無人島のふたりって?と思って手に取り、山本文緒さんがあちらに旅立っていたことを知りました。
体調が悪そうな日の日記も、なぜか読みやすいことに驚きました。
P14
「ええと、そもそも」と私は言った。
最初は胃が変だと思ったんです。・・・ガスター10を買って飲んで、一時的によくなったように感じていました。
でも年が明けるとまた痛みと胸やけが続くようになって、ちょうど人間ドックを予約していたので、その際に問診で不調を伝えたところ、近いうちに胃カメラをやったほうがいいと言われました。・・・
・・・胃カメラを飲みました。そこで慢性胃炎だろうと診断が下り、なんだ胃炎かと私はほっとしました。・・・それが3月上旬です。
服薬して食事に気を付けていれば治るだろうと気楽に考えていたのですが、痛みはあまりよくならず、・・・C病院へかかったところ、医師は首を傾げるばかりでした。・・・その1週間後、痛みで一睡もできなかった朝、夫に頼んで急患としてC病院へ連れて行ってもらいました。
そこで再度血液検査をしたところ、C病院の医師が急患用のベッドで点滴されている私のところへ走ってきて「γが!」と言いました。私のγ-GTPが1000を超えていると聞いて私も耳を疑いました。・・・どうやら胆管が詰まっている・・・B医療センターへ行ってくださいと言われました。
・・・
そこからはどんどん検査は進みました。・・・電子内視鏡で詰まりつつある胆管にパイプを入れ(その時に生検)、エコー、造影剤入りCT、PET検査を受け、あれよあれという間に膵臓がん、ステージ4という診断を受けました。
腫瘍の位置が悪いことで手術はできず、転移していなければ放射線治療も考えられたそうなのですが既に転移もあり、残された道は抗がん剤しかありませんでした。しかし抗がん剤でもがんが治るわけではなく進行を遅らせるだけだということでした。
そんなことを急に言われても、というのが正直な気持ちでした。
私は毎年きちんと人間ドックを受けてきたし、煙草とお酒は13年前にやめて一度も飲んでいないし、食生活だってそう無茶をしたものだとは思いません。
膵臓がんってそんなに見つからないものなの?
私だけではなく夫も呆然としていました。告知を受けた日、本当にどうしたらいいのかふたりで途方に暮れました。
でもどうしようもこうしようも、抗がん剤をやるなら一日でも早いほうがいいだろうということになり・・・
やるしかないと勇んで挑んだ抗がん剤だったのに、私はけちょんけちょんにやられました。もう二度と体に抗がん剤を入れないと決意を固めただけのつらい一週間でした。
化学療法をしないということを決め・・・緩和ケアをお願いすると・・・教えて頂き、今日ここにきました。
・・・
私の長い話を、AクリニックのO先生は遮らずに聞いて下さった。
そして1時間余り、今後のことなどあれこれと相談させていただいた。私は家族以外の方とこんなに病気のことをフラットに話せたのは初めてだったし、夫も自分の気持ちを口に出したのは初めてだったと思う。
よかった。本当によかった。私はクリニックの方々に助けてもらうだけではなくて、私の経験が、彼らや彼らがこれから出会う患者さんの役に少しでも立ちますようにと思った。私、うまく死ねそうです。
P67
7月2日(金)
在宅医療の先生の定期訪問の日。
先週退院したばかりの時にも来て頂いていて「先週に比べてすごく元気になったね」と言われて嬉しかった。
普通のお医者さんとは違うのでたっぷり1時間世間話まじりにいろんなことを話した(最終的には夫の新車自慢まで聞いてもらった)。
その中で私が自分のことを「意外にわたし頑固なところがあってなかなか柔軟にできないことが多いんですよね」と言ったら「意外じゃないですよ!頑固だから今こうしてここにいるんじゃないですか!いいことです!」と笑われた。
確かに……と私と夫は納得。
「これは嫌!」というのが昔からはっきりしていたからこそ、私は生まれ育った土地を出たし、会社を辞めて作家になったし、仕事量も増やしすぎなかった。頑固で意志を曲げなかったから最初の夫と離婚をしたし、今の夫と再婚したし、軽井沢に家を建て人付き合いを最小限にしたゆったりした暮らしをしてこられた。
病気になったのは残念だったが、抗がん剤も一度試して「これは誰が何と言おうとできない」と決めることができたので、頑固も使いようということで。
P86
7月13日(火)
低めながらも安定していた症状に数日前から少し変化があり、夫と相談してAクリニックの方に来ていただく。
やはり病状は進んでいるのだと実感した。
でもAクリニックの先生や看護師さん達が明るく女子っぽいノリでキャッキャとしてくれて本当に助かるし嬉しい。私と夫だけでは冗談を言って明るくするにも限界がある。
そして帰り際、私がいないところでどうやら夫に励ましの声をかけてくれているようでそれも助かる。大きい病院だけではこんなに細やかには気を配っていただけないので。
