星野源さんのエッセイ集、面白く、味わい深く、ぐんぐん読んでしまいました。
P14
「伊丹十三さんってどんな人でしたか?」
撮影部、照明部、録音部、美術部、それぞれのスタッフが慌ただしく次のカットの準備をしている。
・・・
・・・私と、劇中に登場する食事を全ててがけるフードスタイリストの飯島奈美さんは、キッチンスペースからみんなの準備をぼんやりと眺めていた。
「伊丹さん?」
飯島さんは、ドラマ『深夜食堂』や映画『かもめ食堂』などで「消えもの」と呼ばれる作品内に出てくる料理を手がけるフードスタイリストだ。実は15年ほど前、お互いの名前が世に出る前に共通の知人を介して知りあっていたのだが、しっかりと仕事でご一緒するのは今回の作品が初めてだった。
「怒らない人だったな」
伊丹十三さんは俳優やエッセイスト、CMディレクターなど様々な職を経て、51歳で映画監督になり、数々の名作を残した。
その中でも大好きな『タンポポ』という作品がある。
宮本信子さん演じる主人公・タンポポは、ラーメン屋の店主だった夫に先立たれ、残された店をひとりでなんとか切り盛りしている。味も悪く人気もない、廃業寸前であるそのラーメン屋を、突如現れたラーメン好きのタンクローリー運転手が救っていくという話だ。
・・・
飯島さんはまだ駆け出しの頃、伊丹監督の作品にフードスタイリストのアシスタントとして参加していた。
「紳士的で優しくて怒らないの。でも、もの凄く厳しい人だったから、周りはみんなとっても緊張してたな。どうして?」
数日前マネージャーから、私が伊丹十三賞をいただいたという連絡があった。
伊丹十三賞は、映画監督・エッセイスト・俳優など様々な分野で活躍した伊丹さんの遺業を記念して創設されたもので、伊丹さんが才能を発揮した分野において優秀な実績をあげた人に贈るとされる。
私は駆け出しの頃、音楽の現場では「演劇の人でしょ?」と言われ、演劇の現場では「音楽の人でしょ?」と言われた。文章が上手くなりたいという思いで文筆業を始めると「節操がない」と笑われた。
どこかの派閥に属することに憧れを抱いていたが、気が付けばいつもあぶれ、居場所はなかった。
20代半ば、個人的な伊丹十三ブームが訪れ、映画やエッセイに夢中になった。どんな仕事でも真摯に面白がり、世間にはびこる何からも自由で、どの派閥にも属さず自分の居場所を持っている人だと思った。受賞の報は撮影現場への移動の車中で受けた。
そこが君の作った、君の場所だ。そう伊丹さんに言ってもらえた様で、あまりに光栄で、暗い車の中ひとりこうべを垂れた。
「ほんと⁉おめでとう」
飯島さんは手を叩いて祝ってくれた。
・・・
翌日は深夜にインスタントラーメンを食べるシーンの撮影だった。飯島さんは休みだったが、代わりにアシスタントさんが醤油ラーメンを作ってくれた。
具には、細かく刻んだチャーシューとネギを炒め、ゴマ油で和えたものだけが中央に乗っている、少し特徴的なラーメンだった。台本にト書きとして書いてあった〝いわゆる普通の醬油ラーメン〟とは味も見た目も違ったので意外に思った。しかし、あまりに美味しすぎてカットがかかってからも箸が止まらず、テストと本番合わせて合計4杯分も食べてしまったので特に気にしなかった。
めちゃくちゃ美味しかったです。終了後にそうお礼を言うと、「飯島が昨夜、撮影が終わった後に仕込んで、こうやって作ってくれと言われたんです」と笑顔で話してくれた。
ご飯が美味しいというだけでやる気がみなぎってくる。そういえば昨日飯島さんも、「伊丹さんの現場は食事が美味しかったの」と言っていた。
撮影を終え、大きく膨れた腹を抱えながら家に帰る。
ソファに座り、そうだ、久しぶりに観てみようと思い、『タンポポ』のブルーレイディスクをデッキに挿入した。
・・・
しばらくすると、ストーリーの後半、ラーメン作りが上手くいかずにタンポポが落ち込む場面になった。
「そんな悲しい顔すんなよタンポポ。お前いま旨いもん作ってんだろ。旨いもん作ってるときはよ、もっと幸せそうな顔しろよ」
安岡力也さん演じるピスケンが、これ以上ない優しい笑顔でタンポポに言った。
「よし。じゃあな、俺のとっておきのレパートリー教えてやるよ。まずな、ネギを斜に切りな。チャーシューは細切りだ。それを軽く炒めて、ラーメンの中央に乗っけて、ゴマ油をひと滴らし」
P44
イーッとなった。
