文子さんの家に住みついたりと同居人が増えていったのだ。腹を立てながらもしょうがないと受け入れている。そんな文子さんの様子が微笑ましく思えるとともに、ドラマティックな語りに惹き込まれ、いつもメモを取りながら聞き入っていたものだ。・・・
P168
特別養護老人ホーム(特養)やショートステイで働いた経験のある亀ちゃんは、その頃から入浴介助が大好きだった。・・・利用者さんとたくさんおしゃべりができたし、しゃべれない人でもその表情で「気持ちがいい、極楽、極楽」と思ってくれているのが伝わり嬉しかったそうだ。また、腋の下やお腹の肉が段々に重なった間とか、利用者さん自身ではなかなか洗いきれない部分にたまった汚れや垢をきれいにし、利用者さんの体がピカピカになっていくのを見ると、まるで自分の体を洗ったかのようにさっぱりして気持ちがよくなるのだという。
「利用者さんに体と心を委ねてもらっているというか、預けてもらっているというのが嬉しいんですよ。やっぱりみんな羞恥心もあるし、他人に裸を見られたり、触られたりするのって嫌だと思うんです。でも、そうやって少しずつ心を許して身を委ね、洗わせてくれる。そして、気持ちいいと感じてくれる。それって、介護としては最高の幸せですよ」
私も含め、すまいるほーむで入浴介助を担当してくれているスタッフたちは、それぞれが入浴介助にやりがいと喜びを感じているのだ。
P209
社会には生産性に価値があるとするような風潮があるが、何かができなくなったり、誰かの役に立つことがなくなったりすることが、その人の存在価値がなくなることだとは、私は絶対に思わない。何かができようができまいが、他人に迷惑をかけようがかけまいが、人は最後まで生きる価値があると考えている。けれど、それを説得力のある言葉で表現することもいまだできていないし、すまいるほーむという実践の場で、利用者さんたちやスタッフたちと、自分のこととしてみんなで考えたり、認識を共有したりしていくことも、とても難しいと感じている。
・・・
そんな私に、かすかな光が差したように思えたのは、レビー小体型認知症のフクさんをめぐる出来事だった。
フクさんは認知症の進行とともに、老人性てんかんの症状も悪化して歩くことが困難になり、食事や排泄だけでなく、移動や移乗などあらゆる場面で、全面的な介助が必要となっていた。幻視もあるようで、何もない空間に話しかけたり、手を伸ばしたりすることもたびたびだ。車いすに座りながらいびきをかいて寝てしまったと思ったら、急に目が覚めて、話し始めるということもよくある。そんなフクさんの言動は、他の利用者さんたちには不可解に思えるようで、やはり心ない言葉を浴びせられたり、直接的なかかわりを避けられたりすることもあった。私たちスタッフはそのことにずっと心を痛めていた。
ある日の昼食時だった。フクさんはその日とても体調がよかったようで、自分で箸を持ち、おかずをつまんで食べようとした。介助していたスタッフはその様子に驚き、「フクさん、すごい!」と声を上げた。その声を聞いた私や他のスタッフたちもフクさんの周りに集まって、箸を持って食べようとしているフクさんを見守った。みんな嬉しかったのだ。最近は食事の時になかなか口を開けてくれないことも増えてきたフクさんが、久々に箸を持って自分で食べようとしていることが。実際には、箸で食べ物をつまむことはできなかったが、それでも、フクさんに生気が戻ってきたようで、みんなで「フクさん、すごいよ」と言い合った。
すると、それを見ていた他の利用者さんたちも、フクさんを応援し始めた。
「いいじゃん」
「頑張っているじゃん」
「今日は元気があるね」
フクさんも「いいだろ?」と言って、にんまりと笑った。他の利用者さんたちも大笑いだ。何だかいつになく、フクさんに向けられる利用者さんたちのまなざしがあたたかく感じられた。フクさんも嬉しそうだった。
たったこれだけの出来事なのだが、私は涙が出そうになるくらい感動していた。この瞬間、フクさんと他の利用者さんたちとが初めてつながったように思えたのだ。箸を持つことができたから、他の利用者さんたちがフクさんの存在価値を認めた、ということではたぶんない。
みんなの役に立つようなことはできなくなったフクさんだが、一生懸命生きようとしている、その姿にみんなが素直に感動し、頑張れ!と生きることそのものを応援したくなったのだ。それがあの時のみんなの気持ちだったのではないだろうか。
生きることそのものを応援する。それは、何かができるとか、役に立つとかとは関係のない、生そのもののまるごとの肯定だ。生きることを応援し、生きていることを喜び合う、そんなつながりがここにあることを感じられたら、たとえ、できないことが増えていったとしても絶望しないでいられるだろうか。
フクさんの生をめぐってみんなが喜び合ったような瞬間が、これからも、すまいるほーむに訪れることを願ってやまない。