P95
7月21日(水)
夕方に入浴するとその後絶不調になるので午前中のうちから入ってみることにした。さっぱり。さっぱりはするがやはり不調になるのは変わらなかった。
風呂って体力を使うんだな。
夕方になって夫が「明日から四連休でどこも混雑して出かけられないだろうから」と言うので出かけなくてはいけない気になり、着替えてかつらをつけて家を出た。
軽井沢アウトレットへ行きジェラートピケで半額になっていたパジャマを買った。あとタリーズに寄ってエスプレッソシェイクとソーセージドッグをお持ち帰りで買った。
・・・
私はなんとなく自分の寿命を90歳くらいに設定していて、贅沢をしなければそのあたりまでは生きていけるお金を貯めた。
そのお金は私に安心を与えたけれど、今となってはもう少し使っても良かったのかもしれない。例えばもう仕事は最小限にして語学をやったり体を鍛えたり、お金じゃなくて時間のほうを使えばよかったのかもしれない。
でもどんな人でも自分のデッドエンドというのは分からないものだ。この期に及んでまだ私はデッドエンドを摑めていなくて、安くなっていたパジャマを買ったりしている。
P104
7月28日(水)
再びびっくりすることがあった。昨日あまりにも倦怠感がひどく、続けて吐いたりもしていたので、夕方訪問医療のクリニックの方に来てもらって相談をした。
「だるいんです」といったところでどうしようもないのだろうなと半分以上あきらめ気味に訴えたところ、ステロイド薬を飲むのがいいかもしれないということになった。
ステロイド……そういえば、猫のさくらが病気で亡くなる前、ステロイドで、かなり元気をとりもどしていたな、と思い出す。
私の病状も、もうそのあたりまで進んでいるんだなと暗くなりつつも、今朝から少量飲み始めたら、体がいきなり軽くなってびっくり。
5分も座っていられなかったのに、今日は洗濯物もたためたし、花を活けたりもできた。本も読めるし、日記も書ける。それより何より、夫のほっとした顔を見られてよかった。
P144
9月3日(金)
今日は思いがけず、一つのピリオドとなった日だった。
・・・
病気はこのところ急激に進んでいる様子だ。そろそろ週単位で時間を見て、会いたい人に会っておいたり、やり残したことをした方がいいかもしれない。そう言われて、お腹が楽になったと喜んでいた私と夫は固まった。
「週単位」という言葉を私はうまく飲み込むのに時間がかかり、すぐ飲み込んだらしい夫は蒼白になっていた。ベッド設置の業者さんとクリニックの先生が帰ったあと、夫が「ごめん。本当に悪いんだけど、ちょっとだけ飲みに行きたい。一人になって落ち着いてくる」と出かけて行った。
ふたりで暮らしてた無人島だが、あと数週間で夫は本島へ帰り、私は無人島に残る時がもうすぐ来るらしい。
夫は駅近くの焼き鳥屋に行ったらお客が一人もいなくて、そこで「そうだ、コロナなんだから飲みに来たらダメじゃん」とハッとしたそうで(ちなみに長野県はまん防の地域にも入っておらず、お店はふつうにやっている)、30分だけ一人で飲んで落ち着き、私に手羽先焼きとおにぎりを買ってきてくれた。何という賢人。
P165
9月28日(火)
今日は何か変な日だった。
まず夢見が悪かった。明け方に牛しぐれ煮を食べて口臭がするという夢を見て、夫を起こしてしまい、あといろいろ変なことを夫に訴え(牛しぐれ煮は食べていない)(自覚はある)、そのあと今度は約束の時間に起きられなくなり(10時にレンタル医療用品会社との約束)、寝ぼけたまま対応。そしてそのあと、クリニックの先生がいらした頃にやっと目が覚めたと思っていたが、あとで夫に聞いたら、私はほとんどうつらうつらしていたとのこと。結局午後2時くらいにカップヌードルを食べたいと私が言い出し、やっと目をはっきり覚ましてカップヌードルをすすりだしたという。
この文章も何が言いたいのか自分でもよくわからない。
何だか指先が痺れる感じがするのは肝臓がよくないらしいし、夫に「カップラーメンをそんなに食べるなんて」とイヤミを言われたけど、食べたかったの。どうしても食べたかったのカップラーメン。
あと頂きものの福岡のチョコレートが激烈に美味しかった。
そしてここ2、3日、夢見が変というかモーロ―としている自覚は本当にあるのです。
痛い、つらい、気持ちが悪い、むくみなどはありません。
でも何だか自分が変になってきているという感覚はある。
P168
10月4日(月)
昨日から今日にかけてたくさんの妙なことが起こり、それはどうも私の妙な思考のせいのようだ。これでこの日記の二次会もおしまいになる気がしている。とても眠くて、お医者さんや看護師さん、薬剤師さんが来て、その人たちが大きな声で私に話しかけてくれるのだけれど、それに応えるのが精一杯で、その向こう側にある王子の声がよく聞こえない。今日はここまでとさせてください。明日また書けましたら、明日。
