難民・移民のわたしたち 難民・移民フェス

難民・移民のわたしたち: これからの「共生」ガイド (14歳の世渡り術)

 こんなフェスが開催されていたんですね。

 以前著書を読んだことのある金井真紀さんが企画されたそうで、面白い!と思いました。

 

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 ・・・「難民・移民フェス」の「言い出しっぺ」が、この章に登場いただく金井真紀さん(49歳)。

 金井さんの経歴は少々変わっている。プロフィールには、「テレビ番組の構成作家、酒場のママ見習いなどを経て、2015年から文筆家・イラストレーター」とある。

「テレビの仕事をメインに、ゴールデン街のお店の手伝いもしながらやってきたんですけど、40歳くらいでテレビ番組が急に終わることになって、お店も閉まったんです。それで収入はないけどたくさん時間ができた。だったら面白いことだけやって食べていけるかどうか、ちょっと実験してみようと思ったんです」

 そんな実験が始まってそろそろ10年。「ギリギリ食べていけてます」とのことだが、金井さんのプロフィールには「任務は『多様性を面白がること』」という言葉もある。なんなんだ、この楽しそうな「任務」は。

「実験するにあたってどういうことをしようかと思った時、自分にとってどんな世界が理想かを考えたんですね。そうしたら、いろんなものがごちゃごちゃ混ざってる世界がいいなって。いろんな人がのびのびといていられて窮屈さがない世界。それに関することならなんでもやってみようというのが実験のテーマでした」

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「『パリのすてきなおじさん』って本を書いたのが2017年なんですけど、パリでいろんなおじさんたちに話を聞いたこの時期、ちょうどシリア難民がたくさん来ていたんですね。・・・」

 ・・・そんな経験を経て日本に戻ってくると、「日本にもたくさんいることに気がついた」のだという。

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 ジャックさんの物語は『日本に住んでる世界のひと』に収録されているのだが、壮絶という言葉ではとても片付けられない。・・・彼が母国にいられなくなったきっかけは、コンゴ民主化を目指す団体に入って活動したこと。・・・ジャックさんはなんとか脱出したものの、父親から電話が入り、言われた。

「赤いベレー帽をかぶった民兵が、お前を捜して家のまわりをうろついている。危ないから帰ってこないほうがいい」

 そうして彼は、家族に別れを告げることもできないまま国外へ。日本にやってきたのは12年夏のことだった。すぐに難民申請をするものの却下され、再び申請。・・・

 来日2年後、恐ろしいことが起きる。「息子はどこにいる」と実家を訪ねてきた男たちに父親が暴行され、殺されてしまったのだ。さらにその2年後には、やはりジャックさんを捜しに来た男たちに母親と甥っ子も殺されてしまう。

 追い打ちをかけるように、21年にジャックさんは働ける在留資格を失う。仮放免の状態になってしまったのだ。

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 ・・・金井さんは言う。

「家族ももういないから、本当にひとりぼっち。見捨てられないけど、どうやってつきあっていけばいいかわからない。その時、一対一だと絶対詰むなと思ったんですね」

 そうして、金井さんはどんどん人を巻き込んでいこうと決める。もうひとつ思いついたのが、ジャックさんから何かを教えてもらおうということだ。

「ジャックに会うとラーメン奢ったりしてたんですね。そういう時、風習が違うからなんだろうけど、ジャックは『ありがとう』とか『ごちそうさま』って言わないんです。そういうことによって腹が立った時、『私、ありがとうと言われたくてやってんのか?』って思ったりして。そもそも、こちらが何かをして向こうがありがとうって言うしかない固定化された関係って、しんどい。だったら彼から何か教えてもらって、こっちがありがとうって言えばいいんだって気づいたんです」

 そうして思いついたのが、ジャックさんを先生にして「リンガラ語」の教室を開催しようということ。リンガラ語とは、・・・非常にマニアックな言語だ。そうして友人知人に「アフリカのリンガラ語を習おうと思うんだよね」と触れ回ったところ、「変な人ばっか集まってきた(笑)」。・・・その「変な人」たちがのちに「難民・移民フェス」の実行委員やサポートメンバーになったというのだから、人生ってわからない。

