現役復帰された頃の伊達公子さんがどんなことを考え、どんな日々を過ごしていたのか、また、テニスってそういうスポーツなのですねと知らないことばかりで、興味深く読みました。
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「帰国してすぐ、かかりつけの先生に診てもらって、MRIをとったら亀裂だった半月板が断裂してました。やっぱりすぐ手術だと。ま、以前からそう言われてはいたんですけど、ずっと拒否してたんで(笑)。でも、今回は手術をしない限り、テニスプレイヤーというより、一人の人間としてスポーツを楽しむ普通の生活はできないって」
・・・
「・・・だからいま、リハ室にいるアスリートの中で、わたしが一番重症です。結局、4月21日にやった2度目の手術で、使わないところの軟骨を膝に移植したんですけど、柔道の金メダリストでも2本だったところ、わたしはなんと3本(笑)。手術の内容をちょっと詳しくいうと、半月板は縫合。軟骨の上側は3本移植、下側は骨に穴をあけて血を流し、再生を促して回復を待つというやり方らしいです」
―聞いているだけで痛そうです。復帰までの目処は?
「一応1年とは言われてたんですけど、ひょっとしたら8月ぐらいにはテニスを始める第一歩を踏み出せるかも、な感じになってきました」
―お、それは凄い。
「ま、それはあくまでも練習ができるようになるってだけの話なんですけど、順調にいけば、最短で1月ぐらいにはコートに立ってある程度動けるかも、なんて」
―初めての手術、リハビリに関しては当然不安もあったと思うんですが、なんか、やる気満々ですね(笑)。
「だって、やるしかないですもん。やらなきゃ前に進めないから、思うように事が進むかどうかって不安はもちろんありますけど、気持ちが折れたりすることはないでしょうね。最大限、自分にやれることはやっていきますよ」
―エンディングのイメージ、固まってきてますか?
「ないんですよ、それが。たぶん、コートには戻れると思うんです。テニスもできるようにはなる。でも、それで試合ができるかどうかはイメージがわからないから、その先となると、もっとわからない(笑)」
・・・
―何が伊達さんを惹きつけるんでしょう。何が伊達さんをテニスから放さないんでしょう。
「やることをやってきた人生だったから、最後も完全にやり終えたいってことなのかなあ。何をどうしたらやり終えたことになるのか、いまはわからないんですけど、でも、ああ、やり終えたって感じる瞬間は、きっと来ると思うんです。感じられるんじゃないかと思ってた全豪では、それがなかった。内容なのか、諦めなのか。自分の中で完全燃焼できたなと思う瞬間を、待ちたいんです」
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引退セレモニーでは浅越に「やられて」涙を見せてしまった彼女だったが、会場をあとにしてからは、感傷的な気分とはほぼ無縁だったという。ただ、やれることはやった、やり切ったという充足感の中に、かすかな悔いが残っていることは自分でもわかっていた。
「怪我に負けたっていうのかなあ、こういう辞め方っていうのは考えてなかったですからね。できることなら、もっとやりたかったって気持ちは、最後まで消えなかった」
それは、最初の引退のときにはまったくなかった感情でもあった。
「テニスをやってて楽しかったのは、トップ10に入るまでぐらいでしたね。そこまではホントに楽しかったし、ランキング表を見るのも嬉しかった。プロになったころは何枚めくっても自分の名前を探すのが大変なのに、1枚目にポンとあるわけですから。あ、わたしここまで来たんだって素直に喜んでました」
だが、トップ10に入ってからは、見える景色が変わってきた。
「思い描いていた以上に物事が順調に進んでいくのが、怖くなってきたんですよね。こんなに自分の運をテニスで使っちゃっていいのかな、みたいな。それに、これ以上強くなると、もっと余計なものがくっついてくるんだろうなっていうのもわかってましたから」
もし世界ランク1位になるようなことがあれば、あるいはグランドスラムで優勝するようなことがあれば、つきまとうメディアの数は激増するだろう。遠征の日数は延び、英語で話さなければならない場面も増える。それは、当時の彼女にとって、生来の負けず嫌いを蝕むほどに憂鬱なことでもあった。
「当時のトップ選手たちって、1位になるためだったらすべてを捨てて、それこそ手段を選ばないようなところがあった。それを間近に見てて、ああ、わたしはこうなっちゃいけないな、なれないなっていうのは感じてたんですよね。もちろん、なろうとしたってなれる保証もないんですけど。だから、なれるかなれないかは別にして……世界1位になんかなりたくないって思ってました」
じゃんけんですら負けることを嫌う人間が、あっちむいてホイならば「わたしは日本一」と豪語する人間が、頂点を目指すことを自ら放棄していたというのである。
それが、伊達公子の第一期現役時代だった。辞めることに対する悔いは、皆無だった。
第二期の現役時代は違った。彼女は純粋に勝利を追い求め、勝負を楽しんだ。
「基本、わたしは白黒はっきりつけるのが好きな人間なんですけど、しばらくテニスから離れているうちに、グレーっていうのも悪くないときがあるんだなって思うようになったのは大きいですね。そうなってから、人間関係に限らず、嫌いっていうものが減りました。好きは減らないか、むしろ増えたぐらいだったけど、嫌いが減った。昔は紫色とか大嫌いだったんですけどね」
第一期現役時代の彼女は、テニスコーチにたどり着くまでに大嫌いなものの中をかき分けていかなければならなかった。・・・だが、嫌いなものが減ったことで、テニスにまつわるストレスは大幅に軽減された。
ではなぜ、嫌いなものは減ったのか。
「テニスをやめたことで、わたし自身の中でいろんな変化がありましたから、結婚したっていうのは大きかったでしょうし、メディアの側の仕事をさせてもらったのも大きかった。それまでは絶対に嫌な存在でしかなかったのが、あの人たちにも事情があるのね、ぐらいな感じになりましたからね」
引退しなければ、彼女が結婚することはなかったかもしれない。メディアの仕事をすることは間違いなくなかっただろう。
絶縁状が生んだ、テニスへの愛情と愛着だった。
「忘れられない試合を一つあげろって言われたら……やっぱり、ウィンブルドンでのヴィーナスとの一戦かなあ。あれは女子テニスがパワーの時代だって言われている中で、そうじゃないテニスで対抗したっていうか、サーブ&ボレーを入れたりとか、リターンダッシュしたりとかってところが、選手だけじゃなく、コーチとかトレーナーをしてる人にとっても印象深かったみたいですね。というか、周りのみんながすごくいい試合だったって声をかけてくれたんで、わたしの記憶に残ってるのかもしれませんけど」
テニスにまつわるものすべてを捨て去りたかった、拭い去りたかったのが1度目の引退だとしたら、テニスにまつわる様々な思い出と、ちょっとした悔いを抱いて別れを告げたのが2度目の引退だった。
悪い気分ではなかった。
「これからどうするのか―。何かやりたいこと、夢中になれることを探すとは思います。思うんですけど、中途半端なことはしたくないタイプなんで、さて、どうしようかなと、腑抜けにはならないでしょうけど、でも、なってもいいかなって思いもちょっとあります」