今日はせっかくの休日だというのに、やらなければいけないことがたくさんある。
・・・
この先の予定を見ると、通常3日ほどでやっと消化できる仕事量が1日に詰め込まれ、何日も続いていた。どうしてこうなった。とはいえ、予定を入れる際に承諾しているのは自分なので、当時の私はよほど馬鹿だったに違いない。
・・・
起床し、副交感神経優位から交感神経優位の状態になるにつれ、意識がハッキリしていくと共に現実が心にのしかかり、パキッと折れる音がした。
イーッ。もうだめだ。全部仕事を投げ出そう。今日はやらない。締め切りややらなきゃいけないことはたくさんあるけど、もうやらないぞ俺は。
・・・
自宅からタクシーで40分ほど移動し、晴海埠頭近くまで来た。・・・
辿り着いたのは「晴海客船ターミナル」(2022年に閉鎖)という展望台のある客船ターミナル。そもそも人は少なめだったが、より人がおらず、より海の見える場所を探していると、人けのない屋外展望スペースにぽつんとベンチが置かれているのを見つけた。
正面には東京湾とレインボーブリッジが、左手にお台場が、右手には東京タワーが見える。よし、ここに座ろう。
・・・
深く被った帽子とマスクを外し、夕日を浴びながら潮風にあたった。深呼吸をする。風が気持ちいい。買っておいた炭酸水を飲みながら、何もせず、ただぼーっと海を眺めた。
なんて楽しいんだろう。人がいない。誰も自分のことを見ていない。マスクを着けず、帽子も被らずに海が見られる。それだけでとても気持ちよかった。
素顔で外にいるのはいつぶりだろう。ここ数年、どこへ行ってもどれだけ顔を隠しても、街行く人に振り向かれ声をかけていただく。そのことに嬉しさを感じていたのに、最近はどうも苦しい。いつの間にか神経はすり減り、疲弊していた様だ。
数十分間、ただ息をしていた。顔を隠さず息をするだけで人は回復できるなんて知らなかった。
P119
くも膜下出血で倒れ、闘病を経験し、復帰してからは「死にたい」とは冗談でも思わなくなったが、今年の後半は久しぶりにその言葉が頭の片隅に浮かんだ。それくらいキツく、目まぐるしい年だったのだと思う。
ただ、その言葉が浮かんでも、雑念でしかないことが多い。言葉そのままの意味のネガティブなものではなく、「ここから抜け出したい」や、「もっと良い環境にしたい」など、現状を変えたいと願う心が変えることのできていない現実と向きあう中衝突し、その無力感から全部をすっ飛ばして「死にたい」という言葉が浮かぶ。
でも、そんなのしょうがないと思う。
元気で、未来は明るく、現在は楽しく、毎日絶好調であろうなんて思わない。無理に明るくする必要はない。矢継ぎ早に辛いことや落ち込む出来事が起き続け、意味がわからず納得がいかないことばかりのこの世の中に、私たちは生きている。
最悪の気分でいることはむしろ素直で正常な反応である。繊細であればあるほど、現代は生きにくい。
堂々と思っていい。私は最悪な気分だと。もういい加減うんざりだ。私は死にたい。正直消えたい。もう生クリームたっぷりのパンケーキを食べないとやってられない。そう感じていいのだ。え、今ダイエット中だから無理?いやいや、無理なことだと思う必要はない。「出口がない」と勘違いしないためにも。
切羽詰まると出口がないと感じる。しかしそれはないのではなく、見えないだけで、どんな状況でも、どんな場合でも、絶対に出口はある。
プライドが傷ついたり、周りに迷惑がかかったり、自分や社会が設定したルールを破ることになるかもしれないが、その出口や逃げ道は自分の視野狭窄のせいで見えないだけで、必ず近くに存在している。
ある人にとっては、その出口がよく寝ることかもしれないし、ある人にとっては仕事を辞めることかもしれない。ある人にとっては引っ越すことかもしれないし、ある人にとっては誰かとの縁を切ることかもしれない。そして、それがその人にとって唯一の、死なないための出口なのかもしれない。
・・・
私は無意識でいると、死んでも目標を達成したくなり、責任は手放せず、夢は必ず叶えてやろうと思うタイプなので、目標も夢もいつでも諦めようと必死に思っているし、責任はいつでも放棄しようと考えている。それで周りが被害を被ろうが関係ない。
自分が生きてさえいればいい。なかなかそう思えないからこそ、そう強く思いながら、今日も私は出口の辺りでパンケーキを食べながら、無理矢理笑うのだ。