「習うって言っても、公園に集まってカラスがいたら『あれはなんて言うんだ?』ってレベルです。でも、リンガラ語を習いながら、ジャックの暮らしやコンゴのこともわかってきて、入管問題についても具体的にわかるようになってきました」

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 そんな中、金井さんはジャックさん以外の「難民と認められていない」外国人たちとも出会っていく。第1章に登場したペニャさんもその1人だ。

「外国人支援をしている人に誘われて、ペニャさんの作ったエンパナーダを食べる機会があったんです。それがすっごく美味しかった。こんなに美味しいものを作れる人が仕事ができないのはもったいない。それに、ジャックも仕事ができなくて困ってる。みんなそれぞれ得意なものがあるのに活かせない。その時、一緒にリンガラ語を習ってる友人や外国人を支援している人と、『みんなが好きなものとか得意なもの持ち寄って、祭りみたいにしたら面白いんじゃないか』って思いついちゃったんですよね」

 それが2022年1月。その半年後の6月に、「難民・移民フェス」の第1回が開催されたというからすごいスピードだ。・・・

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「ジャックに話を持ちかけたら、『自分にできることは何もない』って言うんです。でも、彼はすごくオシャレなんですよ。センスがいいのでミシンとかやったらどうかって言ったら『やってみたい』って」

 ミシンを貸してくれる人が現れて、彼はアフリカの布でバッグの作成を担当することになった。

「家で何もやることがないって時と比べると、やることがあるのはいいですね。『俺は今日これだけやったよ』って電話してきたり、ビデオ通話でミシンをカタカタしながら『今やってるよ』ってみんなにアピールしたり。『お疲れさま』って言われたいんですよね。仕事してた時は言われただろうけど、やっぱり『お疲れさま』って言われることは、嬉しいんだなって」

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 そしてフェス当日、練馬区の平成つつじ公園には本当にさまざまなブースが登場した。

 チリやクルド、アフリカなどの料理はもちろん、アフリカ風に髪を編み込んでくれるブースもあれば、自身で作ったアクセサリーを売る店、やはり手作りの服やバッグを売る店など。会場の一角にはステージが作られ、そこでは難民・移民の人たちの歌や演奏も披露された。そんな1回目の「難民・移民フェス」を訪れたのは約800人。

「思ってた以上に面白かった」と振り返る金井さんは、1回目のフェスのあとに外国人から聞いた言葉が忘れられないという。それは「日本に来て、今日がいちばん嬉しかった」という言葉。

「普段は支援してくれる人に『ありがとう』って頭を下げて暮らさないといけないのに、今日は自分が『ありがとう』って言われたって」

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「思った以上に喜んでくれて、次の日から、『次はいつやるの?』って聞かれて。え、またやるの?って感じだったんですけど、次は11月でした」

 2回目の「難民・移民フェス」は22年11月、クルド人が多く住む川口市の川口西公園で開催された。この日は土砂降りだったにもかかわらず、県内外から1200人が訪れたというからすごい。

 3回目は23年5月。練馬区の平成つつじ公園で開催されたのだが、なんと前回の3倍の3600人が集まった。4回目は同年11月。杉並区の柏の宮公園で開催され、4500人が集まった。

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「『難民・移民フェス』がなんでこんなに楽しいのかなって思った時に、これは私が欲しい未来を1日だけ先取りしてるからだって思ったんです。毎日がこうだったら本当に最高ですよね。みんなが得意なものを持ち寄って、そこにいろんなルーツや立場の人がいて」

 欲しい未来を先取りしてる。なんて素敵な言葉なんだろう。そう、私がつつじ公園で見たカラフルな光景は、まさにそういうものだった。

 

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 ・・・この本を書いている最中には、日本人女性の同性カップルがカナダで難民認定されたというニュースが飛び込んできた。認定されたのは、30代と50代のカップル。職場で嫌がらせを受けたり性的指向を隠すことを強いられた2人は、申請から10ヶ月後に難民として認められたという。同性愛者に対するこの国でのさまざまな差別が、カナダでは迫害に相当するとされて「難民認定」されるということ。このことは、日本社会に大きなインパクトを与えた。